現在高齢者有料介護施設に入居している義母が、先週末散歩中に転倒して右腕と顎を強打した。
施設内看護師氏の判断にて急きょ整形外科医受診したところ、右肘骨折(高齢のため全治期間は不定)との診断が出た。
昨日3度目の病院受診に、義母の保証人である私が病院まで付き添う事と相成った。
参考のため、義母が入居している介護施設では入居者負担有料にて介護スタッフが病院への付き添いを代行してくれるサービスがある。 それを初診及び2度目の受診時に利用したのだが、何分、介護スタッフとて日々激務をこなしておられる事を重々承知している。 いつまでもそのサービスに頼りスタッフの皆さんの激務に追い打ちをかけては、保証人の立場としても大いなる心情的負担である。
年末のこの時期に、義母の病院受診に半日を費やすのは私にとっても大いなる時間のロスとの心痛を抱きつつ、昨日それを実行してきた。
本日のエッセイでは、多少の認知症と耳の聞こえの悪さを抱えている義母を引き連れての“病院内付き添い珍道中”を綴ろうとの魂胆だ。
さてさて義母を迎えに介護施設を訪れてみると、早速義母が私に訴えて曰く、「また補聴器を落としちゃったのよ」 (え~~、また?!?)
と言うのも、これで義母が補聴器を落としたのは数回目の事だ。 経済力がある義母が何度補聴器を落として買い替えてもよいだろう。 が、保証人の立場としては、とにもかくにも耳の聞こえにくさが日々激化している義母の身にして片耳の補聴器を落とされては、ほとんど会話が出来ないに等しい有様だ。
(いやはや、参ったなあ。)と思いつつ施設よりタクシーに乗せると、今度は「駅の何口に着くの?」とのご質問。 それに応えて「今日は病院へ直行しますから駅には行きません」 「あら、そうなの」と事情が分かっていない義母が返してくる。
そうして病院に到着した。
今回義母が受診している整形外科が、地元総合病院内の一診療科である事に手間取る事となる。(と言うのも、私自身元医学関係者である事が一番の理由なのだが、病院受診を最小限に留め“予防医学”の観点から我が身を維持しているためだ。 その理由により、最近病院なる場所を訪れた経験に乏しいのだ。)
早速、再診外来受診手続きをしようと志したところ、それを病院内IT管理カード方式に頼ることとなる事実は理解出来た。 その再診入力マシンを発見して、義母の受診カードを入れたのはよかったが…
義母曰く、「主治医先生のお名前を覚えていない…」 そこで私はそれを尋ねられる受付を探したのだが、何処にそれがあるのか分からない。 直ぐ近くの人が配置している受付に直接尋ねたところ、早速義母の担当医師を検索してくれたのは良かった。 それで受付が終了したのかと思いきや我が考えが甘かった様子だ。 結局、入口の再来受付マシンに再度戻って、再び義母の受診受付を再入力させられる有様だった。
とにかく歩行が自由とは言えない義母を椅子に座らせた後に、受付の担当者から義母の名前を呼ばれる。
どうやら先に患部のX線撮影を実施するとのことだ。
放射線科にての義母のX線撮影は右肘の骨折局部であるのは当然だが、おそらく義母がそれを認識していないだろうと想像していると案の上だ。 高齢者にとってX線撮影と聞くと真っ先に「胸部撮影」を思い浮かべるのであろう。 早速上着を脱ぎ始めた義母に、大声で「今日は右肘の撮影ですから脱ぐ必要はありません!」と告げた。 更には、若き放射線技師氏からの「この椅子に座って下さい」の指示も聞き取れない義母に私から大声で椅子の座り方を伝授した後、技師氏から「付添人の方は外に出て下さい」との指南だ。 たとえ少量なりとも部外者がX線被爆を回避するべきとの配慮発言だったと心得る。
ところがその後、既にX線撮影を終えたはずの義母が、いくら待っても出て来ない。 (ははあ、要するに若造放射線技師達の「終了しました」の声を義母が聞きとれていないのだなあ。)と想像しつつレントゲン室に入ってみるっと、まさにその通りだ。 撮影が終了したはずの義母が、未だX線撮影の椅子に腰かけて右腕をまくり上げたままの状態だった。
「お母さん、レントゲン撮影は終わりましたよ!!」と私が大声を張り上げると、やっと分かった様子で次なる診察に向かった。
さて、現在に於いては複数の診療科を抱えある程度の規模がある病院に於いては、電算システムIT化が劇的に進化した恩恵を賜りその導入を実施している事であろう。
ところがこの進化システムが、お年寄り患者氏達にとっては大いなる障壁となっている様子だ。
主治医診察のため、義母を診察室前で待機させるために誘導したところ…
義母曰く、「○子さん(私の事だが)、私はどうしてもこの電光掲示板が分からないの。 今後一人でこの病院を訪れても、この電光掲示板がどうしても読めない。 だから○子さんはじめ施設の人に付き添ってもらわねばならないのが辛いの。 今日の待ち時間内でこれをマスターしたいから、教えてくれる?」
私曰く、「分かりました! まずはお母さんの受付入力番号を把握しましょう。」 義母も必死だ。 その思いは十分に私に伝わる。 やっとこさ、自分の受付番号が「405番」との事は把握出来た様子だ。
次に把握するべきは、義母の主治医先生の診察室の番号だ。 「それは8番です。分かりましたか?」と問う私に、「8番ねえ…」と言いつつ、既に自分の受付番号を忘れている様子だ。 どうやら後で教えた「主治医先生診察室の8番」だけは脳裏にある様子で、「○子さん、8番の診察室は後10名待たなければいけないようよ」
「いえ、そうではなくてお母さんの受付は405番ですから、それに注目しましょう」と教授しても、どいうしても義母の記憶は最後に教えた「診察室は8番」しかない様子だ。
その流れで、やっとこさ電光掲示板にて自身の受付番号「405番」が掲示されたとて、自分の順番が来た事を認識不能な義母だった…
いやはや、確かに病院の電光掲示板システムは、認知症高齢者にとって無理難題課題を多く内在している事実を思い知らされた感覚だ。
しかも、そのIT管理ナンバーシステムは会計ないし薬剤処方まで続く。
今時の医療システムとは、病院と調剤薬局を分離状態にしているのも現状だ。
義母が処方された“湿布薬”を購入するため病院の外に位置している調剤薬局まで引き連れるには、義母の歩行状態が伴わない。 そこで私は義母に告げた。 「私がこれから外部の薬局まで湿布剤を取りに行きますから、ここで座って居て下さい! 絶対にここから動かないで下さい。」 私の指導に従い、義母がおとなしくその席で座っていてくれたからこそ帰宅が成り立ったものの… これが、もっと認知症が進んで徘徊癖がある事態に陥ったならば、一体全体、認知症年寄りを抱えた病院受診をどうせよと、病院側は言いたいのか!?!
何度も言うが、私自身は過去に於いて医学教育を受けている者だ。
そんな身にして身内に認知症状が顕在化した高齢者を抱える事態となった暁に、理解不能な事象が数多く発生する。
その観点から考察するに、現在の病院にてのIT管理システムとは、病院経営者側の“効率最優先”原理に基づき企画されているとしか推測出来ないのだが…。
願わくば、弱者であり多様な病状を抱え生死を彷徨っている患者氏達を主たるターゲットとした“IT管理システム開発”が、病院内でも実行されることを是非とも望みたいものだ。
施設内看護師氏の判断にて急きょ整形外科医受診したところ、右肘骨折(高齢のため全治期間は不定)との診断が出た。
昨日3度目の病院受診に、義母の保証人である私が病院まで付き添う事と相成った。
参考のため、義母が入居している介護施設では入居者負担有料にて介護スタッフが病院への付き添いを代行してくれるサービスがある。 それを初診及び2度目の受診時に利用したのだが、何分、介護スタッフとて日々激務をこなしておられる事を重々承知している。 いつまでもそのサービスに頼りスタッフの皆さんの激務に追い打ちをかけては、保証人の立場としても大いなる心情的負担である。
年末のこの時期に、義母の病院受診に半日を費やすのは私にとっても大いなる時間のロスとの心痛を抱きつつ、昨日それを実行してきた。
本日のエッセイでは、多少の認知症と耳の聞こえの悪さを抱えている義母を引き連れての“病院内付き添い珍道中”を綴ろうとの魂胆だ。
さてさて義母を迎えに介護施設を訪れてみると、早速義母が私に訴えて曰く、「また補聴器を落としちゃったのよ」 (え~~、また?!?)
と言うのも、これで義母が補聴器を落としたのは数回目の事だ。 経済力がある義母が何度補聴器を落として買い替えてもよいだろう。 が、保証人の立場としては、とにもかくにも耳の聞こえにくさが日々激化している義母の身にして片耳の補聴器を落とされては、ほとんど会話が出来ないに等しい有様だ。
(いやはや、参ったなあ。)と思いつつ施設よりタクシーに乗せると、今度は「駅の何口に着くの?」とのご質問。 それに応えて「今日は病院へ直行しますから駅には行きません」 「あら、そうなの」と事情が分かっていない義母が返してくる。
そうして病院に到着した。
今回義母が受診している整形外科が、地元総合病院内の一診療科である事に手間取る事となる。(と言うのも、私自身元医学関係者である事が一番の理由なのだが、病院受診を最小限に留め“予防医学”の観点から我が身を維持しているためだ。 その理由により、最近病院なる場所を訪れた経験に乏しいのだ。)
早速、再診外来受診手続きをしようと志したところ、それを病院内IT管理カード方式に頼ることとなる事実は理解出来た。 その再診入力マシンを発見して、義母の受診カードを入れたのはよかったが…
義母曰く、「主治医先生のお名前を覚えていない…」 そこで私はそれを尋ねられる受付を探したのだが、何処にそれがあるのか分からない。 直ぐ近くの人が配置している受付に直接尋ねたところ、早速義母の担当医師を検索してくれたのは良かった。 それで受付が終了したのかと思いきや我が考えが甘かった様子だ。 結局、入口の再来受付マシンに再度戻って、再び義母の受診受付を再入力させられる有様だった。
とにかく歩行が自由とは言えない義母を椅子に座らせた後に、受付の担当者から義母の名前を呼ばれる。
どうやら先に患部のX線撮影を実施するとのことだ。
放射線科にての義母のX線撮影は右肘の骨折局部であるのは当然だが、おそらく義母がそれを認識していないだろうと想像していると案の上だ。 高齢者にとってX線撮影と聞くと真っ先に「胸部撮影」を思い浮かべるのであろう。 早速上着を脱ぎ始めた義母に、大声で「今日は右肘の撮影ですから脱ぐ必要はありません!」と告げた。 更には、若き放射線技師氏からの「この椅子に座って下さい」の指示も聞き取れない義母に私から大声で椅子の座り方を伝授した後、技師氏から「付添人の方は外に出て下さい」との指南だ。 たとえ少量なりとも部外者がX線被爆を回避するべきとの配慮発言だったと心得る。
ところがその後、既にX線撮影を終えたはずの義母が、いくら待っても出て来ない。 (ははあ、要するに若造放射線技師達の「終了しました」の声を義母が聞きとれていないのだなあ。)と想像しつつレントゲン室に入ってみるっと、まさにその通りだ。 撮影が終了したはずの義母が、未だX線撮影の椅子に腰かけて右腕をまくり上げたままの状態だった。
「お母さん、レントゲン撮影は終わりましたよ!!」と私が大声を張り上げると、やっと分かった様子で次なる診察に向かった。
さて、現在に於いては複数の診療科を抱えある程度の規模がある病院に於いては、電算システムIT化が劇的に進化した恩恵を賜りその導入を実施している事であろう。
ところがこの進化システムが、お年寄り患者氏達にとっては大いなる障壁となっている様子だ。
主治医診察のため、義母を診察室前で待機させるために誘導したところ…
義母曰く、「○子さん(私の事だが)、私はどうしてもこの電光掲示板が分からないの。 今後一人でこの病院を訪れても、この電光掲示板がどうしても読めない。 だから○子さんはじめ施設の人に付き添ってもらわねばならないのが辛いの。 今日の待ち時間内でこれをマスターしたいから、教えてくれる?」
私曰く、「分かりました! まずはお母さんの受付入力番号を把握しましょう。」 義母も必死だ。 その思いは十分に私に伝わる。 やっとこさ、自分の受付番号が「405番」との事は把握出来た様子だ。
次に把握するべきは、義母の主治医先生の診察室の番号だ。 「それは8番です。分かりましたか?」と問う私に、「8番ねえ…」と言いつつ、既に自分の受付番号を忘れている様子だ。 どうやら後で教えた「主治医先生診察室の8番」だけは脳裏にある様子で、「○子さん、8番の診察室は後10名待たなければいけないようよ」
「いえ、そうではなくてお母さんの受付は405番ですから、それに注目しましょう」と教授しても、どいうしても義母の記憶は最後に教えた「診察室は8番」しかない様子だ。
その流れで、やっとこさ電光掲示板にて自身の受付番号「405番」が掲示されたとて、自分の順番が来た事を認識不能な義母だった…
いやはや、確かに病院の電光掲示板システムは、認知症高齢者にとって無理難題課題を多く内在している事実を思い知らされた感覚だ。
しかも、そのIT管理ナンバーシステムは会計ないし薬剤処方まで続く。
今時の医療システムとは、病院と調剤薬局を分離状態にしているのも現状だ。
義母が処方された“湿布薬”を購入するため病院の外に位置している調剤薬局まで引き連れるには、義母の歩行状態が伴わない。 そこで私は義母に告げた。 「私がこれから外部の薬局まで湿布剤を取りに行きますから、ここで座って居て下さい! 絶対にここから動かないで下さい。」 私の指導に従い、義母がおとなしくその席で座っていてくれたからこそ帰宅が成り立ったものの… これが、もっと認知症が進んで徘徊癖がある事態に陥ったならば、一体全体、認知症年寄りを抱えた病院受診をどうせよと、病院側は言いたいのか!?!
何度も言うが、私自身は過去に於いて医学教育を受けている者だ。
そんな身にして身内に認知症状が顕在化した高齢者を抱える事態となった暁に、理解不能な事象が数多く発生する。
その観点から考察するに、現在の病院にてのIT管理システムとは、病院経営者側の“効率最優先”原理に基づき企画されているとしか推測出来ないのだが…。
願わくば、弱者であり多様な病状を抱え生死を彷徨っている患者氏達を主たるターゲットとした“IT管理システム開発”が、病院内でも実行されることを是非とも望みたいものだ。