(冒頭写真は、原左都子還暦頃に徳島・阿波踊り会館にて観客の立場で阿波踊りを踊り、表彰された時の写真。)
私は物心ついた頃から、郷里の盆踊りである「阿波踊り」を好んでいた。
あの大太鼓や鐘のお囃子のリズム感が、我が幼き体感にズシン・ズシンと響き渡り、内面に訴えてくるものがあった。
いつかは夏本番の阿波踊り桟敷席に踊って繰り出して行きたいものだと志していたところ。
高校生時代に、そのチャンスがやって来た。
実母の勤務先であった県庁・土木事務所が道路公団と「本四架橋」工事計画にからんでいた関係で、娘の私に「本四架橋かけよう(架橋)連」(参考ですが、阿波踊りでは阿波踊りのグループのことを「連」と言います。)にて是非踊って欲しいとのオファーが、母を通して来たのだ。😃
それを引き受けて、早速踊りの練習が始まった。
高校が夏休みに入って後に有名連のプロから踊りの基本から学び、皆が集合して全体練習を繰り返した。
皆さんはご存じないだろうが、阿波踊りとは実に“難しい”踊りだ。 腰の落とし方や前傾姿勢の保ち方、それから手の位置や指使い、足の挙げ方・運び方等々、特に女踊りの場合は体力と共に実に繊細な動きを要求される。……
まあとにかく「かけよう連」の場合はあくまでも素人連のため、有名連に比して下手でも許されるのだが、それでも少しでも全体像が揃って美しく見えるべく皆で努力したものだ。
参考だが、私は長身のため女子の最前列で踊ることになった。 (阿波踊りは連の全体像も美しく見えるべく、そのような配置にもこだわりがある。)
本番では、鳴門市と徳島市の桟敷席で踊ることになったのだが。
鳴門の桟敷席は観客が少ないのに加えてそれほど規模が大きくなく距離も短いため、さほど緊張も疲労もせずして本番を終えた。
これが徳島市の阿波踊り本番ともなると、全国から押し寄せた観客と踊り子で街中がごった返している。
桟敷席も鳴門の2倍以上の広さと距離、そして4,5倍(もっとか?!?)の観客数だっただろうか?? 会場は、溢れんばかりの観客で満員御礼状態だ。
緊張しつつ桟敷席へ繰り出して行ったものの、困ったことに途中から挙げた腕が既に筋肉痛状態だ。 これ出口まで腕を上げ続けられるのか?!?
その闘いとなったが、何とか痛みを堪えて出口に辿り着いた。
カラカラに乾いた喉と重労働で疲れ果てた身体で何とか出口を出てみると、そこには職員の方々が待っていて下さり、飲み物を進めてくれる。
(この話はどうか時効とのことでお許しいただければ幸いだが)、私は身長が高く日頃から十分に大人に間違われていたのだが、ビールを手渡されてそれをごくごくと飲み干した。 とにかく喉がカラカラ状態で水分補給をしたかった。 そうしたら、男性が「おっ、いける口だね!」と言いつつもう一杯お替りをくれた。
それもほぼ一気飲みをして気が付いた。 子供の頃から大人が飲んでいた赤玉スイートワインが好きで、がぶ飲みしてへいっちゃらな子供だったことに。😜
ビールに話を戻すと、別に何ら酔っぱらうでもなくもっと水分補給したい程だったが、さすがに高校生の立場で自粛した。
いやはや、実に爽快な夏の思い出だ。
あれが我が本場阿波踊り経験の最初で最後である。
朝日新聞2021.08.12付記事「阿波踊り 悩みながら復活」をの一部を以下に引用しよう。
新型コロナウィルスの影響で昨夏、戦後初めて中止となった阿波踊りが8月12日から2年ぶりに開かれる。 主催の徳島市は「伝統の継承」を掲げ、開催に踏みっ切った。 ただ、踊り手や観客は徳島県内在住者に限定し、日程も短縮するなど苦肉の策を講じての「復活」となる。 (中略)
例年の夏ならば、阿波踊り独特の二拍子のリズム「ぞめき」が響き多くの人が行きかう街も、昨夏は静まり返った。 観光や宿泊業など県内経済も大きな打撃を受けた。
新型コロナの収束が見通せないなか、阿波踊り実行委員会は2年連続の中止は避けようと動き出した。 (中略)
そして、安心・安全な環境構築が最優先として、従来より規模を縮小した開催を明らかにした。
(以下略すが、朝日新聞より一部を引用したもの。)
最後に、原左都子の私見でまとめよう。
とにかく音楽好き・ダンス好きの私としては、もちろん「阿波踊り」も大好きだ。
それが理由で郷里へ出かける用がある都度、冒頭写真の「阿波踊り会館」へ足を運び、舞台で踊る始末だが…
徳島の阿波踊り実行委員会の言うところの「安心・安全な環境構築」が満たされた上での今夏の阿波踊り開催だったのか否か、に関しては。
明日の最終日以降に、その結果が出るものと予想する。
厳しい言い分を許して欲しいが。
おそらく少数派の意見だったと思しき 2021夏の「阿波踊り」開催が成功だったか否かに関しては。
明日「それが終了して後に発表される、徳島県内の“コロナ感染者情報”」に左右されるとの事ではあるまいか。