『世界と日本の奇石・奇岩 1『五島列島・野崎島の王位石』
『日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、五島列島はかなりの関連が!』
世界遺産としての野崎島と古代の神道とは関係がないのでは、と思われるかもしれません。
しかし、実はそうでもないのです。
キリシタン集落である舟森集落の始まりは、江戸末期、小値賀で廻船問屋を営んでいた人物が、たまたま逃亡中のキリシタンの親子と遭遇し、舟森に開拓者として住まわせたことがきっかけだったのです。 時代が時代ですから、相当勇気のいる行為だったと思います。 以来、舟森の人たちは代々その家の人々を「だんな様」と呼んだそうです。
つまり、元から野崎島に住む氏子さんたちや沖ノ神嶋神社の宮司さんは、潜伏キリシタンだと知って迎え入れ、禁教令が解けてカトリックに復帰するまで見守り、助けたということになります。
一神教的排外主義とは正反対のこの寛容性は、過激な宗教が横行する現代、日本が世界に誇るべき宗教文化だと思うのは大げさでしょうか?
そしてそのシンボルである王位石は、あまりにも謎めいていて、天然か人工かさえ明らかになっていません。 しかし国内のさまざまな巨石信仰を見てきた経験から言えば、こんなものが天然にできるわけがないと思います。
おそらくは、自然に露出した立石を利用して、上部は人工的に乗せたものだとしか考えられません。
最近の日本・日本人を思うと、古代の日本・日本人は凄いと思い始めていたこの頃です。 日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、この五島列島はかなり関連がありそうです。
先日、NHKBSプレミアムで、長崎県五島列島の野崎島を紹介していました。
昔、五島列島出身で、時々トライアスロンに参加する職場の仲間のアスリートが言っていました『五島列島に橋が架かった』と。 無知な自分は、暢気なもので、この橋が、九州本島と五島列島を結ぶものと当時は理解していました。
五島列島は、上五島と下五島(と、佐世保市の1島、小値賀町の2島、西海市の2島を含む)140余島からなり、又、五島列島には、2橋あります。 中通島と若松島結ぶ若松橋と、福江島の土岐湾口を跨ぐ土岐橋です。 『橋の開通直後の交通量は極少ない』とも、友人は言っていましたので、その橋は、大規模な若松橋です。
地理も地名もヤヤコシク、ウェブ情報には、こうありました。
野崎島は、五島列島小値賀島東端の約2km東に位置する。 一般的には五島列島に含められることが多いが、長崎県では小値賀島も含めて平戸諸島の一部としている。
この野崎島の世界遺産の奇石『王位石・おえいし』のウェブ情報です。
沖の神島(沖ノ島ではありません)神社社殿の奥には、古来より「おえいし」と呼ばれている巨石がそびえたっています。 頂上までの高さ24メートル、両柱の端から端までの幅 12メートル、頂上テーブルの広さ5メートル ×3メートルというとても大きなものです。 自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神島明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。(世界に巨石遺跡は沢山ありますがこの『王位石・おえいし』は自然石の奇石と信じていますが?)
2018/10/27新たに世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。 構成資産の一つである野崎島はご神体が鎮座する神の島として知られていました。
奇石『王位石・おえいし』遠景
奇石『王位石・おえいし』近景
これが世界遺産の一角です。
これからは日本人のルーツとか、遣唐使について調べる楽しみな課題ができました。 グーグルマップの空中写真で最大に拡大すると、この王位石のトップ(5mX3ⅿの長方形)と 沖の神島神社の社殿の屋根がはっきりと見えます。
この野崎島の人口は、1950年代中頃には中央部の野崎、野首、舟森の3集落で合わせて650人以上で暮らしていたが、高度成長期の集団離村などで人口は急減、1990年代は無人島で、休日には管理人がいたので『人口休日一人』と言われていたが、2007年からは野崎島自然学術村の管理人(教会等の案内人を兼ねる)の駐在で、以降は国勢調査で一世帯一人の常駐者が記録されている。 人口減少問題は根が深いを再確認することになりました。
(記事投稿日:20190927、#120)