知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 02)』『比較した国、日本・台湾・韓国・中国・英国・独国・仏国・米国・全世界』

2022-11-20 17:40:45 | 政治・経済

『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 02)』

『複雑極まる、グループ・型・株では、スペイン風邪対策同様の自然終息待ち?

                                                              

傘寿世代としは、貴重な余生を、3年近くも、活動を制限された生活を強いられています。 特にボケ防止に有効な『カラオケ』は、いくら勇気があっても家族からは厳禁で、諦めています。 表題を久しぶりに備忘録にしました。

 

この度の本当に厄介な感染症は、日本では『新型コロナウイルス感染症』と呼ばれ、報道されていますが、世界中で、WHOの定義、病名が『COVID-19』、ウイルス名が『SARS-CoV-2』で使われています。 感染予防を徹底させるには、関係者は状況を、PPM(パーツ・パー・ミリオン)数値とその傾向・経緯を、一部の他国との比較で報道したらいかがと思います。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(2022/11/19)

7日間の新規感染者数(人口100万人あたり・PPM)2022/11/19現在

(新規感染者数PPMは、7カ国中の中國・仏国・日本・米国が世界平均以上、台湾情報なし)

World

363.7

112.2%

China

101.3

222.1%

France

3354.6

148.3%

Germany

2050.2

82.1%

Japan

4611.2

116.5%

South Korea

7105.2

102.4%

United Kingdom

343.7

97.0%

United States

912.6

116.9%

パーセントは先週比
2021年人口

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(2022/11/19)

 

7日間の新規死者数(人口100万人あたり・PPM)2022/11/19現在

(新規死者数PPMは、7カ国中の、仏国・韓国・米国が増加、台湾の情報なし)

7日間の新規死者数(人口100万人あたり)2022/11/19現在

World

1.3

116.2%

China

-0.2

- %

France

7.5

124.9%

Germany

12.2

97.3%

Japan

4.4

103.4%

South Korea

7.1

124.9%

United Kingdom

9.8

- %

United States

7.1

127.0%

パーセントは先週比
2021年人口

 

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

 

『COVID-19』は、スペイン風邪対策が参考になるかと思い、調べてみました。

スペイン風邪の世界的な流行は、大きく分けて、1918年の春にはじまる第一波、1918年の秋にはじまる第二派、1919年の春にはじまる第三派という三つの流行の波に分かれていく形で感染拡大が進行、スペイン風邪による死者の多くは、ウイルスが『強毒株へと変異』した後の第二波と第三波の感染拡大の時期に発生することになったと考えられています。

 

防疫対策などを通じて人間の社会における社会活動が停滞していくことにより、ウイルスが次第に効率的に感染を拡大する場を失っていくことによって、スペイン風邪の流行は徐々に終息へと向かっていくことになっていったとも考えられることになるのです(この度は、このような楽観視はできないようです。)

 

感染者が第六波で急増したが第六波まで抑え込んできた台湾は、中国武漢から最も近いにもかかわらず、当初は成功しましたが、最近はずいぶん厳しい状況になっています。 『ITによる徹底した水際対策と、陽性者把握・隔離と、三密回避』だけでは、どうかという観点から、日本がもっとも苦手な総括的検証が必要かと思えます。

 

いろいろな統計表や、グラフが発表されていますが、このCOVID-19は強力で、第1波から、第7波まで、簡単には判断できないほど、世界中の各国・地域に各々、複雑な展開をしています。

 

台湾の人口は、2354万人で、韓国の5165万人の半分弱で、人口密度も大差はありませんが、コロナ禍が始まったころは、韓国も、台湾・ドイツと並び、優等生でしたが、最近は、『韓国』『台湾』が急増です

 

以前は、日本も『日本のコロナ対策はミステリアス』、「ジャパンミラクル』とか言われていますが、今は,一部の海外の関係者から、日本の関連数値に疑問が出始めています。

 

この記事内容を思い出して、今迄の対策の『総括的評価』をやって頂き、最近、急に、日本で猛威を奮っているのは、どの、グループ・型・株、でしょうか。 厚生労働省HPには、各種の数値が発表されていますが、さて、この度の『COVID-19』は、浅学菲才のズブ素人には、ただ混迷だけです。 関係者の皆様には、欧米の抑え込んでいる国々のいいところは、ご参考にしていただき、更なる対策と改善をお願い致します。

(記事投稿日:2022/11/19、#603)

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『日本は凄い・日本人は凄い (石舞台古墳、天皇家と蘇我一族)』『蘇我入鹿は影の天皇とまで!(系図は稲目―馬子―蝦夷―入鹿)』

2022-11-20 14:49:00 | 歴史・日本

『日本は凄い・日本人は凄い (石舞台古墳、天皇家と蘇我一族)』 

『蘇我入鹿は影の天皇とまで!(系図は稲目―馬子―蝦夷―入鹿)』

『更に凄い系図、孝元天皇・・武内宿祢・・蘇我満智・・蘇我高麿―蘇我稲目』

 

今こそ『頑張らなければいけない、日本は・日本人は』ですが、やはり『古代日本は凄かった・古代日本人は凄かった』特に縄文人は、それに続く天皇家と蘇我一族についても知りたいことが沢山あります。

 

古墳時代では、古墳が権力の象徴のように見えますが、最近は、形と大きさだけで、権力の大きさ、判断はできないことが分かりました。 先ずは蘇我馬子の石舞台古墳です。 本来なら石室の上に土盛りがされていますが、今は石室の上部が出ており、石舞台などと呼ばれていますが政敵にあばかれたものです。 日本史上、最大の石室を持った蘇我馬子古墳を再現して頂きたいとものです。

 

先ずは、77トンと、60トンの石材を天井石に積み上げた、石舞台古墳・蘇我馬子古墳を、初めて見た時、特に石室内部を見上げた時には、その構造に驚いた記憶があります。

 

石舞台古墳全景

ウキペデイア情報から引用

 

石室側面

ウキペデイア情報から引用

 

石室出入口

 

ウキペデイア情報から引用

 

石室内部

 

ウキペデイア情報から引用

 

日本史には、弥生時代と飛鳥時代の間に、世界でも珍しく古墳時代と呼ばれた時代がありました。 古墳時代は、3世紀中頃 ~ 7世紀頃ですが。 およそ16万基は建設されたようですが、当時の日本の人口は500~600万人ですので、この古墳建設のエネルギーはどこから来たものか、楽しみな今後の課題です。 古墳と蘇我一族の凄さを少し調べました。

 

古墳の時期区分

時期       前期        中期       後期

        3世紀後半       4世紀末        5世紀末  

               ~4世紀後半      ~5世紀後半      ~7世紀

  

分布        近畿中央部       近畿中央部から    全国に拡大

                    各地へ

 

形態    近畿中央部は大規模な  前方後円墳巨大化    近畿中央部は大規模な

      前方後円墳       周囲に堀や陪塚       前方後円墳

 

内部   竪穴式石室       竪穴式石室      横穴式石室が

構造   粘土槨・木棺・石棺   木棺・石棺      全国に普及

 

実例   ホノケ山古墳      大仙陵古墳      石舞台古墳

     (奈良県)       (大阪府)      (奈良県)

      箸墓古墳        誉田御廟山古墳    藤ノ木古墳

             (奈良県)       (大阪府)      (奈良県)

 

主な   ヤマト政権成立       5紀の初めから       527年 磐井の乱

出来事                約1世紀の間、

                  倭の五王が中国の

                  に朝貢

    391 倭軍が百済・                  592年 推古天皇即位

    新羅を破る

 

石舞台古墳;権力者・蘇我馬子(墓説)は前方後円墳ではなく方墳

箸墓古墳(奈良県):卑弥呼の墓と推定されるが、邪馬台国北九州説?

磐井の乱;磐井の乱は、527年に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。

 

日本の古墳の形は大きく分けて前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4つに分類されます。 古墳時代は大和政権により墓制(埋葬の風俗・風習)が敷かれていてこの中で最も高いランクに位置付けられていたのが前方後円墳です。 前方後円墳は3世紀中ごろに成立した形で大王やその一族、大和政権と密接な関係の地方の有力首長が埋葬されています。 前方後方墳は3~4世紀に流行した形でルーツは東海地方西部と言われています。

 

前方後円墳は3世紀ごろから造られ始めて5世紀には岩手県から鹿児島県までに広まっていきます。 そして前方後円墳は7世紀初め頃には造られなくなります。 大きさは墳丘長、10mのものから数百mのものまであります。
大阪府大山古墳(仁徳陵古墳)の大きさは墳丘長、486mもあって面積ではエジプトのクフ王のピラミッドよりも大きいのです。

 

 身分の差と時期によって異なる古墳の種類  ウエブ情報から引用

古墳は、時代によって築造された、その形状が異なる。 前方後円墳や前方後方墳は古墳時代の初期から見られ、後期にあたる6世紀まで築造されていた。また帆立貝(ほたてがい)式古墳は、前方後円墳の変形あるいは円墳の変形であるが、5世紀を中心に築造されたものであった。 円墳と方墳は初期から古墳時代の終末期である飛鳥時代まで続くものである。 ちなみに最も多い形は円墳であり、全国に20万基ともいわれる古墳のほとんどを占める。


その他には、数が少ない特殊なものがいくつかあげられる。双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)は前方後円墳の変形で、前方後円墳に方の段が取り付いたものであり、前期に見られたもの。一方、双円墳(そうえんふん)には後期の例がある。上円下方墳や八角形墳は時代が下った7世紀代に見られる形で、八角形墳は天皇陵と見られるものであった。

 

蘇我一族の系図

(日本史を選択せずとも知っていたこの系図、稲目―馬子―蝦夷―入鹿)

ウエブ情報から引用

 

政権争いの結果、政敵に破壊されてもこれだけ残った別名『石舞台』の巨石の方墳墓、大化の新政権は蘇我宗本家の旧政権否定から始まり、飛鳥京の上方部の馬子の巨大墳墓の破壊から開始された。

 

蘇我馬子墓、『説』、と言われるが三重中京大学のコンピュータ―画像解析で、石室内部の羨道の玄門上部に、馬と子の字の半分が読めた。大宝律令条文にも、『墳墓には碑文を立てよ』とある。

 

欽明天皇(571年2月没)の円墳が先で、蘇我馬子(626年5月没)は後で方墳。 これも馬子墓説の裏付けの一つ。 著名の考古学者曰く、『歴史に確実はないが、定説でいえば、・・・』、とあり、これは蘇我馬子の墓が確実に近い、定説と言えそうです。 蘇我一族の祖先の渡来人説調査は楽しみな課題です。             

(記事投稿日:2022/11/20、#602)

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