原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

マイナンバー制度導入するならとりあえず「通知カード」届けてよ!

2015年09月18日 | 時事論評
 10月から日本国内に住民登録している全ての人に、マイナンバー(個人番号)を知らせる「通知カード」が世帯単位で簡易書留により送付される手筈となっている。


 ところがこれを黙って待っていては届かない人間が国内に少なからず存在する事実を、皆さんはご存知だろうか?

 以下に我が住居地に届いた「区報」より、「やむを得ない理由で住民票の住所で受け取れない方へ」を引用しよう。
 やむを得ない理由(東日本大震災の被災者、DVなどの被害者、単身世帯の方で長期間、医療機関などに入院・入所している方」で、通知カード住民票の住所で受け取れない方は、9月25日(金)までに住民票がある区市町村に居所情報の登録が必要です。 登録方法など詳しくは、住民票のある区市町村にお問い合わせいただくか、区ホームページの「マイナンバー制度」をご覧下さい。
 (以上、我が住居地に届いた「区報」より引用。)
 

 これを読んで私はすぐさま、その「届かない」人間に我が義母が該当すると判断した。
 義母は現在「高齢者介護施設」に入居中だ。 ただ義母の住民登録は自宅がある住居地に置いたままにして、現住所地への転入届を提出していない。 と言うのも、義母住民登録地に於いて現在も義母の名義にて不動産貸付業を営んでいる故だ。
 そこで亭主にその旨を伝えた。 「貴方のお母さん、このままではマイナンバー通知カードが届かないよ。 だけどもう老い先短い身だし、届かないまま放置していてもさほどの不利益はないんじゃないの?」なる私の無責任かつ後の義母フォローが面倒臭いのが見え見え発言に対し…
 亭主曰く、「そんな訳にはいかないよ。 マイナンバー制度とは、今後全国民の金融機関通帳の中身や不動産等々も含めた個人所有全財産を国家が詳細に渡って把握し、税務管理等々多分野に於いて厳しく介入しようとしている制度だ。 義母の場合、高齢にして尚それらの財産を所有している身であるから、ここはマイナンバー制度賛成・反対如何にかかわらず、必ずやマイナンバーを取得しておかねば今後の母の財産管理が立ち行かない。」
 (要するに貴方は義母の財産税務管理を一任されている私が、それを黙って代行せよ、と言いたいのね)と多少鬱陶しく思いつつも…

 すぐさま、私は義母が住民登録している東京都内某区の「マイナンバー制度課」へ電話をかけた。 と言うのも、「居所申請登録」締切日である9月25日が目前に迫っている故だ。 しかも9月のシルバー連休とやらの“5連休”がその締切日の直前に位置している。 これは事を急がねば、義母の手元に「マイナンバー通知カード」が届けられない事態と相成る。

 都内某区の電話口に出た担当者氏が良識的な対応をしてくれた事に、まずは救われる思いだった。 
 電話口にて義母が置かれている現在の境遇に関して私の話を十分に聴き取ってくれた後、「しばらくお待ち下さい」と電話対応女性は私に告げた。 その後まもなく私に問うてくれたのは、「義母様の認知力の程は如何程でしょうか?」だった。 これを確認してくれない事には話が始まらないのが、まさに要介護高齢者を抱える保証人の立場だ。
 「五分五分です。」との我が咄嗟の回答に対し、電話女性曰く、「もしも介護人様同席の上で、ご本人が『居所情報登録書』を自筆可能な場合、それを記入して区まで提出して下さい。 そうでなく代理人様の代筆となる場合は、御本人の『委任状』も必要です。 書面はパソコンネット上でダウンロード可能です。 分からない事がありましたら、お電話を頂ければ対応致します。」

 さてその後、私は義母住民登録地自治体の電話指示に従い、義母の「居所情報申請書」を作成し郵便にて送付した。
 ここは無事に当該申請書が役所に届き、10月に入った暁に義母が現在住む高齢者介護施設宛に「マイナンバー通知カード」が届けられるのを祈るばかりだ。

 それにしても、東日本大震災被災者に上記の「居所情報登録申請書」を期限までに自治体まで提出せよ、と迫る自治体の常識の程を疑いたい思いも抱く。
 更には、つい最近発生した関東地方に於ける豪雨被害にて避難所生活を余儀なくされている被災者にも、この書類を自署して役所に提出せよ!と国家や自治体は指導しているのであろうか?!?


 最後になるが、 以下にウィキペディア情報より「マイナンバー制度」の沿革を辿ってみよう。
 国民個々に重複しない番号を付与し、それぞれの個人情報をこれに帰属させることで国民全体の個人情報管理の効率化を図ろうとするものである。 氏名、登録出生地、住所、性別、生年月日を中心的な情報とし、その他の管理対象となる個人情報としては、社会保障制度納付、納税、各種免許、犯罪前科、金融口座、親族関係などがあげられる。 多くの情報を本制度によって管理すればそれだけ行政遂行コストが下がり、国民にとっても自己の情報を確認や訂正がしやすいメリットがある。
 一方、国民の基本的人権が制限されたり、行政機関による違法な監視、官僚や関係者(非正規雇用職員)の窃用や、不法に情報を入手した者による情報流出の可能性があること、公平の名のもとに国民の資産を把握し膨れ上がった政府債務の解消のために預金封鎖を容易にすることを懸念する意見がある。
 一部の国では上記によって付与した番号を軸にその他の個人情報を管理している。

 日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民票コード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関して縦割り行政で重複投資になっている。  (中略)
 平成27年9月の改正では、マイナンバーの利用範囲を預金口座や特定健康診査(メタボ健診)にも拡大する「改正マイナンバー法案」が衆院本会議で、与党や民主党などの賛成多数で可決、成立。 2018年から金融機関の預貯金口座にマイナンバーを適用することが柱。2021年からは義務化を検討。
 (以上、「マイナンバー制度」に関するウィキペディア情報を一部引用したもの。)


 諸先進国に於いては既に導入されていると日本国民に吹聴しつつ導入された 「国民マイナンバー制度」。
 今後総国民の個人ナンバーを管理する立場にある国家あるいは地方自治体が一旦その管理や使い道を誤ると、とてつもなく危険極まりない制度である事は誰しも想像が付く事であろう。 
 ただ、我が国日本はそれを既に導入してしまった。
 ここは2021年の「ナンバー制度義務化」を視野に入れ、今後「マイナンバー」に関する諸情報を直視しようではないか。

 それにしても今現在の原左都子のとりあえずの願いは、表題に掲げた通り、高齢者施設に暮らす我が老い先短い義母にも必ずや「マイナンバー通知カード」を届けて欲しいに尽きるのだが…

レジでお金が足りなかった経験ないですか?

2015年09月16日 | お金
 なんと恥ずかしくも、昨日ディスカウントストアのレジで表題の大失敗をやってしまった!

 我が60年に及ぶ長き人生の中で、こんな子供もしない“恥晒し”を人前でしでかしたのは初めての事だ。


 ただ自己弁護をすると、こういう事態に至ったのには特別な事情がある。
 昨日は自宅近くの大規模公園へランニングに出かけた。
 家からランニングスタイルに着替えて出かけるため、持ち物はウェストポーチのみだ。 それを腰に巻き付けたままランニング練習を実施する関係で、出来るだけポーチの中身を軽くしておく必要がある。 それ故にいつも財布は持たずに札と若干の小銭をポーチのポケットにねじ込んおくのだが、昨日は千円札を3枚と少額の小銭(昨日の場合48円だったが)を入れておいた。

 ランニング練習が終わり、自宅近くのディスカウントストアに買い物に寄った。
 我が所持金は、千円札3枚と小銭48円 = 合計3048円也。
 この金額は、確実に我が脳裏にあった。 その金額内の買い物をしようと志すのは当然であり、私は得意の数値計算をしつつ買い物をすることとなる。  
 数値計算とは言えども電卓を使用する訳ではなく、あくまでも暗算にての買い物であるため限界があるのは確かだ。 消費税8%を含む概算値を十円単位まで暗算にて計算しつつ、我が脳内には本日の買い物合計額は3000円を少し切っているとの目論みでレジに並んだ。

 ところがいざレジを打ってもらうと、なんとその結果、買い物総額が ¥3,056-也!
 内心(えっ?何で??)と思いつつ、まさかレジ担当女性に「打ち間違えていませんか??」などと聞ける訳もない。 うろたえつつつも、「申し訳けありませんが、所持金が足りませんので商品を減らします…」
 こんな時ほどレジが混雑しているのが、世の常だ。
 “なにやってるの、この貧乏人!” と言いたそうなレジ後方に並ぶ人々の冷めた視線に晒されつつ、私は買い物かごの上部にあった一品を返却した。

 それにしても解せない思いと、とてつもなく押し寄せる羞恥心が入り混じった複雑な心境で足早に自宅に帰った後、レジ担当者が打ってくれたレシートを確認した。
 なるほど、買った商品とレジにて支払った代金は合致している。 ならば、私の暗算にミスがあったのか??
 と思いつつレシートを詳細にチェックし直したところ、原因究明が叶った!

 陳列棚から引っ張り出した「チータラ」を私は2枚取り出したものと認識していたのだが、その2枚目が3枚目とくっついていて、結局私は「チータラ」を3枚購入していた事実が判明した! 
 その金額が消費税を含めて、¥106-也。 これを今回のレシート合計額である ¥3,056-也 から差し引くと、私の概算計算値に近い ¥2,950-也 となるはずだった……。
 
 ただまあ今回の教訓とは、年齢を重ねると老化現象で手が滑り易くなったりして2枚買ったつもりが3枚買っている事も十分あり得るのを実感させられたという事だろう。 
 故に今までのような杓子定規計算ではなく、自分の“老いぼれ度合い”も勘案した対策を取らねばならないという事でもあろう。


 話題を変えるが、私は日々財布に入れる現金額を一定に保っている人種である。
 もちろん、その日の出費金額があらかじめ明らかな場合はそれに準じた金額プラス多少の余裕額を財布に入れて出かけるのが日常化している。
 何故ならばそれこそが我が金銭感覚の源である故だ。 なるべく現金決済を主眼とし、カード決済はやむを得ない状況下にての手段と心得ている私としては、突如としてカード決済に頼る事などまずあり得ない。

 ところが必ずや予期せぬ出費が待ち構えているのが現世ではなかろうか? 
 時折これに困惑させられる事態と相成った経験も無きしも非ずだ。
 例えば、娘の振袖を買い求めた時に「内金を入れて下さい」と要求された事がある。 ところがその日はこちらとしては単に娘の振袖見学目的だったため、 内金を財布内に持参していなかったのだ。 「如何程の内金が必要ですか?」と問う私に、「出来ましたら商品の1割以上でお願いしたいのですが…」  まったくもって、とてつもなく酷い親なのだろうが、私は当日その金額を財布内に持ち合わせていなかったのだ。
 「すみませんが現在その現金を持ち合わせておりませんので、今回は振袖購入を諦めます」と訴えたところ、「ならば少額でもいいですから、頭金を入れて下さい」との返答だ。

 上記の類の商法が現在の社会でまかり通っていると私は判断するのだが、要するに財布内に現金を少額しか持ち合わせていない人物とは「皆貧乏人」、との常識で世の商業団体は動いているのだろうか?

 いや、その論理も分かる気がする。
 要するに商売人側にとっては、相手の顧客が貧乏人であろうが多額の債務を抱えていようがどうでもよい話だのだ。
 今や各種「借入ローン」市場金融機関が活気づいている有様だ。
 理由など何でもいいから、とにかく「ローンを借り入れてよ!」 と訴えてくる金融機関が小規模組織も含め膨大に市場をうごめいている。


 原左都子自身もたかが貧乏人の一人を自覚している故に、商業団体や金融機関に言っておきたい事がある。

 貧乏人とて千差万別であり、一生自己資金のみで生き通したい貧乏人も存在するのよ!  少なくとも私の場合、金融機関よりの「借入ローン」など利用するつもりは今後一生を通じて断じて無い!
 
 昨日ディスカウントストアのレジにて支払額が不足していた事実に関しては、大いに反省している。
 が、今後も日々持ち歩く財布内の現金管理を自己の経済力に応じて行っていくつもりだ。

人に褒められて嬉しいうちは人間として未熟な証拠

2015年09月14日 | 自己実現
 辛口論評エッセイを8年来公開し続けている原左都子だが、こう見えて現実世界では意外や意外「褒め上手」を自覚している。
 特に自分よりも年少者に対しては、まず「褒める」事を常に心がけている。


 その最たる存在が我が娘だ。
 娘のお抱え家庭教師を幼少の頃より貫いて来ている私は、「サリバン先生」の立場でとにもかくにも幼少の頃より、娘が出来なかった事が出来るようになったなら“絶対評価”にて何が何でも褒めちぎったものだ。 
 「○○ちゃん、凄~~~い!」と言って娘と抱き合いつつ、拍手と万歳!そして二人で飛び跳ねて喜んだものだ。
 今現在尚、形を変えつつ娘を“絶対評価”にて褒める習慣は揺るぎなく続いている。 大学4年生にして就活「内定」が未だ貰えずとも、「貴女には貴方なりに培ってきた素晴らしい能力が備わっていて、それを母の私は十分承知・評価している。結果とは必ずついて来るものだ!」と褒める日々だ。

 そんな我が経験からもの申すならば、人を「褒める」事が「褒められる」相手に有効に作用可能な原点とは、褒める側のポリシーこそが確固としている事に尽きるであろう。
 要するに褒める側が褒められる側の“同意の実感”を呼び起こせると確信した上で褒め言葉を発してこそ、褒められる側の成長に繋がるとの事ではあるまいか。

 そもそも私が年少者の“褒め上手”になったきっかけとは、高校教員を経験したからに他ならない。 
 何分私が勤務したのは「底辺高校」(幾度もの失礼な表現を心よりお詫びしますが)。 だが、キラキラ輝く目とハートを持ち合わせている子供達と日々触れ合えた経験こそが、私を“褒め上手”大人に仕立て上げてくれたと感謝している。 
 あの時代の経験が無ければ、その後も私はいつまでも褒められる側に位置するつまらない人生を歩んだ事だろう。 単に他者に褒められ有頂天になり人生をまっとうする“単純馬鹿”かつ“世間知らずのみっともない”人生を重ねていたような気もする。 (そういう輩って悲しかな現世に溢れているよねえ。)


 ここで話題を大幅に変えよう。

 朝日新聞9月12日別刷「be」“RANKING”のテーマは、「こんな言葉でほめられたい」 だった。

 早速そのランキングを、1位から20位まで紹介しよう。 
  ① 「頭がいい」  ② 「思いやりがある」  ③ 「笑顔がいい」  ④ 「気が利く」
  ⑤ 「センスがいい」  ⑥ 「教養がある」  ⑦ 「アイデア豊富」  ⑧ 「優しい」
  ⑨ 「落ち着いている」  ⑩ 「品がある」  ⑩ 「若く見える」  ⑫ 「誠実」
  ⑬ 「意志が強い」  ⑭ 「頼りがいがある」 ⑮ 「行動力がある」 ⑯ 「聞き上手」
  ⑰ 「しっかりしている」  ⑱ 「おもしろい」  ⑲ 「おしゃれ」 ⑳ 「おおらか」

 この朝日新聞“RANKING"宛に事前回答を寄せたのは、当然ながら朝日新聞の読者である。 
 その年齢層を本文を読んで推測した我が予想を公開するならば、おおよそ40代から70代の年代に偏っている様子だ。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 40代から70代の朝日新聞読者にして、今更ながら「頭がいい」と他者から評価して欲しいとの願望が燦然と一位に輝いている事態に驚かされると共に、大いなる違和感を抱かされる。
 「頭がいい」と褒められる事実など、ご自身の人生初期段階の当の昔にとっとと自己証明して自己満足を達成すれば済んでいる話ではなかろうか??

 同様に、40代から70代にして、「教養がある」と褒めて欲しいだと??? 
 いやはや、笑い話としか捉えようがない。  むしろ場をわきまえずにそんな事を表ざたにしたならば、「教養無き人物」として嫌われる対象と私は心得るのだが…。
 ご自身の教養の程に関しては、高齢に達してはそれこそブログ等にでも綴り公開して、狭き世間よりの評価に期待し自己満足してりゃ済む話であろう。


 私自身が今尚世間からよく頂戴する「褒め言葉」がある。

 年齢よりも「若く見える」がその最たるものだが、これに関してマイナーな感情を抱いている事実についてはバックナンバーにて散々公開している。(2011.1.18 「『お若いですね』は今や褒め言葉ではない」等を参照下さい。) 

 「頭がいい」に関しても、今となっては“誰にもの言ってるんだ!!”なるマイナーな感覚を抱こうとて、プラスのイメージは全くない。
 同様に「教養がある」 に関しても、“どんな立場で人にもの言ってるんだ!”と言いたくなるが、幸いながら最近はこんな発言をされた経験はないかもしれない。


 最後にまとめると、自分自身が褒められていると自覚出来ない言葉を「褒め言葉」として他者から発せらるのが誰しも一番不本意なのではなかろうか。

 原左都子としてそれを列挙するならば、以下の項目に於いて、私は生涯それには属さない人材である事を自覚している。
  ② 「思いやりがある」   
  ⑧ 「優しい」
  ⑨ 「落ち着いている」 
  ⑩ 「品がある」  
  ⑫ 「誠実」
  ⑳ 「おおらか」

 
 ただ、人間関係とは多様性がある事も十分に心得ている。
 もしも信頼している人物より「貴方にはこういう側面もあるよ」 などと優しくささやかれたならば、身勝手にもそれを自分の魅力として再認識させられるのかもしれないね。 

試験問題漏洩とコネ採用、どっちが許し難い?

2015年09月12日 | 時事論評
 その答えとは、どっちも許し難いに決まっている。 


 ただ、“現役就活落ちこぼれ娘”を抱える親の身としては、現時点では後者の「コネ採用」の方が我が身に照らして許し難い。
 いえいえ、だからと言って決して泣いて暮らしてなんかいませんよ。 

 8月末時点での大学生就活内定率が7割との報道を見聞しているが、おそらくその後半月が経過した現在、もっと内定率が上昇している事であろう。
 それでも、私は(亭主も含めて)決して娘を責めたりはしない。 何故ならば、我が娘の“就活頑張り力”が相変わらず凄い故だ!
 落とされても落とされてもへこたれない。 次から次へと自力で就活先を見つけてきては、夜な夜な膨大な字数の応募用紙を書き上げ封書にて郵送している。 ダブルヘッダーで就活を2コマこなす日も多い。 「必ず昼ご飯をちゃんと食べるのよ!」と送り出す以外何の役にも立たない親だが、それでも、いつも元気に帰宅する。
 
 9月初旬には、大学の就職課へ相談に行ったようだ。 果たして未だ「内定」が取れていない学内学生が如何程かは不明なれど、一応大学側からも就職先の紹介を受けた様子である。 ただ娘の意思の程は固い。 自分の適性や希望と照らして少しでも“違和感”を抱く就職先には、たとえ大学からの紹介とは言えども、決して首を縦には振らない娘だ。
 これに対し、亭主はせっかくの大学からの紹介を利用したらどうかとアドバイスするのだが、私はあくまでも娘の方針に賛同したい。 下手に大学紹介に迎合して「内定」を取ったとて、“違和感”を抱いたまま就職してどうなる?? ここは娘の判断に任せよう、と亭主を指導している。
 そんな事より、「残り者には福がある!」と私は娘を前向きに応援している。 「来春4月の就職まで後半年もの余裕がある。7割以上の新卒者が既に内定を取ってくれているお陰で、現在就活競争率が低下している。今後こそが狙い目だ。きっと貴方に相応しい就職先があると私は信じている。」と日々娘に語る母の私だ。
 

 ところで、そんな“就活落ちこぼれ娘”が8月末頃、国家省庁下部に位置する団体法人(要するに“天下り団体”だが)の新卒採用試験を受けた。
 この試験の競争率たるや、物凄いものがあったとの娘の話である。 少人数採用枠に押し寄せた就活学生数は何千人規模に及んだとの事だ。

 それに先立ち、私は郷里の母と娘の就職に関して電話で会話をした。
 定年まで地方公務員を務めた母の言い分は、「国家省庁をはじめ国や地方自治体の息がかかっている団体は、必ずや“コネ採用”に頼っていたよ。 新人採用と言ったところで、毎年採用されてくる新人皆が現役職員の子供等ばかりだった。コネがなければまず役所には入れないと思っていた方がよい。 よほど筆記試験で高点数を取れない限り、不採用となる事を覚悟しておくべきだ。」
 実際その通りだったのだろう。 おそらく筆記試験で高得点が取れなかった娘に早々に「不合格」の通知が届いたということだ。

 ただ、どうなのだろう?
 確かに国家公務員上級試験の関門を通過して将来官僚を嘱望される程の人材ではない、たかが国家省庁「天下り団体」の現場で、如何なる優秀な人材が必要なのだろうか?? 
 誰でもよければ、どこの馬の骨とも知らぬ他人を採用するより、職員等のコネを利用する方がそのDNAに頼れる利点もあると判断しているとも捉えられるのかもしれない。
  
 と言いつつも、安易にコネ採用にばかり依存している団体とは、今後の発展もコネ者達の(失礼ながら)乏しきDNA力や更なる縁故力に依存してのはかなき生命力なのだろうね……


 ここで、話題を大幅に変えよう。
 
 今年(2015年度)の司法試験で、問題作成を担当する考査委員を務めていた明治大学法科大学院教授氏が、問題の一部を漏洩したとして、法務省は氏を告発した。
 同省によると、氏は2006年から司法試験考査委員を務めていた。 今年の司法試験では論文試験のうち憲法に関する問題の作成を担当。 同大学院を修了した教え子の20代女性に対し、担当した問題内容を事前に漏らした疑い。同省は氏を考査委員から解任した。
 女性については今後の受験を禁止し、今後5年間司法試験受験を禁止する行政処分を下した。
 (以上、朝日新聞9月8日夕刊一面記事より要約引用したもの。)

 その後のネット報道によれば、当該明治大学教授は既に懲戒免職の処分下にある様子だ。(以下にネット情報を引用紹介しよう。)
 司法試験問題の漏洩事件で明治大学は9月11日理事会を開き、法科大学院の青柳幸一教授を12日付で懲戒免職にすることを決めた。「大学の信用を傷つけ名誉を汚した」としている。
 法務省によると、青柳教授は今年5月の司法試験で憲法分野の問題作成などを担当。2~4月に研究室で自分が作った論文試験の問題を教え子の20代女性に示し、論じるべきポイントを繰り返し説明していた。
 明治大学は、「司法試験制度の根幹を揺るがしかねない事態であると受け止め、厳しい姿勢で臨んだ。継続して調査や再発防止に尽力する」とのコメントを出した。

 一旦、原左都子の私論に入ろう。
 この事件、もしかしたら明治大学の青柳教授とやらが一方的に一人の女子学生を気に入り、今回の事件を引き起こしたものとも捉えられるのが辛いところだ。
 相手の女子学生もそれに応じたからこそ、事件が勃発してしまったのだろうか??

 いやはや、如何なる角度で考察しても恐ろしく残念な事件としか言いようがない。
 青柳教授が諸悪の根源としても、女子大学院生にもその誘いに乗ってしまった罪を償う責任はあろう。 その罪が「将来5年に及ぶ司法試験受験停止」!

 これは、過去の我が身に照らしても“厳しい!”
 私の場合「司法試験」ではなく、大学院修士課程入学のために法学関連の筆記試験の鍛錬を繰り返した時期がある。
 司法試験同様、その課題のすべてが「筆記論文解答」を要求されていた。 自身で「設問」を設定して、その模範解答も自分自身で創り上げ、その回答を暗記する作業を大学院入試日までやり続けた。 
 ただそんな経験がある私として、もしも当日の課題である論文試験課題を承知していたとしても、その模範解答を創り上げる事自体が困難だったと推測する。
 それに比し、明治大学女子大学院生は試験委員も驚く程の理想解答をしていたのだと言う。 これぞ、青柳氏が「模範解答内容」まで綿密に教えたい程に女子大学院生を“溺愛”していた証拠ではなかろうか?

 いやはや、そこまで“溺愛”されてしまっては、その被害女性氏にとっては鬱陶しいだけでは済まず、今後の人生までも潰されたとの悲惨さであろう。


 冒頭に戻って、我が就活娘よ。
 貴女の未来は、未だ輝いているよ!
 まさか、どこかの誰かから貴女に惚れたから「就活を保障する」などと言われる訳はないだろうが、もしもそんな事態が発生したなら、すぐさまこの鬼母に告げなさい。
 私が即刻鬼退治に参上するからね!

サヘル・ローズ氏の美しくも壮絶な生き様

2015年09月09日 | 時事論評
 皆さんは、サヘル・ローズ氏をご存じであろうか?

 私の場合、過去に一度程テレビ画面でほんの短時間拝見した記憶があるのだが、その後、氏の存在を忘れ去っていた。


 昨日(9月8日)のNHK「スタジオパーク」のゲストがサヘル・ローズ氏だった。
 最初その映像のみを一見して、「ああ、また今や日本の芸能界では陳腐化している“外タレ”女性モデルか何かの人物が出演しているのか…」と多少ウンザリした。
 ここは来るべく台風にでも備えて食料品の買い出しにでも出かけるかと考え直し、テレビを消そうとした時だ。

 サヘル氏の口から、自身が1980年代に勃発した「イラン・イラク戦争」の犠牲者であり、戦争孤児としての生活を余儀なくされた経験を語り始めた。

 これは、聞き捨てならない。 
 その当時私はちょうど2度目に門をくぐった大学及び大学院生時代だったのだが、確かにあの当時は世界が激動の時代だったことを思い起こした。 
 ベルリンの壁崩壊も1989年の出来事だ。 それらの変動と同時進行で勃発したのが、「イラン・イラク戦争」だったとの記憶がある。
 これ程までに世界情勢が激変しようとしている時代背景下に於いて、私は国内経済バブル期を“まんまと利用”して生活資金を稼ぎまくる一方で、学生なる身分で悠長に学問に励んでいてよいのであろうか? なる疑問符が脳裏をかすめた記憶がある。


 ここで、サヘル・ローズ氏の経歴に関して、ウィキペディア情報より引用して以下に紹介しよう。
 サヘル・ローズ(ペルシア語: ساحل روزا‎ 〈ラテン文字表記:Sahel Rosa〉生誕年推定1985年・10月21日 )は、イラン・クルディスタン出身の在日イラン人で、日本のタレント・女優・モデルである。本名も同じ(ただし生来の姓名あるいは個人名は不明)。 日本での愛称はさっちゃん。ラジオ・テレビ番組では「サヘル」でクレジットされることも多い。
 東海大学卒業、東京アニメーションカレッジ専門学校声優学科声優アクターズコース卒業。所属事務所はエクセリング。
 サヘル氏は、イラン西部クルディスタンにある小さな町に生まれる。
 イラン・イラク戦争で生家が空爆に遭い両親と10人いた兄姉を全て亡くし、倒壊した家の瓦礫の中から4日後にひとり救助された。 その後孤児になり暫く孤児院で暮らす。このため本当の出生名は明らかではなく、現在の本名は後につけられたものである。 また1985年生まれというのも後に付けられた誕生年。
 やがて、当時大学生でボランティアの救助活動を行っており瓦礫の中からサヘルを発見したフローラ・ジャスミンが、孤児院に収容されたサヘルを見舞った際に幼いサヘルが自分を「お母さん」と呼び慕ったことから、サヘルを引き取ることを決意する。 しかし非常に高い身分であったフローラの実家が、孤児であるサヘルを養育することを「家柄に傷がつく」として猛反対、経済援助を打ち切られた。 その後2人は、フローラのフィアンセであったイラン人男性を頼って8歳のとき日本に移住した。 しかしその男性とフローラの生活が上手くいかずに別れると、フローラに職が無かったため赤貧の生活を余儀なくされた。 通っていた小学校の給食しか食べるものがなかった時期にフローラは給食の調理師と親しくなり生活のサポートを受け、次いでサヘルは校長による補習授業で日本語を学ぶ。 小学校、中学校時代にはいじめも受けている。
 サヘルの大学時代にはITを専攻しており、セキュリティのプログラミングやJavaなどを学んだ。また専門学校時代、俳優の松田洋治に演技の指導を受けていた。
 サヘルはイランでも放送されていた『おしん』を観たのがきっかけで、幼少時代から女優になりたいという夢を持っていた。 日本にて、10代になるころ芸能界に入り、モデル、ラジオ番組の出演を経てテレビ番組にレギュラー出演するようになる。
 (以上、ウィキペディア情報よりサヘル・ローズ氏に関する情報の一部を要約引用。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。
 
 なるほど、なるほどである。
 我が一番の疑問点だった、サヘル氏が如何なる理由及びルートで当時(“バブル経済”に浮かれていたと言える)日本へ訪れたのかとのその事実に関して納得出来る思いだ。
 戦争孤児であるサヘル氏を気に入った養母氏が、イランに於いて“非常に高い身分”の人物だった事が一番のキーポイントとなろう。 しかも当時大学生だった義母であるフローラ氏にはフィアンセがいた。 このフィアンセ人物が「日本に行こう!」と提案した事実こそが、当時大学院生だった私には分かる気がする。

 何と表現するべきか。  確かに当時の日本とは、その経済実態の実質にかかわらずバブルで浮かれ切っている“阿呆国”だった印象がある。
 しかも、誰が判断しても日本とはアジアの東の果てに存在する「島国」だ。 ここぞ安全!とそのフィアンセ氏が狙った意図が、理解出来る気がするのだ。


 そうだとして、サヘル・ローズ氏のその後の日本にての生き様が素晴らしい。

 通常、日本にて外国人(あるいはハーフ)である身を利用せんと心掛けた場合、先進国出身でもない限り、自身の成育歴を隠す行動に出るのではなかろうか?
 その一方で日本人側の感覚としても、下手なコンプレックスを今尚背負い続けているのではないかと私は懸念し続けている。  例えば、フィリピンを筆頭に東南アジア諸国出身者に関してだが、今現在フィリピン系ハーフの芸能人が数多く日本国内のテレビ業界で活躍している事実は把握している。 (正直なところ、そのマイナー感覚は私にも多少あるのが事実だが………)
 要するに諸外国の内、東南アジアより東に位置するアジア系は卑下するとの大戦後の“日本人の差別意識”が今尚根付いている感覚を私は抱くのだ。

 それに比し、イラン出身のサヘル・ローズ氏の存在は、原左都子の目にも実に輝いて映る。
 サヘル氏の場合、義母であるフローラ氏と日本を訪れて以降、ずっと買い物場所として愛好し続けているのが上野「アメヤ横丁」であるらしい。 サヘル氏は今尚母親を連れては「アメヤ横丁」へリュックサックを持参の上に通い詰め、昔ながらの馴染みの店舗にて母親へ通訳をしながら店主氏等々と語り合いつつ、リュックサック一杯の買い物をすることを、日常の楽しみとしているとの事だ。
 そんな日常を送りつつも、とにかくサヘル氏は明るく美しく品格ある女性であられる。
 生まれた国にて幼くして戦争が勃発し家族を亡くし、戦争孤児として数奇な運命を辿ったにもかかわらず、たまたま義母に連れられてきた日本を心より愛し、この地で一人の人間としてたくましく生き抜こうとしておられる。 


 最後に私論でまとめよう。

 どうやら私の認識によれば、サヘル・ローズ氏は未だに日本国籍を取得していないのではないかと認識する。
 これ程までに日本贔屓かつ日本に土着感がある人物に、何故日本は「国籍」を与えないのか!?!

 安倍政権は安保関連法案を野党と争う以前の問題として、実際問題この国に生を営んでいる希少な存在の外国人の皆さんの日常生活こそを慮るべきではあるまいか!?