知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『世界の寺院・神殿 1(ボルブドゥール寺院 vs テオティワカン)』―人口5-25万人の地域社会が、これほどの大規模の石造建造物を残せたー

2019-10-06 20:54:04 | 寺院・仏閣・神社・お社

『世界の寺院・神殿 1(ボルブドゥール寺院 vs のテオティワカン)』

―人口5-25万人の地域社会が、これほどの大規模の石造建造物を残せたー

 

ボルブドゥール寺院

ンドネシアには仏教寺院とヒンドゥー教の寺院があり、今回のボルブドゥール寺院は仏教寺院、8世紀に建設、9世紀に増設です。 宇宙を表現したのでしょうか、この規模の円を中心とした設計と縄張りには驚くばかりです。

ウエブ情報から引用

 

 

ウエブ情報から引用

 

先ずウエブ情報です。

ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタの北西約42kmに所在し、巨大なムラビ火山に囲まれた平原の中央に立地する。遺跡総面積はおよそ1.5万m2。高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。

 

シャイレーンドラ朝の時代、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、ダルマトゥンガ王治下の780年頃から建造が開始され、792年頃に一応の完成をみたと考えられるが、サマラトゥンガ王(位812年~832年)のときに増築されている。

 

 

ボロブドゥールは、寺院として人びとに信仰されてきた建造物であるが、内部空間を持たないのが際だった特徴となっている。最も下に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっている。この構造は、仏教の三界をあらわしているとされる。

 

5層の方形壇の縁は壁になっていて、露天の回廊がめぐらされる。方形壇の四面中央には階段が設けられており、円形壇まで登れるようになっている。

総延長5kmにおよぶ方形壇の回廊には、仏教説話にもとづいた1460面におよぶレリーフが時計回りにつづいている。

 

仏像は、回廊の壁龕(くぼみ)に432体、3段の円形壇の上に築かれた釣鐘状のストゥーパ72基の内部に1体ずつ納められており、合計では504体ある。

レリーフは、その構図の巧みさ、洗練された浮き彫り彫刻の技法、細部表現の優雅さで知られ、仏像とともにインドのグプタ様式の影響が強く認められるとされる。

 

ボロブドゥールはまた、その形状から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもある。 ストゥーパとは、釈迦の遺骨や遺物などをおさめた建造物であるが、ボロブドゥールは、さらにその内部にも多数のストゥーパを有する特異な構造を呈している。

 

ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを交互に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっている。 漆喰などの接着剤の類を一切用いることなく積まれている。

 

テオティワカン

メキシコのテオティワカン遺跡は2世紀から4世紀の間に建設された。 当初から、当時のテオティワカン人はセメント技術と類似する技術を用いて同様に石と石を接着していた。 この時代から、ほぼ3000年前のエジプトピラミッドの影響でしょうか、この規模の直線を中心とした設計と縄張りには驚くばかりです。

 

月のピラミッド(復元図の下部)の天辺から『月の広場-死者の通り-太陽のピラミッド』を、望む。

ウエブ情報から引用

 

テオティワカンの復元図

 

ウエブ情報から引用

 

 ウエブ情報です。

「世界で3番目に大きいピラミッド」といわれる太陽のピラミッドと、ほぼ同じ高さを誇る月のピラミッド。 14世紀この遺跡を発見したアステカの人々は、あまりのスケールにこれが人の手によるものだとは信じられず、神が集う場所=テオティワカンという名をつけた。 

 

メキシコからコスタリカにかけてのメソ・アメリカには数多くの遺跡が存在し、数百~数千ともいわれるピラミッドがある。この中で最大規模といわれる遺跡がテオティワカンだ。

太陽のピラミッド。 このピラミッドには神々の像がいっさいなく、これも謎とされている  まず目につくのが巨大なふたつのピラミッド、太陽のピラミッドと月のピラミッドだ。 太陽のピラミッドは世界3番目、メキシコではチョルラに次いで2番目の大きさといわれており(異説あり)、高さは神殿を加えて74m、底辺は225m×222mを誇る。一方、月のピラミッドは高さ46mで150m×140mだ。 これ以外にもケツァルコアトル神殿など、数多くのピラミッドが並んでいる。

テオティワカンの壮大さはピラミッドに登るとよくわかる。頂上からテオティワカンを一望すると、区画整理されて整然と並ぶ遺跡群に圧倒されるだろう。遺跡の数は600とも700ともいわれており、その中心には幅40m、未発掘部分も含めて全長5kmに及ぶ「死者の道」が通っている。

テオティワカンはここを中心として美しい都市国家を成立させ、最大で15~20万人が集まった。最盛期は4~6世紀といわれるが、同時代に栄華を極めたローマ帝国の都ローマに劣らない規模だったという。

 

この15-20万人の人口で、テオティワカン施設はこの壮大にして巨大な都市の建造の時期については、考古学者による定説によると、紀元後150年から300年とされ、その後600年頃にかけて繁栄したとされているが、紀元前1500年から前1000年に最盛期を迎えたと主張する学者や地質学的見地から近くの火山ヒトレが噴火した紀元前4000年よりも前に建てられたと主張する学者もいる。 

テオティワカンの遺跡は、その中央をほぼ南北四キロにわたって走る「死者の大通り」沿いに、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「城塞」といった巨大なピラミッドや神殿群が無数に立ち並ぶ実に壮大なもの約(1.5万m2)である。

城塞は4キロ以上にわたる直線の「死者の大通り」のちょうど中間地点にあり、城塞の中の東の端にケツァルコアトルのピラミッドがある。太陽のピラミッドは「死者の大通り」を1キロほど北に上がった通りの東側に位置し、月のピラミッドは大通りの北の端に建っている。 約1.5万m2の広さを持つ壮大な施設が遺されています。 人口5ー20万人の人口5-20万人の地域社会が、これほどの大規模の石造建造物を残せたことに疑問が残りました。

                                                                              (20191006纏め #121)


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