『大ピラミッドのこと 3(ピラミッド群はナイル川の堤防としての構築?)』
『大ピラミッドの底面は海抜59.6m、ナイル川平均水位より約47.0m高い』
『大ピラミッドのこと 2(謎が深まり・夢が残った 2)』に書きましたピラミッドの謎の中の謎、「なぜ建設されたか・Why」について、竹村公太郎氏の「ナイル川西岸だけのピラミッド」はギザのピラミッド3基だけではなく80基、未発見を含めれば約100基。 東岸にはゼロ。 2008年に最新の1基が発見された。 これもナイル川の西岸にあった。この「西岸」への集中は、宗教的理由、西は死、東は生に、あるとも言われる。
ベストセラー3部作「日本史の謎は『地形』で解ける」の著者、竹村氏の新説の検証を考えた時にすぐに思ったことは;
① ナイル川水系の狭い帯状の緑と、
② その東西両側の高地(東)・台地(西)
③ 大きな・綺麗な扇状地(デルタ)と、
④ ナイル川支流が注ぐ海抜マイナス45mのカルーン湖と周辺緑地(写真中
中央の横向きハート形)でした。
このような地形から、何故、「このたびの新説」になったのか検証です。
ピラミッド群のナイル川西岸の配列にこだわった視覚デザイン学の高津道昭氏は、「ピラミッドはテトラポット」であったと推理し、「ピラミッドはなぜつくられたか」(新潮選書)を22年も前の1992-6に著した。
この二人の説は、ナイル川西岸の砂は、ナイル川によって削られ、ナイル川は西へ西へとリビア砂漠に逃げていき、エジプトの穀倉であるナイル川デルタの維持・拡大ができなくなるので、高津氏の「ピラミッドのテトラポットによる堤防構築説」と、竹村氏の新説「ピラミッドによる、からみ工法での堤防構築説」となった。
ナイル川を挟んで、ギザ高台の対面、東側のカイロ市の海抜は15-60m。対して、西側のギザのピラミッド群は、海抜49-63mのギザ台地に立地。
大ピラミッドの底面は海抜59.6m、底面はナイル川平均水位より約47.0m高い。
ナイル川の、平均水位は12.2m、最高水位は20.6m、平常時の川幅約1km、増水時は川幅約10km。
更に、Wikipediaによれば、ナイル川の東はアフリカ大地溝帯の縁の山脈に、よって紅海と遮られており、南東にはガララアルババリーヤ山脈などが際立つ。
ナイル川の「西側」も台地であり、ナイル川が流路を変える可能性は低い。
カイロ市で水の恵みを受けているのは南北に連なる15-20kmの細長い地域(ナイル川水系)だけで、カイロはナイル川の西側の台地と東側の高地が終わる扇状地の扇頂に相当する位置に広がる。
カイロ自体の海抜は15-60mだが、南東の約2km先には、海抜150mのモタッカムモ丘陵がある。
現在のナイル川の本流は、以前は帯状の平野の西側にあったが、それが東側の高地寄りあった支流に移った。 帯状の平野の西側には、以前の本流が支流として残っている。 ナイル川は帯状の平野の中で移動を繰り返してきた。
以上からナイル川の流れはギザ台地のピラミッド群に届かず「なぜ建設されたか・Why」に対する説高津氏の「ピラミッドのテトラポットによる堤防構築説」と、竹村氏の「ピラミッドのからみ工法での堤防構築説」では説明できない。
ギザ台地のピラミッド群を除くその他の西岸のピラミッド群は、どんな立地条件(高度)であるか、これで「なぜ建設されたか・Why」の新説の検証が可能になる。
対象は、ナイル川の支流が流れ込んでいる、ナイル川西方の海抜マイナス45mのカルーン湖付近まで。
このカルーン湖には、ナイル川に並行するナイル川の支流が流れ込んでおり、このナイル川沿い西側台地の切れ目が海抜26-27mと低い。
ナイル川西進の心配はこの切れ目だけ。 砂漠の中の海抜マイナス45mのカルーン湖がなぜ塩水湖にならないのか興味は尽きない。
関連情報として「縄文海進(海面上昇)」があるが、新説検証への影響は小さいと判断した。
ピラミッドが建設された時代、その当時の地球の気温は現在より高かった。そのため、地球の海水は温められて、体積を膨張させていた。 陸上の氷河も溶けて海に流れ出していた。 その結果、地球上の海面は現在より約5m高い程度であった。この現象は日本では「縄文海進」と呼ばれている。
ギザ台地のピラミッド群を除くその他の西岸のピラミッド群は、どんな立地条件(高度)であったか。 Google Maps 標高表示(V3 APi版)で調査結果
Pyramid of Djoser : 海抜59m
Red Pyramid : 海抜65m
Bent Pyramid: 海抜57m
Pyramid of Saqarah: 海抜56m
その他、残りの70基以上のピラミッドの立地条件調査は,、今後の課題として以上の調査結果からピラミッドは「なぜ建設されたか・Why」への自分の結論は「新説」とは異なり「宗教儀式神殿説」で、“変わらず”、でした。
(記事投稿日:2014/10/13、最終更新日2022/07/26、#074)