知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『世界の城郭・宮殿 030(ニュルンベルグ城、深さ50ⅿの井戸』 『カイザーブルク(皇帝の城)と、ブルクグラーフェンブルク(城伯の城)』

2023-04-27 10:57:48 | 城・城郭・城塞・宮殿

『世界の城郭・宮殿 030(ニュルンベルグ城、深さ50ⅿの井戸』

『カイザーブルク(皇帝の城)と、ブルクグラーフェンブルク(城伯の城)』

 

ニュルンベルグ城(海抜309ⅿ、標高差100ⅿの山城)

12世紀には何度か包囲されて城壁を破壊されていますが落城はしていません。

ウエブ情報から引用

ウキペデイア情報から引用

 

ドイツバイエルン州ニュルンベルグ市のランドマークで、カイザーブルク(皇帝の城/左)と、ブルクグラーフェンブルク(城伯の城/右)の2つの城からなる。

城伯;フランク王国崩壊後の神聖ローマ帝国において、城塞 の司令官を意味する城伯は有名無実の公職になり、称号のみが帝国の封建諸侯によって世襲され、王室に準ずる地位を表した。

 

ニュルンベルク城は、皇帝たちが一時的に滞在していた帝国城砦の一つにすぎません。 しかし、帝国や連邦の首都がなかった時代、毎年のように皇帝が訪れ、大きな意味を持つ政治的決定の場として、また、選挙で選ばれた国王が最初の帝国議会を招集する場でもありました。

 

中世後期のドイツ国王選挙後の最初の帝国議会はニュルンベルク城で開かれる事になっていた上に、 皇帝が即位するために必要なレガリア(日本の皇室でいうところの三種の神器みたいなもの)が、ニュルンベルク城に保管されていました。

 

とはいえ、ドイツ国王の力は中央集権の進んだイギリスやフランスに比べるととても弱く、その辺の諸侯とたいして変わらないのですが、それでもやはり地位は神聖ローマ皇帝。

 

馬上槍試合用の武器や甲冑は、ほとんどがニュルンベルク製です。 ニュルンベルクには鍛冶屋の職人組合があり、甲冑を生産していました。 ニュルンベルクは甲冑生産で有名な都市。

 

ジンヴェル塔

13世紀後半に建てられたもので、大空位時代が終わってから(1273年)大規模に改築されました。 この地域では珍しい、平面が円形の塔です。 丁寧に加工された背丸角石で全体が構成されています。 ベルクフリートらしく、居住機能は全くありません。

ベルクフリート;日本では『天守』とか『主塔』とか訳されている。 城の中には、複数のベルクフリートがあるものもあります。 ドイツの城の重要な基本構成要素の一つとなっており、城のシルエットを決める要素です。

 

井戸小屋

井戸小屋が文献に登場するのは14世紀になってからのことですが、井戸そのものはそれ以前から存在していたことは明らかです。 城に必ずしも井戸があるとは限らないけど、水源のない城というのは考えられない。

井戸は、50m以上あり、最上部数mのフレームだけが砂岩角石で固められており、水位のすぐ上に、清掃作業用のニッチ(棚)があります。

 

ニュルンベルグ城の井戸(深さ50ⅿ)

ウエブ情報から引用

 

ここで余談、日本にもありました山城の深い井戸。 

  • 京都府の福知山城天守の入口前に「豊磐井」(とよいわのい)と呼ばれている大型の井戸、深さ50ⅿ。 

愛媛県松山城本丸の台地にあるのが本丸井戸、深さ44ⅿ。 本丸の台地はもともと南北に長かったわけではなく、実は南峰、北峰の峰があり、その谷間・鞍部を埋めて細長い台地にしたもの。 元の谷間・鞍部にあった泉を井戸にしたのでこの深さになったと言われています。

 

山城には『水・井戸』が、洋の東西を問わず肝要なようです。 山城の井戸は興味は尽きません。

(記事投稿日:2023/04/27、#652)


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