『没後90年記念、岸田劉生展を見て(満州で病気にならなかったら)』
―「岸田劉生イコール麗子像」と、ところが、すべての面で、幅も奥もー
昔、茨城県利根町に住んでいた頃、焼き物(陶磁器)好きの家内に引かれて、笠間に行くとき、岸田劉生の作品の中で、約70点になる『麗子像・麗子肖像』の作品が展示されていたら、必ず立ち寄ったのが『笠間日動美術館』でした。
当時は、どの『麗子像』見ても、『岸田劉生イコール麗子像すべて』と思っていました。 フランス中心にひろまった、ポスト印象派の影響を受けた、ありのままの姿を描く『写実的』な、娘の麗子をモデルとした代表作品『麗子像』。 ところが、すべての面で、幅も奥も広かったです。
今回の作品展は、総数150点は、巡回展であり、一同には揃いませんが、第一章から第六章に、38歳で夭逝した天才画家の生涯をまとめた、作品展に感激しました。 印象強かった作品は下記です。
第一章『第二に誕生』まで:1907-1913(ゴッホ、ゴーギャンの影響)
・自画像
・銀座数寄屋橋畔
第二章『近代的傾向・・・離れ』から『クラシックの感化まで』1913-1915
(『劉生の首狩り』と言われるほど周りの人の肖像画を)
・自画像
・自画像(椿君に贈る自画像)
・画家の妻
第三章『実在の神秘』を超えて:1915-1918(1916年には肺結核になり、室内で生物を描く)
・道路と土手と塀(切通之写生)重要文化財
ウエブ情報から引用
・代々木付近(代々木付近の赤土風景)
・麗子肖像(麗子五歳之像)
ウエブ情報から引用
・川端正光氏之像
第四章『東洋の美』への目覚め:1919-1921(水彩画による東洋の美を)
・麗子座像
・麗子像 重要文化財
第五章『卑近美』と『写実の欠除』を巡って:1922-1926(西洋の美術に対す
る東洋の美術の優位性を探求)
・麗子像
・冬瓜葡萄図
・童子煎茶
第六章『新しい余の道』へ:1926-1929(肺結核で夭折しなければと、残念!)
・田村直臣七十歳記念の像
・冬瓜葡萄図
・路傍秋晴(大連風景)
(20191013纏め #122)
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