原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

生まれ故郷という居場所

2010年03月20日 | 旅行・グルメ
 お彼岸に一週間先立ち、現在春休み中の娘と共に1年半ぶりに我が郷里を訪れた。


 いつもなら一人暮らしの郷里の母の家に寝泊りし母運転の車を移動手段とするのだが、今回は別に宿を予約して、移動手段もあえて路線バスやタクシーを利用することとした。
 これは、今後さらに年老いていく母との親子関係をある程度良質に保ちたいという、娘の私なりの配慮に基づく選択肢であった。
 1~2年に一回程度しか会わない親子であるし、わずか数日間の滞在であるにもかかわらず、面と向かって顔を合わせると必ずや喧嘩大バトルを繰り広げてしまう母娘なのだ。 それも生易しい内容の喧嘩ではなく、人格否定が甚だしくお互いに後々まで根に持ち傷を引きずるような悪質な“いがみ合い”である。親である母が少しは譲ればよさそうなものを、年老いたら何を言っても許されるとでも考えている甘えなのか、娘の私に向かって容赦なくぶった切ってくるのだ。  そんな母娘バトルをいつも端で聞いている我が娘への教育的配慮を鑑みた場合、たかが数日間と言えども母と同じ屋根の下で寝泊りすることは金輪際避けるべきと判断したのが今回の別宿選択の第一の理由である。
 加えて我が郷里のような“後進過疎県”の場合、公共交通の便が甚だ悪く人々の日々の移動はマイカーに頼らざるを得ない。 後期高齢者の我が母も今尚マニュアル車のマイカーを主たる移動の手段としているのだが、その年齢を考慮した場合、さすがに車での遠出は避けるよう普段アドバイスしている。 そこで今回の郷里での我々の移動も、あえて不便な公共交通とタクシーを利用することにしたのだ。
 さらに今回の旅行は年老いた母の慰労のみならず、我が娘と久々に訪れる郷里の観光も合わせて楽しみたい目的もあった。

 予想以上に母が気丈に元気に一人暮らしを遂行していたことに助けられ、宿泊先を別に予約したことが母との“喧嘩大バトル”回避に功を奏したように思われる。

 
 上記のごとくの選択により、母の家を訪れるのも観光に行くのにも別宿から路線バスやタクシーを利用することになったのだが、これが今回の旅行の醍醐味となった。

 まずは、航空便での到着先の郷里の空港から母の家へ向かう時に乗車したタクシーの運転手氏と小一時間に及ぶ“郷里談議”が展開された。 なかなかの反応力で“ツーカー”に応答してくれる運転手氏に恵まれ、久々に郷里に訪れた私の畳み掛けるごとくの質問に次々と回答が返って来る。
 市町村の財政破綻に伴う経営合理化を目的とした統合による新しい市町村の誕生…  その例外ではない我が故郷であるのだが、その名付けに何故由緒ある旧名を使用しないのか? 外部者となった今、新しく誕生した自治体が元々県内のどこにあった町村なのか判断し辛い程に旧地名が捨て去られたのは如何なる魂胆あってのことなのか…
 学校の統廃合等も進んでいるようだが、これも外部者からは前進の学校が何処だったのか分かりにくい。
 後進県特有の“自治体とゼネコンとの癒着”は我が郷里にも根強く蔓延っているようだが、新政権に移行して尚、この不況期に公共事業が更に活性化しているとも捉えられる現実を垣間見る思いだ。これは後進県故の宿命として済まされるものなのか…  茨城空港が騒がれているお蔭で、この郷里に4月に誕生する新空港が表面化せずに済んでいるが、このド田舎に今時新空港を建設する目的とは一体何なのか? これに関しては“政府とゼネコンの癒着”以外の要因として“政府と米軍との癒着”の密約が水面下で交わされているしわ寄せをこの後進県が一手に引き受けている??… (このド田舎の過疎地を、あわやの場合米軍の戦闘機の着陸拠点として使用する目的でわざわざ新空港を建設しているのだと???) 等々…  なかなか興味深いお話をタクシー運転手氏より拝聴できたのである。
 客観的に郷里の実情を捉えられる人材が我が郷里にも育成されていることに、一安心の私であったものだ。

 路線バスの風情もなかなかなものである。
 何分、1、2時間に1本程度しか運行していない交通網ではあるが、ネットで発車時間をあらかじめ検索して利用すると、これは結構使える。
 地元の人もほとんど利用しないというバス路線を利用して我々親子は観光地を巡った。 都市部のバス料金に比してかなり割高ではあるものの、車内は空いているしタクシーよりもゆったりとした空間の中で寛げるのだ。 しかも、バスも統廃合の影響で目的地以外の場所にも停車するために立ち寄るため、時間が許すならば車窓からの風景を広範囲に存分に楽しめるのだ。


 そんなこんなでタクシー運転手氏との会話や路線バスの寄り道を堪能できた今回の旅行だったのだが、何と言っても我が心に滲みたのは、その車窓から垣間見た我が郷里の“原風景”のフラッシュバックであり、また“現風景”の(豊かとは言い難い)営みの実態である。

 私が郷里に暮らしていた頃から長い年月が流れ、高度成長期、バブル期、そして現在の不況期を経つつ歩んできたであろう後の今の我が郷里の“成れの果て”がそこに確実に存在していることを実感できた。
 半世紀前の遠い昔からずっと残されているもの、失われたもの、それでもまだ力強く生命を宿しているもの、 それらすべての集大成が現在の我が故郷のありのままの姿であることを改めて目の当たりにした思いである。 

 もしも将来我が母が他界しようとも、私はまたきっとこの地を是非訪れたい思いを抱きつつ、我が娘と共に航空便で東京への帰路に着いた。 
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