知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『地球上で、宇宙で,最強はシャチ! シロナガスクジラを捕食』 「地球上最大の動物記録、シロナガスクジラ、34メートル、199トン」

2022-03-30 23:14:56 | 動物

『地球上で、宇宙で最強はシャチ! シロナガスクジラを捕食』

「地球上最大の動物記録、シロナガスクジラ、34メートル、199トン

 

センセーショナルなニュース、(CNN)オーストラリアでシャチの群れがシロナガスクジラの成体に襲いかかって捕食する様子が初めて記録されたとして、研究チームが学術誌に研究結果を発表した。 陸上では最強の肉食動物は、シロクマですがシャチに捕食されたケースがりますので、やはり『地球上で、否、宇宙で最強はシャチ』のようです。

 

『なぜ、宇宙で最強か』、宇宙はスケールが大きすぎて、人類はシャチより強い肉食獣が、いるかどうかを実地検分確認ができないからです。 宇宙の大きさは『実際の大きさ最低でも直径780億光年と学説!)』と『観測可能な大きさ(可視宇宙、昔は200億光年、今は365億光年で、直径730億光年』が、あるようです。 今では宇宙に存在する銀河の数は2兆個、従来の見積もりの10倍。

 

銀河系だけでも、約1000億の恒星が含まれるため、少なくとも『170億の岩石惑星がある』と言われおり、まだ、そのどこからもUFOも異星人も地球には来た、形跡がありませんので。  例えが悪いですがやはり『地球上で、否、広大な宇宙でも最強はシャチ‼ シロナガスクジラを捕食』と思いました。 長い脱線でしたが表題に戻ります。

 

シャチの骨格標本水族館での、ショーで見る優しそうな姿とは全く別

ウキペデイア情報から引用

 

シャチ、英語ではキラーホエール(この編隊水泳は見事)

シャチ(鯱、学名: Orcinus orca)は、哺乳網鯨偶蹄目マイルカ科シャチ属の海獣である。 日本ではサカマタ(逆叉、逆戟)という別名もある。 シャチは、魚類全般、サメ、クジラなどを食べる。 平均ではオスの体長は5.8 -6.7、メスの体長は4.9-5.8m、オスの体重は3.6-5.4t、メスの体重は1.3-3.6t。 最大級のオスでは体長は9.8m、体重は10tに達する。

 

シロナガスクジラ(白長須鯨学名:Balaenoptera musculus)

ウキペデイア情報から引用

ヒゲクジラ亜目の海洋哺乳類。 最大確認体長29.9メートル、体重199トンに達し、現存する動物の中では最大。 シロナガスクジラの細長い体は、背側がさまざまな色の灰青色で、下側はやや明るい色をしている。

シロナガスクジラは、19世紀末までは地球上のほぼすべての海に生息。 国際捕鯨委員会が1966年にシロナガスクジラの捕獲を全面的に禁止するまでは、捕鯨業者によって絶滅寸前まで捕獲されていた。 2018年、シロナガスクジラは絶滅危惧種に指定されている。 人為的なもの(船の衝突、汚染、海の騒音、気候変動)と自然的なもの(シャチの捕食)の両方の数多くの脅威に直面し続けている。

 

マッコウクジラハクジラ類の中で最大、当然歯のある動物では世界最大)

ウキペデイア情報から引用

巨大な頭部形状が特徴。 海の中でシャチが唯一敬遠する動物。 海の王者が誰かというテーマで話題になるのはシャチとマッコウクジラです。 1:1ならばマッコウクジラ、群れの力でとことん戦えばシャチに軍配が上がるとみられています。 

 

和名と香料日本語は、表意文字・ひらがな・カタカナ・ローマ字あり便利

和名「マッコウクジラ」の漢字表記は「抹香鯨」、古代からアラビア商人が取り扱い、洋の東西を問わず珍重されてきた品に、香料であり医薬でも媚薬でもある龍涎香というものがあったが、それは海岸や、海に漂っているものを偶然に頼って見つけ出す以外、手に入れる方法が無かった。 しかし、この香料の正体はマッコウクジラの腸内でごくまれに形成されることがあり、自然に排泄されることもあった結石であり、捕鯨が盛んに行われる時代に入ると狩ったマッコウクジラから直接採り出すことが可能になった。 マルコ・ポーロの『東方見聞録』にはマダガスカル島沖でマッコウクジラが捕獲され龍涎香が採れることが記されている。 この、マッコウクジラの「龍涎香」が、抹香に似た香りを持っていることから、近代日本の博物学では中国語名「抹香鯨」に倣(なら)って、そのまま和名として定着した。

 

マッコウクジラの主食はダイオウイカ

マッコウクジラの主食はイカであり、その中には深海の巨大ダイオウイカもいます。 水深3000mにまで潜ることが可能で、潜水時間は2時間にも及びます。 その潜水能力で深海にいるダイオウイカを探し、超音波を当てて弱らせて、歯で噛み千切ってしまい、1日に1tものイカを食べています

因みに、原子力潜水艦の最大潜航深度は500~700mと推測される。 中には深度900m~1,000mと言われることがあるが、米ソ冷戦時代に建造された超高性能・超高価な数隻の原潜(米・シーウルフ級など)のみ。

 

アルゼンチノサウルス(地球史上最大の動物・恐竜)

この狭い地球に、海ではなく、それも陸上に、超巨大な動物・恐竜がいました。中生代三畳紀に現れ、中生代を通じて繁栄した。 多様な形態と習性のものに適応放散し、陸上動物としては非常に大きくなったものもあったが、約6,600万年前の白亜紀と新生代との境に多くが絶滅した。 原因として地球規模の地殻変動もありますが、最も有力と考えられている仮説は、 隕石衝突説が現在のところ最も有力。 

現存する動物の中では最大は『』のシロナガスクジラですが、なぜか巨大な『動物・恐竜・アルゼンチノサウルス』が『陸』の地上に生息していました。 どちらも地球史に関わりますので、『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ』に考えを巡らします。 

発見されているのは脊椎骨、脛骨、不完全な肋骨、仙骨など一部のみ。 1個の脊椎骨だけで長さが130センチメートルほど、脛骨は155センチメートルほど。これらのデータから全長は約30 - 45メートル、体重は約80 – 100t以上あったと見積もられている。 脊椎骨の大きな突起には巨大な筋肉が付着していたものと見られる。 本種を「存在可能な最大級の恐竜であろう」と考える学者もいる。

動物の大型化は身近な理由は『島ではなく大陸に棲息、または寒い地域に生息』すると大型化する理解していました。 今回の、クジラと恐竜の超巨大化は、地球規模の気候変動・気候変動にも関係がありそうで、今後の調査を楽しみに、今わかっていることを『メモ』にしました。 

 

クジラの巨大化

シロナガスクジラって遊泳速度も速く、こんな巨体でありながらも、時速50km(シャチは、時速80㎞)も出る。 クジラの巨大化は260万年前から続いている氷河期に大発生したオキアミが関係していた。 歯がなく、代わりにヒゲ板という器官で小さな甲殻類のオキアミをこしとるようにして捕食しています。 このろ過摂食と大量のオキアミが、クジラが巨大化した原因だと、いわれています。

 

恐竜の巨大化

恐竜巨大化の原因は様々な説があります。
(1)純粋な恒温動物(体温が一定の動物)ではないため。

哺乳類などに比べて体温を維持するためのエネルギーをそれほど消費しません。その  ため、少ない食事で大きな体を維持することが出来るため、余分なエネルギーを成長に回すことが出来ました。

(2)哺乳類などと異なり、生きている限り成長するため。

これは化石から判断されます。ちなみに、恐竜と近縁である爬虫類にも見られる傾向です。

(3)当時は食料が豊富であったため。

当時は温暖な気候で、さらに被子植物が出現するなど植物が大いに進化した時代でした。 大量の植物が地球上に存在し、恐竜も多量の食事を取ることが出来ました。

(4)巨大化に適した呼吸器系や骨格であったため。

近年の研究で、多くの恐竜に気嚢システムがあることが分かりました。気嚢(きのう)とは肺を補助する器官で、より効率的に酸素を取り入れることが出来ます。つまり、巨大な体は十分な酸素が行き渡ることで形成された、という考えです。さらに骨格について考えると、直立歩行は重い体を支えるのに適しています。爬虫類のようにガニ股なような骨格だと、体重の負荷が足の付け根に来ることは、何となく想像できると思います。この他にも内臓系が強固だったと想定されていることなど、色々な説があります。

まさに、『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ』です。

(記事投稿日:2022/03/30、#509)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』ー西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さんー

2022-03-30 09:07:13 | 読書

             『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』

 『西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さん』

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』著者 高山文彦氏

ウキペデイアから引用

西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。

本はよく読みますが、自分が覚悟して、強い意志で、やっと読み切った本のトップスリーで、トップはなんといっても『苦海浄土』です。

❶苦海浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態) 石牟礼道子著

❷蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく)実態) 浅田次郎著

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還)生存者ナンド・バラード著 

  水俣病の世界を描いた『苦海浄土』の作家石牟礼さんの、2月10日の死去に、舞台となった熊本・水俣では、患者や支援者らが無念さをにじませた。『寄り添ってくれた』患者らは、勇気をもらい作品を通じて水俣病の実態を国内外に伝えた偉業をたたえた。 

 『水俣』を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼さんは、水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。 言いようのない喪失感を覚える作家の死である と言う記事を読みました。 

 違う形で、ケタの違うスケールで作り出されている『人為的な環境破壊』に対する警鐘として、この本を『教科書で紹介すべき』と思うほどです。

  詩人で作家の石牟礼さんの、その広範囲の活動実績にも驚きました。 

先ずは、受賞歴です。

 

 石牟礼さんは文学少女として水俣に育った。10代半ばから歌を詠み、詩作に親しんだ。 結婚し、地元で家庭を持つ。 その文学好きの一主婦が、足元で起きたすさまじい公害事件と出合ったことで、常ならぬ道を歩くことになる。

 水俣病公式確認から3年後の1959年、石牟礼さんは 見舞いのため水俣市立病院の水俣病特別病棟を訪ねた。 そこで見た患者たちの姿に『水俣病事件に悶々(もんもん)たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬ』という衝動にかられる。 そして『苦海浄土』が生まれた。

 

 激しくけいれんし、苦悶(くもん)の爪痕を壁に残した初期患者の悲惨な病状。豊かな海と、漁に生きる暮らしと、地域社会を破壊した公害事件の正体。壊され失われたものへの、いとおしみ…。 それらを、類いまれな表現力で描き出した主婦作家の一冊を通して、多くの人が「水俣」を知った。

 

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』 高山文彦著には、こうあります。

 西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。でも顔は、お能の面みたいに静かなのである。 

ここでいう西のミチコとは水俣の石牟礼道子さんで、東のミチコとは東京の美智子皇后陛下を指します。西のミチコを先に出すのは、すごいですね。『西のミチコが東のミチコにあいました』なら、この順でいいのですが。

 お会いされたのは、東京神田駿河台の山の上ホテル。鶴見和子さんをしのぶ山百合忌においてでした。 とにかくその会で石牟礼さんは皇后の隣りに席を用意され、会が終わるまで二時間ばかり親しく言葉を交わしたのだという。

 その時の、石牟礼さんが抱いた皇后陛下に対する印象は、『あんな知的な女性にお会いしたのは、はじめてです。とてもお優しくて、美しい方でした。 こぎゃんか女性をお嫁さんにもらわれた天皇さんは、偉かです」というものでした。

更に、凄さを感じた『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』からの関連情報・抜粋です。 

2013年10月、水俣を訪れた天皇皇后が、水俣病患者と歴史的な対話をかわされた。そのきっかけをつくったのが、『苦界浄土』をあらわした石牟礼道子。二人のミチコが文学をとおした魂の交感から、数々の秘められたドラマが生まれた。

2014年の歌会始で天皇が詠んだ一首。
慰霊碑の先に広がる水俣の 海青くして静かなりけり
 

2013年10月、「全国豊かな海づくり大会」のため水俣をはじめて訪れた天皇皇后にとり、その旅は大会への参加以上に、戦争にひきつづき果たしてきた日本の惨禍への慰霊が目的だった。水俣でおきた『奇跡』――、天皇の政治利用と非難されることを自ら覚悟のうえで、渋る宮内庁幹部を動かし、極秘のうち実現した天皇皇后と胎児性患者や語り部の会11人との面会。それは美智子皇后と作家・石牟礼道子、「ふたりのみちこ」の深い絆によりもたらされた。
作家・池澤夏樹氏が個人編集し大評判をよんだ『世界文学全集』の中で、日本作品から唯一選ばれたのが、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)だった。本を通して深い信頼関係を築いた「ふたりのみちこ」が、半世紀以上にわたり水俣病と向きあった人々からの「許し」を得るまで。その過程には、水俣病の原因をつくったチッソの社長が雅子皇太子妃の祖父だったという、乗り越えなければならない複雑な経緯もあった。
東京で、水俣で、深く意志を交錯させたふたり。パーキンソン氏病をわずらい闘病中の石牟礼道子は、天皇皇后に面会する患者代表にこう伝言したという。「天皇陛下に伝えてください。大会で放流したヒラメは、もう水俣病になりませんか?」
1965年に熊本の同人誌で知り合って以来、水俣病に石牟礼とともに取り組んできた作家・渡辺京二が語る、政府と公害企業との闘争史も興味深い。

  将に、今そこにある危機は『二酸化炭素排出増加』に起因する異常気象と環境破壊です。 繰り返しになりますが、個人が、70 億人が、すぐに出来ることは、最も有効な; ❶節電  ❷節水、 ❸植樹 、❹買い物用『マイバック』必携、❺出来るだけの歩行移動、でしょう。

(記事投稿日:2018/02/12、最終更新日:2022/03/26、#501)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする