(写真は、昨日9月25日付朝日新聞 朝刊一面に掲載されていたマララさん大写しの写真。)
2014年ノーベル平和賞受賞者である マララ・ユスフザイさん が現在何歳かご存知だろうか?
ノーベル賞受賞当時17歳だったのだから、現在未だに18歳である事に間違いない。
上記の写真は私が新聞から転載したため不鮮明で申し訳ないものの、冒頭写真を一見して、この女性を18歳と信じる人が如何程いるのだろう。
私の感想では、どう見ても40代~50代、下手をするともしかしたら私と同年代以上か!?との風貌にしか映らない。
その第一原因として、相変わらず、と言うよりもノーベル賞受賞当時より更に太っておられるせいではなかろうか?
世の18歳といえば、ダイエットにお洒落。 そして恋愛に励む年頃だろう。
マララさんの場合、自国であるパキスタンが未だ政権不安定故に身の危険回避のため英国暮らしを余儀なくされているらしい。 ただ、そうだとして、先進国英国にて恵まれた暮らしを保障されている身にして、その立場でマララさんが青春を謳歌したとて世界中の誰もそれをバッシングしようとは思わないはずだ。
むしろノーベル賞を受賞したからと言って、その後の人生全てを「兵器より子供を守れ」なるスタンスでメディアに利用され続けるより、18歳らしい生き様をマララさんが自然体にて謳歌しているとの報道こそを世界中が望んでいるのではなかろうか。 そのニュースの方がよほど世界平和に貢献可能かと私など考えるのだが…
いや、それじゃメディアが儲からない。
加えて、マララさんの自国であるパキスタンが現在尚戦禍にある事を考慮するならば、若輩にしてマララさんにノーベル平和賞を“外部の圧力”で受賞させた世界各国首脳たちの思惑が活きない。
マララさんにはどうしても、今後一生に渡りメディアに登場し続けてもらい、「兵器より子供達に本を!」と語ってもらわねば、平和賞を受賞させた趣旨が貫けないのだ! なる反論が届きそうだ。
そんな外圧論理を十二分に原左都子は既に理解済みのため、今回のエッセイでは、どうしてもマララさん自身の18歳なりの青春を応援したいのだ。
ただ、強引にマララさん平和賞受賞に持ちこんだ外圧組織体が言いたい事も分かる。
ノーベル賞賞金とは(日本の「文化勲章」が年金制を採用しているのとは異なり)“一時金”授与との事だが、その金額が数千万円に及ぶらしい。 それを貴方(マララさん)に与える見返りとして、メディア報道の要求に応える事をノーベル賞受賞前に既にマララさんと公約していたとも考えられる。
マララさんが、自国パキスタンでは比較的恵まれた家庭環境に育っているとはいえ、失礼ながら、今現在英国にて生活可能な程の経済力はなかったのではあるまいか? そうした場合、マララさん(及びその保護者も含め)昨年のノーベル平和賞受賞に関して家族総意でそれを喜んだものとも捉えられる。
ここで上記紹介の朝日新聞が昨日の記事内から、平和賞受賞マララさんを弁護したと思しき 「ふつうの女の子の大きな勇気」 と題する記事内容を以下に要約して紹介しよう。
マララさんは、ボードゲームが好きなごく普通の女の子だ。 英国バーミンガムで女子校に通っていて、毎日宿題と向き合い、テストに向けて勉強している。 弟達と喧嘩をすることもある。
マララさんは(祖国パキスタン時代に)自分が特別な人とは思わずただ単に「学校へ行きたい」とブログに書いたら、それを攻撃され襲撃された。 奇跡的に命を取り留めたマララさんは、パキスタンを攻撃したタリバーンに対して、学校を壊したり勉強をする女の子達を攻撃する事を批判し続けたために撃たれてしまったのだ。 それでも声を上げる事をやめなかったからこそ、マララさんの勇気が認められて、その行為が「ノーベル平和賞」へと繋がった。
ただ、ノーベル賞受賞後のマララさんの姿勢は冷静だ。 「私は私。背の高さも同じです」「平和賞は世界中の子供達へ贈られたものです。」とマララさんは言う。
マララさん自身が、故郷であるパキスタンへ今尚帰れず、今現在のシリア同様に「難民」である。 「子供達をそんな目に遭わせず、のびのび通える学校に通える平和な日をつくる。 それが大人が取り組まねばならない宿題。
(以上、朝日新聞9月25日付朝刊12ページより ヨーロッパ支局長 梅原季哉氏とやらが記した文章から一部を要約引用した内容。)
ここから、原左都子の私論に入ろう。
ちょっと待ってくれるかなあ。 朝日新聞ヨーロッパ支局長の梅原さんとやら。
貴方が実際に英国現地でマララ氏にインタビューをした上で、この記事を書いて公開したのだろうか?
ノーベル平和賞受賞マララさんが、複雑な思いで英国生活を余儀なくされているであろうその心理は、私にも(おそらく貴方以上に)理解可能だ。
それはそうと、わずか18歳の年齢で(しかも他力本願にノーベル平和賞を与えられた立場で)世界メディア各社のインタビューをこなさねばならない若輩マララさんの日常の忙しさとその思いも少しは理解した上で、インタビューを実施して欲しいものだ。
本気で、マララさんが世界各国(特にマララさんに平和賞受賞させる事により営利をむさぼったり、自国の勝手な政策が貫ける)相手に対応していると思っているのか??
どう考察しても、いくら戦禍過激な地域で尋常ではない過去を歩んだ身とて、わずか18歳の脳とは、それ相応の脳内発達状態範疇と私は推測する。
もしかしたら未だ18歳のマララさんにして、今現在はメディアに迎合することが自分が獲得した(他力本願で獲得させてもらった)ノーベル平和賞の重み及び責任と健気に捉えているのかもしれない。
確かにマララさんがノーベル平和賞を受賞して後、わずか1年しか経過していない。
2015年今年のノーベル平和賞が決定した時点で、メディア連中の興味がそちらに移り、マララさんの存在すら忘却される日が近いとも推測出来よう。
その暁には、現在英国で(金銭面では)悠々たる暮らしぶりのマララさんに、本気でダイエットをして青春を謳歌してもらっても少しも遅くないのかもしれない。
(「原左都子エッセイ集」2014.10.13バックナンバー 「平和賞マララさん、若輩17歳にしての“上から目線”が気になる」 もよろしければご参照下さい。 公開後1年経過した今尚アクセス数が多い人気エッセイです。)
2014年ノーベル平和賞受賞者である マララ・ユスフザイさん が現在何歳かご存知だろうか?
ノーベル賞受賞当時17歳だったのだから、現在未だに18歳である事に間違いない。
上記の写真は私が新聞から転載したため不鮮明で申し訳ないものの、冒頭写真を一見して、この女性を18歳と信じる人が如何程いるのだろう。
私の感想では、どう見ても40代~50代、下手をするともしかしたら私と同年代以上か!?との風貌にしか映らない。
その第一原因として、相変わらず、と言うよりもノーベル賞受賞当時より更に太っておられるせいではなかろうか?
世の18歳といえば、ダイエットにお洒落。 そして恋愛に励む年頃だろう。
マララさんの場合、自国であるパキスタンが未だ政権不安定故に身の危険回避のため英国暮らしを余儀なくされているらしい。 ただ、そうだとして、先進国英国にて恵まれた暮らしを保障されている身にして、その立場でマララさんが青春を謳歌したとて世界中の誰もそれをバッシングしようとは思わないはずだ。
むしろノーベル賞を受賞したからと言って、その後の人生全てを「兵器より子供を守れ」なるスタンスでメディアに利用され続けるより、18歳らしい生き様をマララさんが自然体にて謳歌しているとの報道こそを世界中が望んでいるのではなかろうか。 そのニュースの方がよほど世界平和に貢献可能かと私など考えるのだが…
いや、それじゃメディアが儲からない。
加えて、マララさんの自国であるパキスタンが現在尚戦禍にある事を考慮するならば、若輩にしてマララさんにノーベル平和賞を“外部の圧力”で受賞させた世界各国首脳たちの思惑が活きない。
マララさんにはどうしても、今後一生に渡りメディアに登場し続けてもらい、「兵器より子供達に本を!」と語ってもらわねば、平和賞を受賞させた趣旨が貫けないのだ! なる反論が届きそうだ。
そんな外圧論理を十二分に原左都子は既に理解済みのため、今回のエッセイでは、どうしてもマララさん自身の18歳なりの青春を応援したいのだ。
ただ、強引にマララさん平和賞受賞に持ちこんだ外圧組織体が言いたい事も分かる。
ノーベル賞賞金とは(日本の「文化勲章」が年金制を採用しているのとは異なり)“一時金”授与との事だが、その金額が数千万円に及ぶらしい。 それを貴方(マララさん)に与える見返りとして、メディア報道の要求に応える事をノーベル賞受賞前に既にマララさんと公約していたとも考えられる。
マララさんが、自国パキスタンでは比較的恵まれた家庭環境に育っているとはいえ、失礼ながら、今現在英国にて生活可能な程の経済力はなかったのではあるまいか? そうした場合、マララさん(及びその保護者も含め)昨年のノーベル平和賞受賞に関して家族総意でそれを喜んだものとも捉えられる。
ここで上記紹介の朝日新聞が昨日の記事内から、平和賞受賞マララさんを弁護したと思しき 「ふつうの女の子の大きな勇気」 と題する記事内容を以下に要約して紹介しよう。
マララさんは、ボードゲームが好きなごく普通の女の子だ。 英国バーミンガムで女子校に通っていて、毎日宿題と向き合い、テストに向けて勉強している。 弟達と喧嘩をすることもある。
マララさんは(祖国パキスタン時代に)自分が特別な人とは思わずただ単に「学校へ行きたい」とブログに書いたら、それを攻撃され襲撃された。 奇跡的に命を取り留めたマララさんは、パキスタンを攻撃したタリバーンに対して、学校を壊したり勉強をする女の子達を攻撃する事を批判し続けたために撃たれてしまったのだ。 それでも声を上げる事をやめなかったからこそ、マララさんの勇気が認められて、その行為が「ノーベル平和賞」へと繋がった。
ただ、ノーベル賞受賞後のマララさんの姿勢は冷静だ。 「私は私。背の高さも同じです」「平和賞は世界中の子供達へ贈られたものです。」とマララさんは言う。
マララさん自身が、故郷であるパキスタンへ今尚帰れず、今現在のシリア同様に「難民」である。 「子供達をそんな目に遭わせず、のびのび通える学校に通える平和な日をつくる。 それが大人が取り組まねばならない宿題。
(以上、朝日新聞9月25日付朝刊12ページより ヨーロッパ支局長 梅原季哉氏とやらが記した文章から一部を要約引用した内容。)
ここから、原左都子の私論に入ろう。
ちょっと待ってくれるかなあ。 朝日新聞ヨーロッパ支局長の梅原さんとやら。
貴方が実際に英国現地でマララ氏にインタビューをした上で、この記事を書いて公開したのだろうか?
ノーベル平和賞受賞マララさんが、複雑な思いで英国生活を余儀なくされているであろうその心理は、私にも(おそらく貴方以上に)理解可能だ。
それはそうと、わずか18歳の年齢で(しかも他力本願にノーベル平和賞を与えられた立場で)世界メディア各社のインタビューをこなさねばならない若輩マララさんの日常の忙しさとその思いも少しは理解した上で、インタビューを実施して欲しいものだ。
本気で、マララさんが世界各国(特にマララさんに平和賞受賞させる事により営利をむさぼったり、自国の勝手な政策が貫ける)相手に対応していると思っているのか??
どう考察しても、いくら戦禍過激な地域で尋常ではない過去を歩んだ身とて、わずか18歳の脳とは、それ相応の脳内発達状態範疇と私は推測する。
もしかしたら未だ18歳のマララさんにして、今現在はメディアに迎合することが自分が獲得した(他力本願で獲得させてもらった)ノーベル平和賞の重み及び責任と健気に捉えているのかもしれない。
確かにマララさんがノーベル平和賞を受賞して後、わずか1年しか経過していない。
2015年今年のノーベル平和賞が決定した時点で、メディア連中の興味がそちらに移り、マララさんの存在すら忘却される日が近いとも推測出来よう。
その暁には、現在英国で(金銭面では)悠々たる暮らしぶりのマララさんに、本気でダイエットをして青春を謳歌してもらっても少しも遅くないのかもしれない。
(「原左都子エッセイ集」2014.10.13バックナンバー 「平和賞マララさん、若輩17歳にしての“上から目線”が気になる」 もよろしければご参照下さい。 公開後1年経過した今尚アクセス数が多い人気エッセイです。)