原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

忘れ去られる勇気を持とう ー vol.3 ー

2022年02月01日 | 人間関係
 昨日の「原左都子エッセイ集」編集画面のベスト50内に、表題に掲げたテーマの再掲載版がランクインしていた。

 この原版は、本エッセイ集開設初期の2008.07.10付エッセイとして同題名にて公開している。


 以下に、その原版を再掲載させていただこう。

 2008.7月6日(日)朝日新聞朝刊のコラムで「忘れ去られる恐怖」と題する朝日新聞編集委員による記事を見つけた。
 興味深いコラム記事であると同時に、本ブログの前回の記事「正しい携帯電話の持たせ方」の内容にも通じるエッセイであるため、前回の続編の意味合いも兼ねて今回の記事で取り上げることにする。

 それでは早速、上記コラム記事「忘れ去られる恐怖」を以下に要約しよう。

 “死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です”こんな堀口大学訳の「月下の一群」に収められた画家マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」の一節が頭から離れない。 あの秋葉原の悲惨な事件の容疑者が、現実にもネット上でさえも孤独であったと述べている。 近年、この“忘れ去られる恐怖”が静かに広がりつつあるように感じる。携帯電話への過剰な寄りかかり、ネット上で過熱する自己主張…。
 浅羽道明氏著「昭和三十年代主義」という本がある。昭和30年代が多くの人がノスタルジックに讃えるほど明るくて前向きでいい時代だとは思ってはいないが、なぜこの時代がブームになったのかと言うと、この時代は、不便だから仕方なく成立していた、人が誰かのために体を動かして働いていることが目に見える「協働体」のような関係の広がり、いわば、お互いの存在が“忘れられない”世界であったためという。
 便利さや豊かさとは、そんな人の働きを機械や見知らぬ人々のサービスに置き換えていくことだった。そして、働く人々は効率化のため機械の一部品のように使い捨てられていく。誰のために、何の役に立つのかわからない働き…。(自分の存在が)忘れ去られたと思い込む人々が増える世間なんて、あまりろくなものでもない。
 以上が、朝日新聞コラム記事「忘れ去られる恐怖」の要約である。
 
 本エッセイ集前回の記事「正しい携帯電話の持たせ方」には多くの反響コメントをいただいた。 そのコメント欄で、奇しくも上記コラムと同様の議論を読者の方々と展開させていただいている。

 昔、電話さえもなかった時代は、人と人とのかかわりのすべてが“生身”の人間同士のかかわりであった。科学技術の発展と共に文明の利器が次々と登場するにつれて、“生身”の人との間に距離感が生じてくる。今や、パソコン、携帯を経由したネット上での人とのかかわりが日常茶飯事に展開される時代と化している。この現象は人間関係の希薄化に追い討ちをかけ、希薄化を決定的なものとしている。そして、子どもまでもが人とのかかわりを携帯等を通じたネット社会に依存する時代となってしまった。

 “出会い系”というサイトが存在する。なぜネットを通さなければ人と出会えないのか、私には理解し難い世界である。普段の普通の生活の中で生身の相手に出会い、かかわれば済むはずなのに…。もちろん、ネット社会には普段出会えるはずもない遠方の相手等とも瞬時にして出会える等のメリットもあることは認める。 だがその背景には、生身の人間同士のコミュニケーションの希薄化という病理が現代社会に蔓延りつつあることは否めない。それでも人間とは本能的に自分の存在を“忘れ去られ”たくない生き物なのだ。誰でもいいから手っ取り早く出会える相手をネット上で見つけてでも、自分の存在を認めて欲しいのであろう。 
 メール交換も同様だ。大した用件もないのにむやみやたらとメールを送り、相手に強迫観念を抱かせる程の返信を要求するのも“寂しさ”のなせる業、すなわちやはり“忘れ去られ”たくない心理を物語る行為である。

 ネット上でさえも孤独であったと言う秋葉原事件の容疑者。だがそもそも、ネットというバーチャル世界で真の人間同士のコミュニケーションがとれていつまでも“忘れ去られない”関係が築けるのがどうか、それ自体が疑わしい。
 加えて、どのような人間関係であれいつかは終焉が訪れるものでもある。自分の存在を“忘れ去られ”てしまう恐怖に怯えネット社会をさまようことよりも、忘れ去られる勇気を持って現実社会で人とかかわり人の温もりを感じていたいものである。

 (以上、本エッセイ集2008.07.10付エッセイを再掲載したもの。)



 このエッセイを記してから、既に14年余りの年月が流れている。

 既に高齢域に突入している我が人生に於ける人間関係も、大幅に移ろいだようだ。

 今となっては「忘れ去られる勇気」どころか。
(この人にはいい加減私の存在を忘れて欲しい!) あるいは、(この人からの連絡は受けたくない!)なるマイナーな人間関係が蔓延ってしまった感覚すらある。

 その一例が、先だってのエッセイにて取り上げた米国暮らしの実姉だ。
 こちらからは25年前に “命がけで縁を切った”のに、あちらからは「つまらない意地を張っていないで、もうそろそろ復縁しよう」との実母を通じての“悠長な”伝言が届いてしまった。
 絶縁とは命がけだ! そんな生易しいものでは無い! との我が結論を既に述べている。


 別件だが、この人にも私の事を忘れて欲しいと正直言って思う相手がいる。

 それは、現在高齢者介護施設に暮らす義母だが。
 定期的な耳鼻科通院時には、必ずや嫁の私が付き添いをして既に10年の年月が流れているのだが。
 難聴と認知症状の悪化以外に特段致命的な病状が皆無故に、90歳を過ぎた今尚、その耳鼻科付添いタイムが義母にとっては人生で一番の楽しみのようだ。
 他の事はすっかり忘れ去っているのに、この2か月に1度の耳鼻科受診のみは予約票を肌身離さず持っていて、受診日をしっかりと覚えているのだ!😨 
 これが大変! 受診1週間前頃から日々何度も電話がかかってきて「〇日は〇子さん(私の事)に付き添ってもらっての耳鼻科受診なのよ。当日は何時何分頃に施設へ迎えに来てね」と、嬉しそうに電話を寄越す。
 今となっては、亭主が義母の電話応対担当のため私は出なくて済むが。
 親孝行者の亭主が、それに丹念に応えているのを傍で見る都度。
 当日の半日間の義母耳鼻科付き添いの難義さを思い描いて、茫然とさせられている…
 実際大変だ! 静寂にせねばならない医院待合室で義母が私につまらない話題を振って来る都度、「お義母さん、ここは病院内ですから静かにしましょう!」と大声で諭さねばならないあの辛さ、お判りいただけるだろうか?

 まあ、この生業などは2か月に一回であるし、耳鼻科でも既に義母の認知症は理解してくれているし、とにかく明後日は頑張ろう。



 話題が、大幅にズレたようだが。

 若き時代には、例えば心から愛する人には忘れ去られたくない! なる純粋な感情が内面から湧き出たものだ。

 それが、様々な人間模様を経験しつつ年齢を重ねる毎に。

 “忘れ去られる人生”こそがひとが歩むべく道程なのかと実感できるのも、ひとの人生であるのかもしれない。
 

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