
(冒頭写真は、朝日新聞本日2021.09.12付記事「嫁、主人、家はいま」より転載したもの。)
冒頭から、原左都子の私事を語らせていただこう。
私の場合、見合晩婚だった事実が功を奏しているかもしれないが。
今回のエッセイ表題に関して何らの問題も抱えることなく、既に結婚生活が28年間に及んでいる。
見合い結婚というのは、実に優れた家族制度であるように私は考える。
と言うのも、婚姻以前にお互いの経歴を「釣書」との形ですべて表に出すために、それを一見すればお互いの成育歴や学業経歴、職歴等々が一目瞭然だ。
そして何よりも利点であるのは、あらかじめ婚姻後のお互いの種々の希望を見合席にて話し合いにより合意に持ち込めた上で成婚に至れる点であろう。
私の場合は職業人であったため、それを婚姻後も続行する旨や。
子供はどうするか? 作る場合はいつ、何人欲しいか??
あるいは親との同居の有無なども確認可能だった。
我が夫婦の場合は晩婚だが、子供は欲しいが一人で良い点や、高齢晩婚のため早めに出産しよう等を最初から亭主と同意できたのはラッキーだった。
これが面白いのは、結婚式前に既に私が身ごもっていたことに気付かず、二人でそれを話し合ったことだ。 (これを周囲に話すとすぐに、“できちゃった婚ね” とよく言われたものだが、それに私が反発して“出来てた婚だよ!” と言い返したものだ。)
親との同居に関しては、あちらの親こそが「同居は一切しません!」と宣言して、我々夫婦にタワーマンションをプレゼントしてくれた。
ところがそこが我が勤務地より遠く、しばらく原家が実家敷地内に運営するアパートの一室に住みたい、と私が申し出たところ。 「せっかくタワーマンションをプレゼントしたのに、何でこんなアパートに住みたいと言うのよ!早めに出て行ってね!」と義母から怒られた…
そうこうして私は娘出産の直前まで高校教諭を勤めた後、出産退職にて職場を去りタワーマンションへ引っ越した。
その後一時専業主婦の身となり、若干の不具合を抱えて生まれてきた娘のサリバンとして娘の支援を続けつつ、医学分野へ復職したりして現在に至っている。
子育ての合間に家事のすべてを一貫して我が業としているが、特段の不服もないままに娘は我がサリバン力により?立派に成長を遂げ、今や正社員として日々仕事に励んでくれている。
亭主定年退職後は、お互いの年金収入を独立採算制としてお互いが管理している。
3人の生活費に関しては亭主の企業年金を当て、それは私が手元で日々管理している。
お世話になった義母の介護に関しては、私が一番懇親的にかかわっている。 義父は15年程前に他界し、安らかにあの世へ行ってくれたと言えよう。
何らの不服も不都合もない、理想的な一家ではないだろうか? と私は評価しつつ、結婚後の我が家の生活を過ごしてきている。
さて、朝日新聞記事に戻ろう。
上記で語った通り、原左都子に関して言えば結婚後夫及びその実家関係に於いて、何らの不服も無いと言えるのだが。
当該朝日新聞記事を読むと。
結婚後「嫁」や「主人」としてのふるまいを求められたり、「嫁」や「主人」として扱われたと感じる人が多数であることに驚かされる。
その分野は、「家事」「育児」「夫と親との同居」「妊娠・出産」「介護」「親戚や地域との集まり」「帰省する時、夫の家が優先される」「夫の家の墓に入ること」「実家を守ること」等々…
これらを未だに強要されている家庭が多いことに、実に驚かされる。
最後に、原左都子の感想だが。
婚姻生活に於いて、国民の皆さんはそれ程までに不自由を強要されているのであろうか??
ただやはり、それを打破するのは個々人の能力と力量ではあるまいか?
その手段として、結婚相手との出会い方を自分なりに吟味するというのも、一つの方策ではなかろうか? と原左都子など思ったりもするのだが…
この私など、未だに「嫁」との言葉がこの国では“生命感”がある事実に愕然とさせられたりもする。
義母の介護施設にてそれを経験するのだが、確かに実の娘と区別するには「嫁」しかないのであろうと。 施設からの「お嫁さんですね」との問いに「はい。そうです」と答える都度。
この「嫁」たる言語、何とか別の表現ができないだろうか? と思わせられるのが正直なところだ。