『岸恵子と力道山、高名な、二人が、お互いに認識なしで、パリの空港で遭遇』
『この遭遇の後に、映画『力道山 男の魂』でお二人は共演、異業界では稀』
ウエブ情報から引用
『日経文化欄の私の履歴書 岸恵子』、大部屋女優(時代もあったが、全く知らなかった)が知らぬ間に、大抜擢されて大女優になった。 その波乱万丈の『私の履歴書(連載中)』の抜粋です。
野村芳太郎監督の『亡命記』が55年に、シンガポールで開催された東南アジア映画祭の出品作となり、令夫人から神戸の日雇い労働者に落ちぶれるまでを演じた私は、そこで最優秀女優主演賞を頂いた。
『1955年6月に来日したデビッド、リーン監督は、次回作『風は知らない』に主役に私を抜擢したことを正式に発表した。 その時の大みそかに、私は英語をマスターするためにロンドンに立った。 南周りで7つの国を回り、7つの初日の出を見た。(この記憶と感性には只々感心、疲れ知らずの心身も強靭)
冬のパリの雪に煙った凱旋門を見て、横浜育ちの岸恵子さんは言います。
『なんと美しくて寂しい街なのだろう。こんなところに私は住めない』と思った。1年半もたたずにパリの住人になろうとは夢知らず・・・。 『風は知らない』はプロデューサーの急死により中止となってしまった。 その私に『亡命記』を見たというフランスのイブ・シャンピ監督から『長崎の台風』の出演依頼の電報が届いた。 彼の『悪の決算』を2度も見て感激していたので、急きょ、フランス語習得のため、パリに移った。 目まぐるしい変化に私の好奇心は燃えた。
大船撮影所からロンドン、ロンドンからパリ、英語からフランス語へ――。
驚いたことに、出演が決まった『長崎の台風』のプロデューサーから、額は忘れたが莫大な出演料の一部を頂いた。 それを3カ月滞在のパリで全部使い果たしてしまった。 帰国の日に、エールフランスのカウンターで、私は必死に抗議していた。
のみの市で買い集めた大量の骨董品のせいでひどい超過料金を請求された私は、すでに文無しで。 隣に英語でチェックインする大きく強そうな人がいた。
『お隣の男性、私の体重の3倍はあると思います。 私と荷物を全部合わせても、彼の体重にもなりません』
『体重と荷物は別です』
必死の陳情の末、日本で後払いすることで決着した。
後に、『忘れえぬ慕情』(『長崎の台風』から改題)の撮影中だった私に『僕は朝鮮人です』という手紙が届いた。 『僕はあなたがパリの空港で「私の体重の3倍はある』と抗議なさったときの男です。 力道山と言います…。
プロレスというものを見たことはないけれど、この頃の私には摩訶不思議な偶然や出会いが重なった。
パリ空港のエアフランス チェックインカウンターでの岸恵子さんのユーモラスな会話、その後、力道山さんの手紙から思うに、この高名な大女優と稀代のプロレスラーで興行師のパリ空港での遭遇が映画のワンシーンのように想像できます。 連載中の『私の履歴書』ではまだふれてはいませんが、たぶんこの後も触れないでしょう、この遭遇の後に、映画『力道山 男の魂』でお二人は共演しております。 自分のブログ『史上最強の柔道家・木村政彦 vs 元関脇で稀代の興行主・力道山』と『木村政彦は力道山より強かった』では木村政彦さんに肩入れしていますが、力道山についても、もう少し調べてみようと思っています。
(記事投稿日:2020/05/15、最終更新日:2024/12/12、 #165)
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