昨日2015年9月6日、「原左都子エッセイ集」 は開設9周年目を迎えた。
8年間に渡り公開し続けたエッセイ総数は 1246本也!
ほぼ2、3日に一本の割合でエッセイを綴った計算になる。
いや、草稿段階でどうしても公開する気になれず“没”にしたエッセイや、一旦公開したものの個人情報漏洩危険回避等の理由で後に削除処置としたエッセイも含めると、それ以上の本数となろう。
開設当初はお読み下さる方々が読みやすいようにと、2000字程度の字数で端的にまとめるエッセイ公開を目指していた。 その後年月の経過と共にそんな初心はどこかへ消え去り、書く側である自分本位のエッセイをキーボードを叩きつけるように綴る方針へと移り行き、現在の字数は3000字を超過するに至っている。
8年前の2007年9月6日に公開した、記念すべき「原左都子エッセイ集」第一号エッセイを以下に紹介しよう。
お待たせしました!
いよいよ伝説のエッセイスト原左都子のブログの開幕です!
たかがブログ、されどブログ、ブログ、ブログ…
ブログの扱い方がわからなくて右往左往しつつ、早く開幕したいので訳がわからないまま開幕を決行しました。
この時の事は今でも鮮明に覚えている。
残暑厳しい台風の日の夜遅い時間帯だった。 荒れ狂う外の暴風雨を背景に、「今夜こそブログを立ち上げる!」との我が決意を夕食時に家族に発した。 それを聞いていた未だ中学2年生の娘が私がブログを開設する事を面白がり、パソコンの横でその開設作業を興味深そうに覗いていた。
ところが編集画面の扱い方がさっぱり分からない。 横にいる娘に相談しても、娘とて未だブログなど立ち上げていない。 何とか公開に漕ぎつけそうな雰囲気に至った時点で既に夜がふけている。
そんな中、何とか今夜中にブログを開設しようとの意思で無責任に綴ったのが上記の文章だ。
「伝説」など大ウソ、かつ、今に至って私は現役バリバリでエッセイを綴り続けている。「レジェンド」などと呼ばれるのは我が死後でも何ら遅くない。
「たかがブログ、されどブログ、ブログ、ブログ…」の部分に関しては、当時の私は既に世間にて公開されていたブログ全般に対し“ある意味で蔑んだ”私論を込めたつもりである。 2007年当時より、既にブログとはネット上で知る人ぞ知る存在だったと私は記憶している。 パソコンの扱い方をある程度知っていれば “馬鹿でも公開出来るブログとの媒体 ”との印象を既に抱いていたのだ。 その批判精神を、開設直後にこの一言にてオピニオンとして語ったと言えよう。
そうこう言いつつも、よくぞまあこの原左都子とて “馬鹿でも公開出来るブログ” に8年にも及ぶ年月を性懲りもなく費やして来たものだ。
話題を変えよう。
少し古くなるが、朝日新聞2015.7.4「be」“between" のテーマは「やめられないものありますか?」だった。
この表題を一見して、咄嗟に私にとっての「やめられないもの」が脳裏に二つ浮かんだ。
その一つは「酒」だ。
そして、もう一つが 「原左都子エッセイ集」 の執筆活動である。
今回の朝日新聞“between" 「やめられないものありますか?」の場合、おそらく記事の主題として狙ったのは、自分自身がそれをしている事実に“後ろめたさ”を感じているにもかかわらずやめられないものを対象としたと察する。
それが証拠に読者よりの「はい」回答内容とは、「間食」「酒」「夜更かし」「過食」「ネットサーフォン」「ゲーム」「たばこ」等々と続くのだ…
しかも朝日新聞記事の最後にある“見識者”とやらのご意見を紹介すると… 「やめたいのにやめられない」が進むと病気として依存症になる。 治療は、カウンセリングなどを通じ依存へと走らせるストレス要因を取り除く等々。 病院へかかる程ではないのなら、日記などで行動を振り返ることが有効。 とにかく本人の認知の仕組みを変える事が必要。
ここで一旦原左都子の私見を語ろう。
この朝日新聞記事に関しては、そもそもの命題提示を誤っていると言えよう。
それが証拠に、記事の最後のまとめに該当する“見識者”とやらのコメント内容が、「やめられなものがある」と答えた読者全般に対し、「病気」と断定し将来依存症になるから治療せよ!と結論付けている部分に、元医学関係者の私としては驚くより他ない印象を受ける故だ。
世の中には、「やめねばならないのにやめられない」事象に加えて「やめてもよいがやめられない」物事も存在するはずだ。
そうだとしても、私には「原左都子エッセイ集」を今後も綴り公開し続けたいとの我が希望に逆らう“どんよりとした懸念”が脳裏に常に渦巻いているのも確かだ。
世は経済社会真っ只中である。 一昔前には社会共産主義国として世界に君臨していた国家とて資本主義に傾向し経済発展を実現することにより国家の安泰を願っている。 現在社会は、カネを稼げる者(及び国家)こそがこの世を統率可能との価値観が世界中を席巻しているとの印象すら抱く。
過去に於いて、この私にも「原左都子エッセイ集」を出版なる形で世に出せばどうか? なる依頼を複数頂いた経験がある。 それに対する我が返答は一貫して「No!」である。
特に近年、その思いを強靭にするに至っている。 何ともまあ、現在国内著名文学賞受賞実態が貧弱な事! どうせ文学賞と審査員達との癒着・縁故の程がろくでもない実態の下、一時の個人営利目的で文学賞受賞者を決定している事実が歴然だ。
自分がこの世に生を受けた期間のほんの一時のみ“カネ儲けして一人前” ではなく、“自分自身のポリシーを一生貫けてこそ一人前” と私は信じつつ、今後も末永く「原左都子エッセイ集」を公開していく所存である。
今となっては私がブログを開設した2007年当初の8年前と比較して、より拍車をかけ “馬鹿でも公開出来るブログ ”の存在価値が、(自称著名人達のオフィシャルブログとやらを筆頭として)さらに奈落の底に陥った事実を実感させられる。
たとえその事実を受け入れようが、やっぱり私は「原左都子エッセイ集」の執筆活動がやめられそうもない。
8年間に渡り公開し続けたエッセイ総数は 1246本也!
ほぼ2、3日に一本の割合でエッセイを綴った計算になる。
いや、草稿段階でどうしても公開する気になれず“没”にしたエッセイや、一旦公開したものの個人情報漏洩危険回避等の理由で後に削除処置としたエッセイも含めると、それ以上の本数となろう。
開設当初はお読み下さる方々が読みやすいようにと、2000字程度の字数で端的にまとめるエッセイ公開を目指していた。 その後年月の経過と共にそんな初心はどこかへ消え去り、書く側である自分本位のエッセイをキーボードを叩きつけるように綴る方針へと移り行き、現在の字数は3000字を超過するに至っている。
8年前の2007年9月6日に公開した、記念すべき「原左都子エッセイ集」第一号エッセイを以下に紹介しよう。
お待たせしました!
いよいよ伝説のエッセイスト原左都子のブログの開幕です!
たかがブログ、されどブログ、ブログ、ブログ…
ブログの扱い方がわからなくて右往左往しつつ、早く開幕したいので訳がわからないまま開幕を決行しました。
この時の事は今でも鮮明に覚えている。
残暑厳しい台風の日の夜遅い時間帯だった。 荒れ狂う外の暴風雨を背景に、「今夜こそブログを立ち上げる!」との我が決意を夕食時に家族に発した。 それを聞いていた未だ中学2年生の娘が私がブログを開設する事を面白がり、パソコンの横でその開設作業を興味深そうに覗いていた。
ところが編集画面の扱い方がさっぱり分からない。 横にいる娘に相談しても、娘とて未だブログなど立ち上げていない。 何とか公開に漕ぎつけそうな雰囲気に至った時点で既に夜がふけている。
そんな中、何とか今夜中にブログを開設しようとの意思で無責任に綴ったのが上記の文章だ。
「伝説」など大ウソ、かつ、今に至って私は現役バリバリでエッセイを綴り続けている。「レジェンド」などと呼ばれるのは我が死後でも何ら遅くない。
「たかがブログ、されどブログ、ブログ、ブログ…」の部分に関しては、当時の私は既に世間にて公開されていたブログ全般に対し“ある意味で蔑んだ”私論を込めたつもりである。 2007年当時より、既にブログとはネット上で知る人ぞ知る存在だったと私は記憶している。 パソコンの扱い方をある程度知っていれば “馬鹿でも公開出来るブログとの媒体 ”との印象を既に抱いていたのだ。 その批判精神を、開設直後にこの一言にてオピニオンとして語ったと言えよう。
そうこう言いつつも、よくぞまあこの原左都子とて “馬鹿でも公開出来るブログ” に8年にも及ぶ年月を性懲りもなく費やして来たものだ。
話題を変えよう。
少し古くなるが、朝日新聞2015.7.4「be」“between" のテーマは「やめられないものありますか?」だった。
この表題を一見して、咄嗟に私にとっての「やめられないもの」が脳裏に二つ浮かんだ。
その一つは「酒」だ。
そして、もう一つが 「原左都子エッセイ集」 の執筆活動である。
今回の朝日新聞“between" 「やめられないものありますか?」の場合、おそらく記事の主題として狙ったのは、自分自身がそれをしている事実に“後ろめたさ”を感じているにもかかわらずやめられないものを対象としたと察する。
それが証拠に読者よりの「はい」回答内容とは、「間食」「酒」「夜更かし」「過食」「ネットサーフォン」「ゲーム」「たばこ」等々と続くのだ…
しかも朝日新聞記事の最後にある“見識者”とやらのご意見を紹介すると… 「やめたいのにやめられない」が進むと病気として依存症になる。 治療は、カウンセリングなどを通じ依存へと走らせるストレス要因を取り除く等々。 病院へかかる程ではないのなら、日記などで行動を振り返ることが有効。 とにかく本人の認知の仕組みを変える事が必要。
ここで一旦原左都子の私見を語ろう。
この朝日新聞記事に関しては、そもそもの命題提示を誤っていると言えよう。
それが証拠に、記事の最後のまとめに該当する“見識者”とやらのコメント内容が、「やめられなものがある」と答えた読者全般に対し、「病気」と断定し将来依存症になるから治療せよ!と結論付けている部分に、元医学関係者の私としては驚くより他ない印象を受ける故だ。
世の中には、「やめねばならないのにやめられない」事象に加えて「やめてもよいがやめられない」物事も存在するはずだ。
そうだとしても、私には「原左都子エッセイ集」を今後も綴り公開し続けたいとの我が希望に逆らう“どんよりとした懸念”が脳裏に常に渦巻いているのも確かだ。
世は経済社会真っ只中である。 一昔前には社会共産主義国として世界に君臨していた国家とて資本主義に傾向し経済発展を実現することにより国家の安泰を願っている。 現在社会は、カネを稼げる者(及び国家)こそがこの世を統率可能との価値観が世界中を席巻しているとの印象すら抱く。
過去に於いて、この私にも「原左都子エッセイ集」を出版なる形で世に出せばどうか? なる依頼を複数頂いた経験がある。 それに対する我が返答は一貫して「No!」である。
特に近年、その思いを強靭にするに至っている。 何ともまあ、現在国内著名文学賞受賞実態が貧弱な事! どうせ文学賞と審査員達との癒着・縁故の程がろくでもない実態の下、一時の個人営利目的で文学賞受賞者を決定している事実が歴然だ。
自分がこの世に生を受けた期間のほんの一時のみ“カネ儲けして一人前” ではなく、“自分自身のポリシーを一生貫けてこそ一人前” と私は信じつつ、今後も末永く「原左都子エッセイ集」を公開していく所存である。
今となっては私がブログを開設した2007年当初の8年前と比較して、より拍車をかけ “馬鹿でも公開出来るブログ ”の存在価値が、(自称著名人達のオフィシャルブログとやらを筆頭として)さらに奈落の底に陥った事実を実感させられる。
たとえその事実を受け入れようが、やっぱり私は「原左都子エッセイ集」の執筆活動がやめられそうもない。