『奈良のこと 2(西の迎賓館とも呼ばれる奈良ホテル)』
ー「思い立ったら吉日」の慌て者には、泊まりたいときは、本館に空きはなしー
西の迎賓館と呼ばれる『奈良ホテル』はこう言われています。
『奈良ホテルの全ては本館にある!と言っても過言ではないと思います。 新館に泊まっては、奈良ホテルに宿泊した意義はないと思います。 残念ながら・・・。 クラシカルでノスタルジックな雰囲気は、本館のお部屋でしか味わえないと思います』とつれない。 『思い立ったら吉日』の慌て者には、『泊まりたいときには、本館には空きはなし』でした。
このホテルは、第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、近畿において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割を担っていた。 このため「西の迎賓館」とも呼ばれる。 今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らである。
玄関ロビーの暖炉を鳥居で枠組み飾りをされたり、床置き型のパッケージエアコンが、化粧キャビネットで覆ってもなく、吹き出し口も直接ブロー(工場などでの据え付け)でした。
この違和感は、見慣れてくるとだんだん薄れましたが、パッケージエアコンを販売据え付けした経験のある自分には、しこりに残りました。
神社と寺は、神仏習合と言われ、同居していることが多いです。 日本古来の神と、外来宗教の仏教を結び付けた信仰ですが、鳥居は神道由来のものです。 明治維新の動乱の中で、薩長新政権が打ち出した思想政策で引き起こされた『廃仏毀釈』があったとはいえ、この鳥居を取り込んだ思い切ったデザインには驚きました。
宿泊設備としては木造2階建て瓦葺き建築で創業以来の本館と、1984年に営業を開始した鉄筋コンクリート造4階建ての新館よりなり、小高い丘の上に建つ本館1階とその丘の南側斜面を削って建設された新館の屋上が同一平面となる。
この新館は、ベランダと窓以外は地下に造られた構造とは全く気が付きません。
日本の地形では、丘や丘陵の崖の上の、ホテルや旅館は多く、建築工事技術の進んだ今は、この方法は参考になると思いました。 地層・地形の耐震調査は十分事前調査は必要ですが。
宿泊した海外の著名人
- アルベルト・アインシュタイン 1922年
- エドワード8世 1922年
- チャールズ・リンドバーグ 1931年
- 愛新覚羅溥儀 1935年
- ヘレン・ケラー 1948年
- マーロン・ブランド 1956年
- グレン・フォード 1956年
- ハイレ・セラシエ1世 1956年 エチオピア帝国 皇帝。戦後初の国賓
- ジャワハルラール・ネルー 1957年
- インディラ・ガンディー 1957年
- カールハインツ・シュトックハウゼン 1966年
- マーガレット王女 1970年
- 鄧小平 1978年
- オードリー・ヘプバーン 1983年
- ダライ・ラマ14世
等々、大勢います
(20190727纏め 20201220追補 #111)