知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『野球界の怪物探しは続く「昭和の怪物江川卓投手」1.2』 『周囲が、江川の活躍した歴史(高校・大学)を知れば知るほど「えがわる・江川る」などとは、とても言えない!』

2025-01-19 09:10:21 | 寺院・仏閣・神社・お社
『野球界の怪物探しは続く「昭和の怪物江川卓投手」1.2』

『周囲が、江川の活躍した歴史(高校・大学)を知れば知るほど「えがわる・江川る」などとは、とても言えない!』

『打撃も凄く、元祖二刀流は、作新学院、法政大学、巨人時代の「昭和の怪物江川投手」だった!そのエピソード』

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(1)高校野球時代
夏が来れば思い出す、江川卓の群像劇。
高校一年の雄姿でしょうか、この映像がウエブに残っていることが怪物です。
 
ウエブ情報から引用

「1年坊主、どこまで飛ばすんだ」、「竹バット」で!
江川とともに入部した作新学院野球部の新入部員は、なんと140人。 構成要員では140分の1も、存在感なら紛うことなく、江川が140人中、断トツだった。 上級生の度肝を抜いた。 まずは、その打撃力だった。1年部員は入部当初体力づくりが優先され、通常許可されないフリー打撃に、江川が指名された。
練習用に使われた「竹バット」(竹板を張り合わせた合成バット。 芯に当てても飛距離が出ず、手がしびれる)で、なんと、グラウンドを囲む地元特産「大谷石(おおやいし)」のフェンスを、軽々と越える当たりを連発した。
野球部寮で江川と同部屋、3年三塁手だった大橋弘幸は「この1年坊主、どこまで飛ばすんだってくらい、飛ばしていた」と目をひんむいた。

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(2)大学野球時代
1976年から1977年の法大4連覇(4回とも対戦校すべてから勝ち点を奪う完全優勝)にエース、ときには5番打者として貢献した。 なかでも1976年秋季リーグでは、投手は野手と比較して打席に立つ回数が少ないにも関わらず規定打席に到達、38打数13安打で打率.342(リーグ2位)、本塁打2本(リーグ2位)、打点10(リーグ1位)の好成績を挙げている。 このときはもちろん法大の規定打席数以上の選手の中では3部門すべてにおいてトップであった。

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(3)プロ野球時代
やはり、凄い投手は二刀流の素質があるのでしょうか。
順位
本塁打数
選手
1
38
金田正一(1.9本/年)
2
35
別所毅彦
3
33
米田哲也
4
25
平松政次
5
21
堀内恒夫
6
19
スタルヒン
7
17
稲尾和久
8
15
星野仙一
 成田文男
9
13
金田留広
鈴木啓示
梶本隆夫
江田孝
池永正明(2.2/年)
 江川卓(1.4/年)
ちなみに1位の金田正一投手はプロ入りしてから20年ですので、これに対し、池永正明投手は6年ですし、江川卓投手も9年と短かったです。

『最後に江川の凄さを再掲載、高校では、普通に野球やってあの成績、大学では、言い難いけど「酷使」された!』

江川卓投手の凄さ(1)高校時代の再掲載
作新学院時代は公式戦で、
ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、
36イニング連続無安打無失点(2年時の夏)、
県予選合計被安打2での夏の甲子園出場、
選抜高等学校野球大会で、一大会通算最多奪三振60個および8者連続奪三振、
春夏通じた甲子園における奪三振率14.0。
前年の夏、江川2年時。夏の甲子園を目指す栃木大会では、2回戦から登場して軽々ノーヒットノーラン。中1日置いた3回戦では、一人のランナーも許さない完全試合。そこから中2日の準々決勝もノーヒットノーラン……。
江川は3年の夏も、圧倒的な成績で栃木大会を制して甲子園出場を決めた。 2回戦から登場して、この試合をノーヒットノーラン、21奪三振。 3回戦もノーヒットノーラン、15奪三振。 準々決勝は、1安打完封、15奪三振。 準決勝、1安打完封、10奪三振。 決勝戦は大会3度目のノーヒットノーランで14奪三振。
結局、5試合、44イニングを投げて、3試合がノーヒットノーラン、被安打わずかに2、失点0、奪三振75、奪三振率15.3という現実離れした数字で甲子園に駒を進めたのである。

江川卓投手の凄さ(2)大学時代の再掲載
法政大学時代は東京六大学野球リーグ時代の17完封など、2020年まで破られていなかった数々の記録を作り、「怪物」と呼ばれた。
1976年秋季リーグでは、投手は野手と比較して打席に立つ回数が少ないにも関わらず規定打席に到達、38打数13安打で打率.342(リーグ2位)、本塁打2本(リーグ2位)、打点10(リーグ1位)の好成績を挙げている。 このときはもちろん法大の規定打席数以上の選手の中では3部門すべてにおいてトップであった。 首位打者が.409なので、あと3本ヒットを打っていれば首位打者だった。まさに"二刀流"の大活躍。
身びいきなしで「元祖二刀流」です。 しかし大学時代の結果的には『酷使』が怪物の怪物らしさを、大分減らしたと思いました(高校時代の酷使も含めて)。

大学2年秋に悲鳴を上げた江川卓の右肩は「以来、100%元に戻ることはなかった」。

ここでもう一度、江川卓の凄さです。 「元祖怪物」がプロより球が速く見えた」驚異の高校時代1973年のセンバツで作新学院高(栃木)の3年生エース江川卓がマークした60奪三振は、48年たった今も春の甲子園一大会あたりの最多奪三振記録である。
    1回戦   北陽(大阪) 19奪三振 2-0
    2回戦  小倉南(福岡)10奪三振 8-0
    準々決勝 今治西(愛媛)20奪三振 3-0
    準決勝  広島商(広島)11奪三振 1-2
最後に、最多奪三振記録を掲げて、凄い高校生がいたものだと、思うと同時に、スポーツ界に『タラレバ』いけませんが、金田正一投手が、最初からから巨人に入団していれば500勝以上であったろうと言われています。 それでも江川投手の凄さはすでに『伝説』になっています。
(記事投稿日:2025/01/19、#978)
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