知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『山は美しい 8(登りそこなった山は、傘寿には遠い、平ヶ岳』 『東北の山々には、穏やかな平頂と池塘が多く魅力はあるが、遠い』

2022-03-13 23:15:22 | 山・山岳

『山は美しい 8(登りそこなった山は傘寿には遠い、平ヶ岳』

『東北の山々は穏やかな平頂と池塘が多く魅力はあるが、遠い』 

半世紀も昔のこと、高校が晩から男子校でしたので、ボクシング部までも、ありました。 各運動部は大柄新入生をつかまえては、手っ取り早く測定できる基礎体力を測定して、勧誘しておりました。 自分は肺活量・握力・立幅跳びでは、数値が突出していましたので、いくつかの運動部から声がかかりましたが、2時間近い遠距離通学でしたので、朝練参加がどうにもなりませんので『山岳部』に入りました。 その時、親父が即、自分に『傷害保険』掛けたことをずっと後で知りました。

 

最初に登った山は、新潟県と長野県の境界にある苗場山(2,145ⅿ)でした。 山頂部湿地帯は高層湿原および雪田草原と類される、穏やかな平頂と池塘が多く魅力がある山でした。 それ以来、山にとり付かれました。

 

表題に戻ります。 ウエブ情報から引用です。

群馬県と新潟県の境界にある平ヶ岳(2.141ⅿ)

ウエブ情報から引用

 

自然が生み出した奇岩「玉子石」

ウエブ情報から引用

平ヶ岳は只見川の水源に近い銀山平の奥に、山名のとおり穏やかな平頂を盛り上げている山で、大正4年(1915)7月に、日本登山界の元老、高頭仁兵衛氏が人夫4名を雇い、3日間を費やして、只見川の大白沢から登頂した記録がある。
頂上部は大小の池塘を散りばめ、お花畑に飾られた高層湿原だが、登山道がなかったので、沢登りや残雪期登山の記録が散見されるだけで、一般の登山者には幻の存在であった。
 

昭和40年に湯之谷村が、銀山平の鷹ノ巣登山口から大倉尾根の登山道を伐開して、ようやく登山界に知られるようになった。中ノ岐川に森林伐採用の林道もでき新コースが開発され、浩宮皇太子殿下(当時)も登山された。ただし中ノ岐道は伐採事業が終了したため、現在は車での入山は不可能となっている。ただし銀山平の民宿に宿泊すれば、この中ノ岐登山口へと送迎をお願いできる。
鷹ノ巣コースは登り6時間30分を要する。平ヶ岳と池ノ岳の間には一時幕営地が整備されたが、現在は使用不可となっているため、山中に宿泊はできない。
この山も山頂付近は自然保護のため木道が延々と敷かれて、登山者に喜ばれているが、尾瀬と同様に公園の散歩道を思わせ、大地を踏み締める感触のないのが何か物足りない。
池ノ岳近くの稜線上に、玉子石と呼ばれる円形の巨岩が彫刻のように立っており、造化の妙に驚かされるであろう。
 

大昔、最初に登った苗場山(2,145ⅿ)と、この平ヶ岳(2.141ⅿ)は高さと、穏やかな平頂と池塘が多く魅力のある山で似ておりますが、平ヶ岳の方は『傘寿』には、困難なアプローチや登山ルートのこともありますのでグーグルマップ登山で楽しみます。

(記事投稿日2022/03/13、#492)


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