つい最近の事だが、当該「原左都子エッセイ集」を介して見知らぬブロガー高齢者の方々と直接かかわる機会が複数回あった。
その一つは。
2019.10.03に公開したエッセイ、「大学の授業内容を学生に決めさせるなどあり得ない!!」に対し、メッセージの形で反論”を頂戴した。
驚いたのは(などと表現してはメッセージを送信下さったブロガー男性に失礼なのだが)、そのブロガー氏から2度目に頂戴したメッセージにて、何と“85歳”とのご高齢である事実が表明した事だ!
まず、その反論者のブログを拝見した。 とてもしっかりとしたブログ構成、かつ文章も達筆であられる。 ただ我が感想では、現時点や近き過去に於いて“”プロ”としての何らかの学問活動等はなさっておられない様子だと捉えた。
そして、以下のごとくの返信を差し上げた。
《 この度は、「原左都子エッセイ集」宛に貴重なメッセージを頂戴いたしまして、誠にありがとうございます。 少しも「失礼」ではございません。 私どもは、このような真面目に頂けるメッセージを常に歓迎申し上げております。 〇〇さまのご意見も、ごもっともと実感申し上げます。 まず、朝日新聞の件ですが、時代がネットへと変化した今、確かに紙面にて届けられる新聞が「軽量・軽薄化」している現状を私自身も嘆いておりましたところです。
〇〇さまは、私学ご出身とのこと。 おそらく私よりもずっと若い世代のご人物かと想像致しますが、このような反論を頂戴出来る事実から推察申し上げて、実直に学問に励まれた事であられるのでしょう。
私どもが記載しましたオピニオンに関しましては、我が実体験等々に基づき綴っておりますが。 〇〇さまのごとくの反論がございますことは、十分に把握申し上げてもおります。 それを伝えさせて頂きたく思い、ご返答申し上げました次第です。
「原左都子エッセイ集」 著者 原左都子 》
上記にも記したが、お相手が対等なご年齢やお立場と想定可能ならば、私は相手に迎合するかの如くの返答では済ませたくは無かった。 本音を言えば、持論をもっと深く訴えたかった… 更には、私は朝日新聞の40年来のファンだ。 だからこそ敢えて「天下の」などとの表現を使用した訳だが、それがお気に召さないからと言って、それを直接的に非難する行為とは危険性すら孕むのではなかろうか。 等々、私側としては欲求不満を溜めつつの“いい人ぶり”演技返答だった。
この我が返信を受けて再び、〇〇さまより一部反論が届けられた。 その内容とは、ご自身のご年齢に関する事が主題だった。 この方、実は85歳であられたとの訳だが…
これに関しては私側の単なる“勘違い”であったが故に、それに関しては素直に詫びる2度目の返答を送信した。
その後、〇〇さまより今一度メッセージを頂戴した。 内容としては、今後共ご自身のブログを訪問して欲しい、との趣旨だったと解釈出来よう。 (この時点で、私側からのメッセージ返答は打ち切っている…。)
もう一件の事例だが。
こちらに関しては、かなり頻繁に我がブログを訪問して下さり、また「いいね!」等のご反応も頂戴していたため、一度御礼のメッセージを発信するべきとの我が考えに基づき、それを実行させて頂いた。
直ぐにお相手よりご丁寧に返信を頂戴したのだが。 どうやら、「原左都子エッセイ集」に特化して「いいね!」等を発信されていた訳ではなかったご様子だ。
それは特別ご高齢者に限らず、一般ブロガー達も日々“そうしている”ことであろう。 要するに相手のブログを“読みもせず"して、ご自身がその返礼が欲しいがために「いいね!」を乱発している実態との現実なのだろう。
ただこの2件目の御高齢者の方は、実に誠実な方だった。 今一度、私から「原左都子エッセイ集」の自己紹介も兼ねて返信申し上げると、それにも丁寧な更なるご返信を頂戴した。
はてさて、ご高齢域に達して尚ご自身のブログを立ち上げ、それを介して“世と繋がりたい”と欲している方々と如何なる接触を成すべきか。
それを上手くこなしている高齢者ではないブロガーとは、そもそも我が「原左都子エッセイ集」とは趣向を全く異にして、その場面も重々想定した上でブログを発信されているのであろう。
私自身が「コメント欄」を公開していた2011年以前頃にも、高齢者の皆さんより反論・同感等々のコメントを沢山頂戴している。 ただそれらは、間違いなく私が発信したオピニオンテーマに対するご意見である事に揺るぎなかったものだ。 そのコメントのお陰で我がコメント欄がどれ程活性化され、更なる議論が活発化したことか!
そんな我が“過去のコメント欄の栄光”を振り返るにつれ…。
今現在、高齢者ブロガーが中心とも言えるブログ界を、我がオピニオンブログとしては、今後如何に渡るべきかとの課題を突き付けられた思いでもある…