『塔(継承と改革・息づく匠の精神) 5(十五重の石塔が意味するもの)』
『十五重の石塔は非常に珍しく、世界唯一! 他に、あるかが課題?』
『前田利常公由来の小松天満宮に、貴重な十五重の石塔が存在』
この度は、世界で唯一ともいえる『十五重の石塔は非常に珍しく、世界唯一!』を調べる中で分かりました。 天満宮のこと・菅原道真のこと・北陸の雄藩『加賀藩前田家』と天皇制との関わり合い等、日本歴史の奥深さと、『凄さ』を知りました。
梅原猛著の『塔』への興味を、まだまだ追いかけます。 仏塔の源流は仏舎利を納めるインドのストゥーパ。 大陸や朝鮮半島には、古い木造仏塔が現存せず来歴がはっきりしない、大切なのは『相輪』であり、塔の木造部分は単なる土台だと表現される。
『相輪』は、仏塔の頂上の飾りで,インドの後期ストゥーパに起源。 木造塔では青銅製、鉄製が多い。 構造は伏盤、伏鉢、請花、九輪(宝輪)、水煙、竜車、宝珠からなる。
十五重(じゅうごじゅう)の石塔『小松市の文化財』
種別 小松市指定文化財 建造物
指定日 昭和40年11月3日
所在地 小松市天神町(小松天満宮)
この石塔は、小松天満宮の本殿に向って 右にあり、総高は 7.24m。 加賀藩の重臣・本多政長が書いた『梯天神 霊験記』にこの石塔の存在が記されており、 石塔が明暦3年(1657)の小松天満宮の創建と同時期に建立されたものであることが分かっている。 石材は現在の金沢市坪野町で産出される 流紋岩(坪野石)である
ウエブ情報から引用 ウエブ情報から引用
流紋岩(坪野石)は,花こう岩と同じく,ケイ酸分 (SiO2)を多く(70%前後) 含む粘っこいマグマからできるが,花こう岩はそれが地下深部でゆっくり冷えて固まってできるのに対し,流紋岩はそれが地表付近で急に冷えて固まるなど,主に火山活動でできる。 流紋岩はきめが細かく,堅く,水がしみ込みにくく,侵食作用に耐え,丘陵地を構成する場合が多い。
この石は黒色で 石質が非常に硬く、茶臼や薬研に重用され たが、利常の時代からは、藩主専用の石材とされ、藩用以外の採掘が 禁じられていた貴重なものである。 初層軸部は、高さ・幅とも 88 センチで、 頂点を大きく面取りし、中央には円孔が穿うがたれる。 その上に重ねられた15層の屋根は上部にかけて徐々に幅が小さくなり、軸の内部には空間を作り、柱を通している。 通常仏塔では三重や五重、七重の塔が一 般的であり、十五重の層を重ねた塔は日本 では他に例を見ない。 他に類例の見ない意匠と、7メートルを 超える十五層の石塔を直立させる高い技術 は貴重なもの。
小松天満宮の社地内には紅白合わせて100本ほどの梅が植えられていて、3月初旬にはほんのりと梅の香を漂わせる。 現代では日本の花といえば「桜」を思い浮かべる人が多いかもしれないが、古代の日本人にとって花といえば「梅」だった時期がある。 万葉集ではハギについで梅が多く歌われ、百余種収録されており、桓武天皇が平安遷都をした際に紫宸殿の前に植えたのも最初は梅だったようだ。
古代から日本人に愛された梅だが、最も梅を愛した日本人として有名なのが菅原道真公かもしれない。 菅原道真が、901年に大宰権帥(だざいのごんのそち)に任ぜられ、京を発つ際、邸宅(紅梅殿)に植えてあった梅に『東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』と和歌を詠むと、後年、梅は道真を慕って京から太宰府まで飛んでいったという話は、飛梅伝説として有名。
黒岩重人氏の『十五重の石塔の意味するもの「陰陽五行の視点から」』抜粋と引用
❶この塔は、何の為に建てられ、それは、どのような意味を持つもの
「小松天満宮等専門調査報告書」では、この塔について、次のように述べている。「塔というものは本来仏寺に於いて建てられるもので、釈迦の墓を表わす相輪を受ける台なのである。 ここでは相輪が無くそのかわりに宝珠をのせている。 七重、九重、十三重迄は多く造られたが、十五重と云うのは非常に珍らしい塔と云えるものである。
相輪をのせずに宝珠をのせると云う事は、ここでは塔本来の意味を失ってしまってあくまでも境内の荘厳の為の一つの飾りとしての塔が造られたものと見た方が良いのである。
つまり、
1)十五重の塔は、非常に珍しいものであること。
2)相輪をのせずに宝珠をのせると云う事は、仏塔としての意味を失っているということ。
3)したがって、この塔は、境内の荘厳の為の飾りとして建てられたものである。
と言うのである。
❷塔の建っている位置と、塔の形状
社地の中央にあるということは、この塔が、天神の聖なる空間の要であるということである。 易のことばで言えば、太極であるということであり、河図・洛書の中央の位を象ったものであると思われる。
ところで地は、厚くして万物を上に載せ、その形は四角である。 天は、地を覆いてその上を巡り、その形は円である。 台座の正方形は、地の方正なるに象ったものであり、その上に置かれた円盤型は、天の円形に象ったものであろう。
「天は円にして、地は方」という考えは、中国思想の伝統的な世界観である。 古くは、古墳時代の前方後円墳も、この世界観によるものである、と言われている。また近くは、昭和天皇の御陵も、方形円墳と聞いている。
十五重の塔の形も、それらと同じように、「天円地方」の世界観のもとに、天地を象ったものであろうと思われる。 そしてそれは河図の中央の数「天五・地十」を暗示しているといえよう。
❸塔の位置が社地の中央、形が、天地を象ったもの1)易の蓍策の数
太陽の数九と、太陰の数六を合わせると、十五。 少陰の数八と、少陽の数七を合わせると十五。 つまり陰陽相対峙するものを合わせると、十五の数になる。
十五とは、天(陽)と地(陰)の合した数なのであり、これも又、天地を象ったものである。
2)河図の数河図における「十五」の数とは、それはとりもなおさず、中央の生数五(天)と成数十(地)を合わせた数であり、五行においては、五も十も共に土の数ということになる。
3)洛書の数
洛書とは、むかし禹王が、これも伝説上の人であるけれども、水を治めるときに、洛水から神龜が出で、その背にあったという文様のことである。 それには一から九までの数が画かれてあり、禹はそれに則って、九疇(天下を治めるための九つの大法)を定めた、とされている。
❹十五重の塔に秘められた意味
1)社地の中央に建てられており、「中央の土」に象ったものであること。
2)その形は「天円地方」の天地を準えたものであること。そしてそれは、河図の中央の「天五・地十」の数を導き出すものであること。
3)そして「十五」の数は、太陽(天)と太陰(地)の合数であり、更にそれは河図の「天五・地十」の数、および洛書の鬼門線の八・五・二の「土気の数」に基づいていること。 そしてこれらの3点は、結局のところ一つのことに集約することができる。それは、
4)、この十五重の塔の建てられた目的は、天神の聖なる空間を護るためであること。
小松天満宮の社地は、低地の湿地帯に盛土をして造成したものであることは、ボーリング調査によって明らかにされている。強固な地盤では無いが故に、社地を水気から護る必要がある。「水気」に対抗するには、「土気」を強めなければならない。五行においては、「土剋水」と、土気は水気を剋し、勝つことができるからである。
もともと洛書は、禹が洪水を治めた功によって、天から授けられたもの、と伝えられている。その洛書に則って作られたこの十五重の石塔が、治水の目的をもっているということも、不思議なことではないであろう。
天満宮には、現在梯川の治水の為の、移転問題がふりかかっている。 治水のシンボル的存在としての「十五重の石塔」を動かして、「治水を!」と言うのは、本末顛倒も甚だしいということになりはすまいか。
『塔』への興味はまだまだ続きます。
(記事投稿日:2022/09/07、#570)
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