『ナスカの地上絵-4(紀元前200年から紀元600年頃の絵、由来の説はいろいろあるが、「一筆書きの絵」は雨乞いの祈りの歩道!)
と、ほぼ納得したが、最近の専門家の先生方の調査でさらに謎が?』
『画像は、初めの「動植物の絵」(雨乞いの歩道)→「幾何学模様」(雨乞いの歩 道)→「直線」(雨乞いの歩道・水源表示)への変遷か?』
ハチドリの地上絵
ウエブ情報から引用
『雨乞いの祈り』の歩行はどこから始めても歩行開始地点にもとれる、まさに一筆書き歩行ができます。
『温暖湿潤気候の日本でさえも、1~2世紀前頃までは、田圃の中に水神様が沢山祀らおり、雨水頼みで、その数は「八百万」以上?』
『因って、ナスカの地上絵は「何のために描かれたか・Why?」の由来は沢山ありますが、ずばり一つ、雨乞い儀式利用の「雨乞い説」?』
世界の八番目の不思議と言われるナスカの地上絵は,南米ペルー南部の海岸に近い岩石砂漠に約2,000年前に描かれていましたので、まだ最近の発見です。 1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見されました。 その後ドイツの女性数学者、マリア・ライヒェ氏が終生この地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。
地上絵の全体が分かる衛星画像
ウエブ情報から引用
右側が北で、広大な大地に無数の直線が描かれていることが分かる。 なお動植物を描いた絵はこの写真では小さすぎて確認できない。 北にある川の対岸には、『パルパの地上絵』エリアがあり、ここにも多数の地上絵がある。
パルパの地上絵
地上絵は、ナスカ(約2000年前)とパルパ(約3000年前)とでは微妙にデザインが違っていて、パルパは幾何学模様が多い傾向にあり、『ファミリー』といった人間をモチーフにしたと思われるデザインも有名。 ナスカの地上絵は、動物から昆虫、花、木々、模様、巨人など、テーマはさまざま。 ちなみに、2022年にはいよいよネコをモチーフにしたデザインも発見されています。
ナスカの地上絵はどのように描かれたのか?
有力な説は『拡大法』ですが、拡大法は紐を真っ直ぐ張った状態でなければ描写できないため、200メートル以上の地上絵を描くのは難しく、200メートルを超える地上絵の詳しい描き方はわかっていません。
ナスカの地上絵は何のために描かれたのか?
『カレンダー説』
構成する直線には、意図的に太陽と星の動きを表しているものがあり、農業用のカレンダーとして描かれたという説。 ですが、この説だと、他の地上絵の線はいらないですし、何のためにあれほどまでに大きな絵を描いたのかも謎。
『巡礼に関する役割説』
古代の人々はナスカの地上絵を歩いて渡り、聖なる場所に向かったという説ですが、どこが聖地であったか不明。
『水のありかを示していた説』
ほとんど雨が降らないナスカでは、地下水に頼って生活する必要がありましたが、現在までには、地下水と直結した確証がない。
『灌漑、水のコントロールに活用された説』
米国のGregory Charles Herman博士は、ナスカに書かれた大量の直線と多くの台形および長方形が「水の流れをコントロールするため」に作図されたものである可能性を指摘した。 しかし水路にしては線が浅すぎる、線のネットワークが多すぎることがこの仮説が支持される可能性を低くしている。
『権力者の埋葬説』
ナスカ文化では権力者が埋葬された際、地上絵をひとつ描いたという説。ナスカ文化では死者は太陽に帰るとされていて、太陽に向けて地上絵を描いたのだとか。
やはり、『確信』できる説は『雨乞い儀式説』
ナスカは地球上で有数の乾燥地帯なので、雨乞いのために描かれたという説。地上絵の中にクモを描いたものがあり、クモは雨を象徴するものだったと言われています。 が、ナスカの地上絵には『水源を確保する』といった実用的な機能はないので、古代の人たちが宗教的な意味合いで地上絵を描き、そこを歩行し、祈り雨乞いした可能性はありそうです。
ナスカの地上絵といえば、鳥・魚・昆虫等動物の絵(一筆書き、これが雨乞い
❶動植物の絵が、70個以上、ナスカの地上絵と言えば、動物や植物を覚えていますが、大きいものは、長さ370ⅿ近くないなる地上絵も存在します。 不思議なことに、サボテン、トカゲ以外は、岩石砂漠にはあまり縁のない、蜘蛛、猿、クジラ、カモ、花、樹木、犬、ペリカン、シャチ、ラマ、ハチドリなど描かれています。
❷幾何学模様、300個以上が見つかっています。
❸直線800本以上(交点がある)、その中には、48㎞の長さに及ぶものがある。 三角形、長方形、台形などの基本図形に、螺旋模様、矢印、ジグザグ模様、波線など、
ナスカの地上絵は、地上からは何も分からないが、空から見れば分かる。 何のために描かれたのか? アンデス文明は 紀元前2500年から紀元1532年まで、ナスカの地上絵は、その間の紀元前200年から紀元700年頃までに描かれたもの。
さて、最後に一番多い『❸直線800本以上(交点がある)、その中には、48㎞の長さに及ぶものがある』です。 今後の課題は、『ナスカの地上絵は、紀元前200年から紀元700年頃までの、約千年にわたって描かれたもの』、この順序が
『動植物の絵』➡『幾何学模様』➡『直線』であれば、ナスカの地上絵は、海抜520ⅿ前後の岩石砂漠に住んだナスカの人々が、水を入手することが難しく、その水をどうにかして確保したいという『思い』ナスカの地上絵が描かれる理由になったという説です。
とにかく古代史は、分かったような錯覚に、簡単に陥りますが、毎度のことで、やはり、謎ばかりです。 とくに直線は、二点間を結べば簡単に描けますが、数十キロの直線は何に使ったのでしょうか。 傘寿+3には重い宿題・謎です。
(記事投稿日:2024/11/04、#974)
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