私自身は美容整形の経験は一度も無く、こと外見的要因に関しては生まれ持ったDNAを最大限活用しつつ現在も生き抜いている。
一方で、病気や出産のために身体各部の手術を今までに3度経験している。
一度目は中学生時代に“虫垂炎”を患い、右下腹部を切開して化膿した虫垂を摘出する手術を受けた。
1960年代頃の話だが、おそらく当時はまだ医学がさほど進化していなかった時代背景ではなかろうか。 術後まもなく麻酔が切れた頃から切開した右腹が激しく痛み始め、一晩中眠れずベッドで幼心に痛みに耐えつつ泣いた記憶がある。
二度目は、高齢出産の際の帝王切開手術だ。
これに関しては、「原左都子エッセイ集」2008.8.21 バックナンバー「医師の過失責任」に於いて詳述している。 自宅待機との主治医の指示中自宅にて破水し、大病院へ救急搬送され緊急帝王切開手術と相成ったのだが、一時は死を覚悟する程の壮絶な手術だった。 後々の後遺症も厳しく、娘出産後半年程はまともな脳内思考が不能な程心身共に憔悴する大打撃を受けた。
三度目は、産んだ娘が未だ1歳時に患った皮膚癌の手術だった。
頭部に発生した皮膚癌のため、癌部位を含め周囲頭皮を直径6㎝程切除し、自分の足から皮膚を切除して頭部に植皮するとの手術内容だった。
二度目の帝王切開手術の予後の悪さに散々苦悩させられた記憶が新しかったため、決して同じ失敗を二度繰り返さないよう、私は担当医と十分に話し合いを持ちつつの術後入院生活だった。 とにかく自助努力にての回復を目指したく、医師の指示に反して手術翌日から起き上がり歩行を始めたい旨を担当医に嘆願した。 それが聞き入れてもらえ、手術後早々に私は院内を自力で歩きいつも通りに自分らしく入院生活を送った。 それを見た見舞客の友人より「明るい癌患者」の称号を授与されたものだ。 (詳細は、2007.10.5 バックナンバー 「癌は突然やって来る」をご参照下さい。)
話題を「美容整形」に戻そう。
私は過去に於いて、「美容整形」手術を受けた身近な女性と接触した事がある。
彼女は当時モデル及びタレントをしていた人物なのだが、ご本人曰く「二重瞼整形手術を受けたい」との事だ。 ところが彼女は生まれながらの二重瞼である。 しかもその二重が、私の印象では“憂いがある”と表現するべきか独特の魅力的な二重なのだ。 にもかかわらず彼女曰く、「モデルとして収入を得るためには、宣材写真力にも耐えねばならない。その宣材写真に於いて私の二重瞼が中途半端との事だ。ここは意を決してくっきりとした二重の手術を受ける!」
そうして、彼女は二重瞼手術を受けた。 美容整形とて皮膚にメスを入れる以上ダメージを受ける事は明白だ。 彼女は瞼の傷が回復するまでの一定期間サングラス生活を余儀なくされた。 その後手術により受けた傷は完治し、彼女曰く「私が目指す二重になれた!」とある程度の期間喜んでいた。
ところが、この話はまだ続く…
彼女が二重瞼整形手術を受けて、如何程の年月が経過した頃だろうか? 今となっては我が記憶にないのだが、彼女が言うには、「DNA力や自然の脅威とは侮れない。 私の二重瞼は元の場所と形になってしまった。 単なる“傷”だった術後の二重線は今や消え去り、私は元の二重瞼に完全に戻っている。」
いやいや医学関係者の原左都子としても、「なるほど!」と実に興味深い話として記憶している話題だ。
今回のエッセイを綴り公開しようとのきっかけを得たのは、いつもの通り朝日新聞“悩みのるつぼ”である。
早速、朝日新聞9月26日付 「be」“悩みのるつぼ” 30代女性による 「決意の整形に失敗、どうすれば」 なる、ショッキングな題目の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
私は30代独身女性だが、おそらくほかの人より劣等感が強い。 そして幼い頃から家族にも「ブス」と言われながら育ったことが原因だと思うが、自分でも容姿に自身が持てない。 ならば内面を磨こうと努力をしたつもりだ。 一人で海外へ行き様々な人種の中にいることにより、「人間はみんな違って当たり前なんだ」とも感じる事が出来て心が楽になった。 が、日本に帰って来るとどうしても他人と比べる自分が苦しい。 そんな自分の醜い容姿が嫌で、ついに美容整形をした。 成功すれば劣等感を克服できると思ったのに結果失敗。 もう整形はしないし、鏡も見ないように生きている。 楽に生きるために、これ以上何をしたらいいのか? 美輪明宏さんにご相談したい。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より一部を要約引用したもの。)
この質問に対する美輪明宏氏の回答の表題のみ紹介するならば、「笑顔ときれいな姿勢で先入観覆しては」である。
最後に、原左都子の感想と私論で締めくくろう。
いや、まずはびっくりだ!
「美容整形」とは、(一部の医療的瑕疵等の例外を除き健康保険が適用されるはずもなく)容易い金額で執り行えない手術と認識している。 “悩みのるつぼ”相談女性はそれが叶うほどの経済力があると判断しよう。
それ程の経済力がありながら、何故いつまでも自分自身が抱えている“容姿劣等感”に苛まれ続ける人生を送っているのだろう。
しかも、せっかく大金を注ぎ込んだ「美容整形」に失敗したのだと??
貴方は海外旅行して様々な人種に会ったと言うが、どのような会い方をしたのだろうか? 質問内容から想像するに、もしかしたら貴方は身勝手な“人種差別感”を先入観として持っていて、人間は皆違って当たり前なる歪んだ結論を感じただけで帰国しているのではなかろうか?
ここで原左都子の身勝手なアドバイスだが、せっかく30代独身女性が単身で諸外国へ旅行するならば、その国で恋愛相手を見つける程の積極的行動に出ては如何だったのだろう? 私自身の感想だが、恋愛相手との出会い程人と人との出会いに於ける濃密な出会いはないはずだ。 (「原左都子エッセイ集」バックナンバー 2008.6.21 「彼の名はジョニー」、 あるいは 2008.6.27 公開の 「ジョニーと別れた理由」 をご参照下さい。)
恋愛経験でなくとも、とにかく人間の自信とは人付き合いによってもたらされると言って過言でなかろう。 中でも濃厚な人付き合いである恋愛を通して得るものは多大だ。
“悩みのるつぼ”相談女性とは、せっかく単身にて幾度となく海外経験をしながらも個人的恋愛体験すら一切せずして帰国し、「美容整形」にも失敗し“負け犬”人生を歩むしかない現状が何とも悲しい…
ここは、少なくとも美輪明宏氏がご指摘のごとく、相談女性には無理をしてでも「笑顔ときれいな姿勢で先入観覆す」しか選択肢がないのかもしれない……
一方で、病気や出産のために身体各部の手術を今までに3度経験している。
一度目は中学生時代に“虫垂炎”を患い、右下腹部を切開して化膿した虫垂を摘出する手術を受けた。
1960年代頃の話だが、おそらく当時はまだ医学がさほど進化していなかった時代背景ではなかろうか。 術後まもなく麻酔が切れた頃から切開した右腹が激しく痛み始め、一晩中眠れずベッドで幼心に痛みに耐えつつ泣いた記憶がある。
二度目は、高齢出産の際の帝王切開手術だ。
これに関しては、「原左都子エッセイ集」2008.8.21 バックナンバー「医師の過失責任」に於いて詳述している。 自宅待機との主治医の指示中自宅にて破水し、大病院へ救急搬送され緊急帝王切開手術と相成ったのだが、一時は死を覚悟する程の壮絶な手術だった。 後々の後遺症も厳しく、娘出産後半年程はまともな脳内思考が不能な程心身共に憔悴する大打撃を受けた。
三度目は、産んだ娘が未だ1歳時に患った皮膚癌の手術だった。
頭部に発生した皮膚癌のため、癌部位を含め周囲頭皮を直径6㎝程切除し、自分の足から皮膚を切除して頭部に植皮するとの手術内容だった。
二度目の帝王切開手術の予後の悪さに散々苦悩させられた記憶が新しかったため、決して同じ失敗を二度繰り返さないよう、私は担当医と十分に話し合いを持ちつつの術後入院生活だった。 とにかく自助努力にての回復を目指したく、医師の指示に反して手術翌日から起き上がり歩行を始めたい旨を担当医に嘆願した。 それが聞き入れてもらえ、手術後早々に私は院内を自力で歩きいつも通りに自分らしく入院生活を送った。 それを見た見舞客の友人より「明るい癌患者」の称号を授与されたものだ。 (詳細は、2007.10.5 バックナンバー 「癌は突然やって来る」をご参照下さい。)
話題を「美容整形」に戻そう。
私は過去に於いて、「美容整形」手術を受けた身近な女性と接触した事がある。
彼女は当時モデル及びタレントをしていた人物なのだが、ご本人曰く「二重瞼整形手術を受けたい」との事だ。 ところが彼女は生まれながらの二重瞼である。 しかもその二重が、私の印象では“憂いがある”と表現するべきか独特の魅力的な二重なのだ。 にもかかわらず彼女曰く、「モデルとして収入を得るためには、宣材写真力にも耐えねばならない。その宣材写真に於いて私の二重瞼が中途半端との事だ。ここは意を決してくっきりとした二重の手術を受ける!」
そうして、彼女は二重瞼手術を受けた。 美容整形とて皮膚にメスを入れる以上ダメージを受ける事は明白だ。 彼女は瞼の傷が回復するまでの一定期間サングラス生活を余儀なくされた。 その後手術により受けた傷は完治し、彼女曰く「私が目指す二重になれた!」とある程度の期間喜んでいた。
ところが、この話はまだ続く…
彼女が二重瞼整形手術を受けて、如何程の年月が経過した頃だろうか? 今となっては我が記憶にないのだが、彼女が言うには、「DNA力や自然の脅威とは侮れない。 私の二重瞼は元の場所と形になってしまった。 単なる“傷”だった術後の二重線は今や消え去り、私は元の二重瞼に完全に戻っている。」
いやいや医学関係者の原左都子としても、「なるほど!」と実に興味深い話として記憶している話題だ。
今回のエッセイを綴り公開しようとのきっかけを得たのは、いつもの通り朝日新聞“悩みのるつぼ”である。
早速、朝日新聞9月26日付 「be」“悩みのるつぼ” 30代女性による 「決意の整形に失敗、どうすれば」 なる、ショッキングな題目の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
私は30代独身女性だが、おそらくほかの人より劣等感が強い。 そして幼い頃から家族にも「ブス」と言われながら育ったことが原因だと思うが、自分でも容姿に自身が持てない。 ならば内面を磨こうと努力をしたつもりだ。 一人で海外へ行き様々な人種の中にいることにより、「人間はみんな違って当たり前なんだ」とも感じる事が出来て心が楽になった。 が、日本に帰って来るとどうしても他人と比べる自分が苦しい。 そんな自分の醜い容姿が嫌で、ついに美容整形をした。 成功すれば劣等感を克服できると思ったのに結果失敗。 もう整形はしないし、鏡も見ないように生きている。 楽に生きるために、これ以上何をしたらいいのか? 美輪明宏さんにご相談したい。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より一部を要約引用したもの。)
この質問に対する美輪明宏氏の回答の表題のみ紹介するならば、「笑顔ときれいな姿勢で先入観覆しては」である。
最後に、原左都子の感想と私論で締めくくろう。
いや、まずはびっくりだ!
「美容整形」とは、(一部の医療的瑕疵等の例外を除き健康保険が適用されるはずもなく)容易い金額で執り行えない手術と認識している。 “悩みのるつぼ”相談女性はそれが叶うほどの経済力があると判断しよう。
それ程の経済力がありながら、何故いつまでも自分自身が抱えている“容姿劣等感”に苛まれ続ける人生を送っているのだろう。
しかも、せっかく大金を注ぎ込んだ「美容整形」に失敗したのだと??
貴方は海外旅行して様々な人種に会ったと言うが、どのような会い方をしたのだろうか? 質問内容から想像するに、もしかしたら貴方は身勝手な“人種差別感”を先入観として持っていて、人間は皆違って当たり前なる歪んだ結論を感じただけで帰国しているのではなかろうか?
ここで原左都子の身勝手なアドバイスだが、せっかく30代独身女性が単身で諸外国へ旅行するならば、その国で恋愛相手を見つける程の積極的行動に出ては如何だったのだろう? 私自身の感想だが、恋愛相手との出会い程人と人との出会いに於ける濃密な出会いはないはずだ。 (「原左都子エッセイ集」バックナンバー 2008.6.21 「彼の名はジョニー」、 あるいは 2008.6.27 公開の 「ジョニーと別れた理由」 をご参照下さい。)
恋愛経験でなくとも、とにかく人間の自信とは人付き合いによってもたらされると言って過言でなかろう。 中でも濃厚な人付き合いである恋愛を通して得るものは多大だ。
“悩みのるつぼ”相談女性とは、せっかく単身にて幾度となく海外経験をしながらも個人的恋愛体験すら一切せずして帰国し、「美容整形」にも失敗し“負け犬”人生を歩むしかない現状が何とも悲しい…
ここは、少なくとも美輪明宏氏がご指摘のごとく、相談女性には無理をしてでも「笑顔ときれいな姿勢で先入観覆す」しか選択肢がないのかもしれない……