新大陸・アメリカ大陸の最古のプレ・インカのベンタロン遺跡
ー城壁・塔がなく、戦争がなく、1000年以上富の奪い合いなし―
ベンタロン遺跡は、ペルー北部チクラーヨの郊外にある約5000~4000年前のプレ・インカの寺院跡。 モチェ文化のシンパンからは約20kmの所に位置する。遺跡の大きさは約2,500平方メートルあり、近くの川の泥より作られたアドベ(日干し煉瓦)によって建てられている。 この遺跡、古さではエジプトの大ピラミッドに相当するが、この遺跡の完成度・進化度の差は『年間の水位差10ⅿ前後の大河川の近くに、定住農耕で相当の人口を維持できたか』であったか、どうかに拠ると思っています。
ベンタロン遺跡の外観(2016年) ウキペデイア情報から引用
2007年に黒鹿が網にかかっている様子が描かれた壁画が発見されている。 この寺院より見つかった彩色壁画は、放射線炭素年代測定により約4000年前のものであることが判明しており、アメリカ大陸でも最も古い遺跡の一つに数えられている。
遺跡の彩色壁画。2017年の火災で焼失した可能性 ウキペデイア情報から引用
この大寺院を中心とした部族集落の周辺には、スーペ川沿いにカラル、アスペロ、ピョータン等20以上の遺跡がある。 エジプトのように、大ピラミッドの建設ができるような帝国、に統一されなかったのは。 繰り返しになりますが、『年間の水位差10ⅿ前後の大河川の近くに、定住農耕で相当の人口を維持するための数学・天文学の発達』に差があったためではないでしょうか。
大ピラミッドを建設したエジプト文明と『アステカ文明、マヤ文明、プレ・インカ文明(アンデス文明=プレ・インカ文明+インカ文明)』の比較は、今後も興味津々です。
今回の、1000年以上続いたベンタロン文明の衰退も『エルニーニョによる天候異変、部族間戦争、疫病、その他』か、いまだ解明せれておりません。 戦争もせず、交易で栄えたプレ・インカ文明は、人知も及ばぬ『異常気象』で滅んだのかと思うと、異常気象は『当時は天災』、『今は人災』などと考えてしまいます。
(20210622纏め、#348)
戦争がなく、1000年以上、富の奪い合いなし―
ベンタロン遺跡は、ペルー北部チクラーヨの郊外にある約5000~4000年前のプレ・インカの寺院跡。 モチェ文化のシンパンからは約20kmの所に位置する。遺跡の大きさは約2,500平方メートルあり、近くの川の泥より作られたアドベ(日干し煉瓦)によって建てられている。 この遺跡、古さではエジプトの大ピラミッドに相当するが、この遺跡の完成度・進化度の差は『年間の水位差10ⅿ前後の大河川の近くに、定住農耕で相当の人口を維持できた』であったか、どうかと思っています。
ベンタロン遺跡の外観(2016年) ウキペデイア情報から引用
2007年に黒鹿が網にかかっている様子が描かれた壁画が発見されている。 この寺院より見つかった彩色壁画は、放射線炭素年代測定により約4000年前のものであることが判明しており、アメリカ大陸でも最も古い遺跡の一つに数えられている。
遺跡の彩色壁画。2017年の火災で焼失した可能性 ウキペデイア情報から引用
この大寺院を中心とした部族集落の周辺には、スーペ川沿いにカラル、アスペロ、ピョータン等20以上の遺跡がある。 エジプトのように、大ピラミッドの建設ができるような帝国、に統一されなかったのは。 繰り返しになりますが、『年間の水位差10ⅿ前後の大河川の近くに、定住農耕で相当の人口を維持するための数学・天文学の発達』に差があったためではないでしょうか。
大ピラミッドを建設したエジプト文明と『アステカ文明、マヤ文明、プレ・インカ文明(アンデス文明=プレ・インカ文明+インカ文明)』の比較は、今後も興味津々です。
今回の、1000年以上続いたベンタロン文明の衰退も『エルニーニョによる天候異変、部族間戦争、疫病、その他』か、いまだ解明せれておりません。 戦争もせず、交易で栄えたプレ・インカ文明は、人知も及ばぬ『異常気象』で滅んだのかと思うと、異常気象は『当時は天災』、『今は人災』などと考えてしまいます。
(20210622纏め、#348)