原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

確定申告期間に税務署が改築中とは断じて許し難し!!

2018年02月17日 | 時事論評
 昨日、全国の税務署にて「確定申告」の受付が開始した。


 物事をさっさとやり遂げたい性分の私は、自宅パソコンにて作成した「確定申告書」を提出する目的で、昨日早速管轄税務署へ出向いたところ…

 何と、税務署が改築中ではないか!?! 

 これ程の“非常識”に対面させられるのも滅多にない人生経験ではなかろうか!?
 国税庁は一体何を考えているんだ!! との腸が煮えくり返る程の怒りは一夜過ぎた今尚収まらない。

 しかも。 現場には工事担当者しかおらず、その人物が入口で税務署を訪れた区民に無言でチラシを配っている。
 それを受け取る区民の思いは私と同じだろう。
 皆が口々に「えっ? ここで確定申告を受け付けていないのですか??」「一体どこへ行けばいいんですか!??」等々と怒りをあらわにしている。
 それに対し、工事担当者は「チラシを読んで下さい」と応えるのみだ。

 せめて税務署の職員をその場に配置させて、区民に代替会場説明とお詫びを述べるべきだろうに…

 加えて、当該改築中税務署管轄区民に対し、税務署改築工事のため本年度の確定申告は他会場にて実施する旨の通達が事前に一切なかった。
 月に2度配布される「区報」に於いても、“確定申告へ行こう”との趣旨の記載はデカデカとあったものの、税務署改装中のお知らせは一切見ていない。
 あるいは、パソコンにて申告書を作成すると、「提出書類等のチェック」なる文面のページも印刷可能だ。 その文面の右下に「提出先税務署のご案内」が記されているのだが、それも“燦然と”改築中税務署の住所となっている。
 区民の誰が如何に判断しようが、皆が改築中の税務署を訪れることだろう。


 昨日、私は本来の予定ではいつも通っているトレーニングジムへ行くはずだった。
 ただ、とにかく「確定申告」を早く済ませたい私は、それを取り止めた。 何故ならば、ジムと税務署が自宅からまったく別方向故だ。
 そのかわりに税務署と方角が同じ防音スタジオを予約しフルート練習に出かけ、その帰りに税務署へ立ち寄るスケジュールとした。

 同じ方角とはいえ、スタジオと税務署間はかなりの距離がある。
 フルートは楽器の中では小型ではあるが、それを背中に背負って持ち歩く作業とは、既に高齢域に達している私にとっては容易いものではない。 フルート練習を開始して以来腰痛が悪化しているのは、おそらくフルート持ち歩きのためだろうと分析している。

 しかも、昨日は「確定申告書類」も重かった。 何分亭主が“病院好き”で医療費領収書を山ほどコレクションしている。 それらを医療費控除証明書類として提出せねばならない。
 私としては、それら書類を税務署に提出すれば少しは身軽となり、帰り道での買い物も楽になるだろうと期待していた。 
 結局大きく裏切られる結末となり、再び腸が煮えくり返る怒りと共に、重い荷物の重圧に耐えつつ帰宅するはめとなった。

 
 更なる怒りは、代替会場がとんでもなく辺鄙に存在する事だ。
 我が家からは電車に乗って出かけねばならず、しかも代替会場最寄り駅から会場まで徒歩18分もかかる場所だ。
 これじゃあ、お年寄りや身障者の方々など「申告に来るな」と言われているようなものだろう。 何故、駅近の場所に仮庁舎を設営できなかったのか?


 結局、我が家は「郵送」にて確定申告書を提出することとしたのだが。
 まったくもって二度手間だし、郵便料金も発生する。(切手を何円分貼りゃいいんだ? これも調べねばならないし。)
 またもや腸が煮えくり返り始めたぞ!

 最後に、敢えて当該税務署の実名を挙げておこう。
 「練馬東税務署」だが。
 おそらく、練馬東税務署の本年度の確定申告書提出率は大幅に落ち込むことだろう。

 あ~~~。 疲れた…  

左都子のフルート修行記  ー “お遊び期”からの脱皮編 ー

2018年02月15日 | 音楽
 (写真左上はメトロノーム兼チューナー、左下はリズムボックス付き小型キーボード、写真右の譜面は個人指導フルート講師先生が私のために直筆にて作成してくれた 中島みゆき作詞作曲、1976年に研ナオコが歌った楽曲 “LA-LA-LA” の譜面。)


 9月にフルートを衝動買いして、早いもので半年近い月日が流れた。

 その間、フルート練習が少しでも嫌になったことなどただの一時もない。
 それどころかもっと練習時間を確保したくてイライラする割には、それが思うように実行できない日々だ。
 と言うのも、何分楽器とはそもそも大音量のため、防音室でもない限り自宅にての本格的な練習はまず無理だ。 自宅ではせいぜい、小音量での“指使い”の練習程度が関の山だろう。 あるいは、演奏したい楽曲のメロディライン音階の確認程度は自宅でも可能だ。
 本格的なフルート練習は、自宅近くの防音スタジオを予約して週に何度か足を運んで実施している。

 自宅にての指使いやメロディライン音階確認等を実行する目的で購入したのが、上記写真のメトロノームとキーボードだ。
 ところがキーボードを後で購入して気付いたのだが、キーボードにメトロノーム機能もチューナー機能も(ついでにリズムボックス機能も)付随していた。 写真左上のYAMAHAのチューナー付きメトロノームの方が下のCASIOのキーボードよりかなり高額だったのだが、後の祭りだ。 (ただ機能としてはYAMAHA製品の方がずっと高質なのだろう。)

 何故、幼子のお遊び道具にも使用出来そうな小型キーボードを敢えて購入したかに関しては、訳がある。
 我が家にはピアノもエレクトーンも存在しているが、わざわざそこまで足を運んであの重い蓋を開ける作業が面倒に感じられる。 それと共に、今、メロディラインを確認したい!、今、リズムを刻みたい、と思った瞬間にそれを実行するには、この小型のキーボードに限る!と判断した。
 これが大正解!  食卓の上でもソファに座り膝の上に乗せても演奏できる小型キーボードが、現在のフルート練習に大いに役立っている。(決して、CASIOの回し者ではございません。)


 そうこうして、私のフルート練習はここのところ何を主眼として実施して来たのかと言えば。
 
 昨年末頃に公開したフルート関連エッセイ内でも記載したと記憶しているが、私が欲する楽曲をフルートにて演奏する事を主眼としてきた。 
 要するに久々(30年程ぶり)に再開したフルート練習が嬉しいがあまり基礎練習をおろそかにして、我が“お遊び感覚”満載の下、“吹きたい楽曲をとことん吹く” 事を実行して来たのだ。

 特に昨年12月終盤に入ってからは、“我がカラオケ得意ナンバー”をフルートで吹く”ことに邁進して来た。 
 我が脳内に蓄積されているそのメロディラインをフルートで再現することを楽しんだ。 そのために購入したのが上記小型キーボードだ。 とりあえず記憶のみに頼り、「イ短調(参考だが歌謡曲は短調の曲がダントツに多い)」「ハ長調」「ヘ長調」等々、要するに♯♭が少なくフルートでも演奏し易いであろう音階をキーボードで再現し、それを暗譜した上でフルート練習を重ねた。
 その楽曲の具体例を挙げるならば。 「逃避行」「あの日に帰りたい」「中央フリーウェイ」「ルージュの伝言」「春なのに」「ハロー・グッバイ」「黄砂に吹かれて」「思い出まくら」「星の砂」「追いかけてヨコハマ」「飛んでイスタンブール」「鳥の詩」「わかれうた」「虹色の湖」「かもめが飛んだ日」「迷い道」「夏をあきらめて」「LA-LA-LA」 等々……


 その中で、私がフルートで吹いた感覚として一番自分自身にフィットした「LA-LA-LA」を、昨月1月のプロ講師先生指導時に披露した。
 我がフルートプロ先生は未だ29歳とお若いにもかかわらず私も納得可能なご指導力をお持ちで、生徒個々人の個性に応じた練習過程を認めて下さる方だ。
 そしてもっと凄いのは、私がその日に演奏した「LA-LA-LA」をすぐさまご自身のスマホで聞き始めた事だ。 この楽曲は1976年に発表されているため、講師先生が未だこの世に誕生していない頃にヒットしている。 それをわざわざスマホで2度程確認後、ある程度曲想を把握されたようだ。
 そして、先月の個人レッスン時に先生がおっしゃったのは、「この曲を譜面化しましょう」だった。
 (むしろ私としては、自分勝手に脳内記憶を辿りフルートで吹く方が開放感があり楽しいのだが…)とも感じつつ、その日はレッスンを終えた。


 そして昨日の事だが、我が個人指導フルート先生が、約束通り「LA-LA-LA」の譜面を直筆にて仕上げ持参して下さったではないか! 
 とにかく、日々公演や生徒指導やご自身のフルート練習に邁進し多忙に過ごされている人物だ。 よくぞまあ、こんな一劣等生のためにここまでして下さったものと感慨無量の境地だ。
 しかも、講師先生はおっしゃる。 「やはり、ここは一旦オリジナル曲を“譜面通り”に演奏する事を主眼としましょう。」
 これまで半年間に渡り、フルート素人の私の“遊び心”を認めて下さっていた実績故に、私はこの講師先生発言を心より受入れる事が出来た。 
 まさにその通りだ。 多忙なスケジュールの合間を縫って私のために直筆にて作成して下さった「LA-LA-LA」の楽曲を、今後1ヶ月間基本に戻って譜面に忠実に演奏出来る技術を身に付けたいと私も決意した。


 エッセイのついでに、研ナオコ氏が1976年に歌った 昭和の名曲 「LA-LA-LA」の冒頭の歌詞を以下に紹介しておこう。 
 (これを情感こめてフルートで吹きこなしたいものだなあ…)

 ♪
 明日の朝  めざめたら   私はもう消えている
 呼んでみても  無駄な事
 その頃 夜汽車は となり町 
 ♪

昭和ノスタルジックな居酒屋で“かんぱ~~い!”

2018年02月12日 | 
 (写真は、昨日訪れた我が家に程近い居酒屋の店内風景。)


 昨日、高齢者有料介護施設に暮らす義母の年に2回の介護計画立案・見直しのため、施設を訪れた。

 義母に会うのは正月の新年会以降だが、何分義母がしょっちゅう電話にて“訳の分からん”無理難題を訴えてくるため、久々感はまったくない。

 今回の一番の課題は介護計画見直しより何より、義母からの“勘違い”苦情提示「遺言状」の件だ。
 義理姉(膵臓癌にて63歳にて死去)の死後直後に、義母のたっての希望で公証役場にて「遺言状」を書き換えている。 猛暑の頃だったが私が付き添い2度も公証役場へ足を運び、その遺言状に義母が印鑑を押している。
 その記憶がすっかり消え去っているのに加えて、元々法的相続関係を弁えていない義母が「遺言状」を書き換えたい! どうのこうのと、以前より我々夫婦にデタラメ電話を寄越し続けるのだ。

 義母の理解能力の現状を度外視しても、とにかく今一度その「遺言状」のコピーを持参して義母に再提示せねば我々へのデタラメ電話がいつまでも続くと考えた私は、昨日それを実行に移した。

 結果としては予想通り、虚しくも義母にはその「遺言状」を読む能力は既にまったく無い。 こちら(亭主を中心に)から遺言状の内容を口頭で伝えてもそれを聞く耳すら持たず、相変わらず不信感を抱き続ける始末…
 堂々巡り状態で、義母の疑惑は拭い去れないままだ。 義母の要求としては、施設入居の現在一番長く世話になっている我々夫婦にこそ自分の財産を残したいとの意向だ。 それは嬉しいものの… 
 義理姉の死後、義理姉系の(現在何らの世話にもなっていない)親族に義母の財産が既に相続されている事実がどうしても受け入れられないとの訴えだが。 それならば、義理姉死去直後の「遺言状書き換え」時にそれを明言して欲しかったものだが、要するに当時より義母にはその能力がなかったとの事実でもある。

 参考だが、そもそも我々夫婦は“公的年金独立採算制”を貫き、お互いの相続もそれに準じているのだが。 
 私(原左都子)としてはその立場にして義母の相続には無関係であるし、今後の残りの人生を渡っていく財力は自身の力で蓄えているつもりだ。(何分、庶民を貫いている立場故に微々たる金額で十分足りるのだが。) 
 とにもかくにも、義母に余生を静かに暮らして欲しいのが私の一番の願いだが……。 さて、今後どうなることやら…。
 

 話題が表題から大幅にズレて恐縮だが。

 義母の財産を引き継ぐ立場の亭主としても頭が痛い問題であるはずだが、義母の“デタラメ訴え”をさほど気にしていない気質が私にとっても救いでもある。

 そんな我々は、とにかく義母訪問から解放された。

 
 さて、どこで夕餉を楽しもうかとの話題に移り… (実は亭主との夕餉は久々のことだ。)
 とりあえず自宅近くの駅へ戻り、行きつけの中華創作料理店へ行き老酒でも楽しもうか話し合いつつ。
 「あれ、こんなところに居酒屋があるよ。」 と私が声をかけると、亭主が「もつ煮が美味しそうだ!」と反応する。 「じゃあ、入ろう!」と入店したのが上記写真の居酒屋だ。

 まさに “昭和ノスタルジックな居酒屋” だ。
 「そういえば、このお店、ずっと前からあったよ。」と私が言いつつ入店すると、良き席にご案内して頂いた。
 その後まさに昭和時代の居酒屋風景を堪能しつつ、美味しいお酒とおつまみ料理を頂いた。
 
 私が上京直後期は未だ居酒屋チェーン店が蔓延っていない時代背景であり、昭和時代の個人経営居酒屋やスナック等々のお世話になったものだ。
 ある時、女性(と言うよりも女の子二人)で居酒屋に入店して「熱燗」のお替りを7合した時に、女将から「娘達よ、飲み過ぎだ!」と叱咤された事件もあった。  まさに古き良き時代のノスタルジーだ。

 昨夜は(私一人で)熱燗4合の後、緑茶サワーを注文したのだが、それが何とも美味しかった事!!

 その後、一人でショッピングして自宅に戻った。

 また自宅近くの居酒屋さんへ今度は私一人で行かせていただきますので、よろしくお願いしま~~す!

「富の8割を独占する1%」より “努力する庶民”でありたい

2018年02月10日 | 時事論評
 先だって、何処かのメディア上で「1%の人間が富の8割を独占している」とのフレーズを見つけた。

 これに類似した情報をネット上で再発見した。
 「ニュースの教科書」と題するネットサイトより、その文面を以下に紹介しよう。

 貧困の撲滅活動などを行っている国際NGO「オックスファム」は2015年1月19日、経済格差に関する最新報告書を発表した。 世界人口の1%ほどの富裕層が富の半分を独占しているという。
 報告書によると、1日1.25ドル未満で生活する人は、全世界で10億以上に上っているという。 一方で、もっとも豊かな上位1%の層が全世界の富の48%を占めており、この数字は2009年の44%から上昇したと指摘している。この上昇率が続けば来年には1%の富裕層が全世界の富の過半数を所有する可能性が高い。
 上位1%の富裕層は1人あたり約270万ドル(約3億2000万円)の資産を保有しており、逆に下位8割を占める層の1人あたりの資産額は3851ドル(約45万円)にしかならないという。
 FRB(連邦準備制度理事会)の調査では、米国では上位3%の全体の富の過半数を占めており、この割合は全世界と同様年々上昇している。
 日本でもこのところ格差問題がクローズアップされている。 日本は貧富の差が少ない平等な国だといわれてきたが、実態はそうでもない。 日本における富の偏りは、トップ8%が全体の富の50%を占めている状況であり、米国と比較すると確かに超富裕層の割合は少ない。
 しかし、貧困層の割合という点でみると相対的貧困率が米国とほぼ同水準となっており、国際的に見ても極めて高くなっている。 しかも日本の相対的貧困率は年々上昇している。 米国や世界はどちらかというと上との格差だが、日本は下との格差ということになる。
 幸か不幸か、アベノミクスはまだ十分に成果を上げていない。 もしアベノミクスが本格的に経済に効いてくれば、日本の資産価格は一気に上昇することになる。 日本では富裕層しか株式投資をしていないため、日本においても上との格差拡大が始まる可能性がある。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 引き続き、本日先ほどNHK昼のニュースにて視聴した現在の日本の借金に関する情報を紹介すると。
 財務省は、去年12月末時点の国の借金が1085兆円あまりと過去最大となったと発表した。 
 財務省の発表によると、国債と借入金、政府短期証券を合計した国の借金が去年12月末の時点で1085兆7537億円と過去最大だった。 今年1月1日時点の人口で計算すると、国民1人当たりおよそ858万円の借金を抱えていることになる。 社会保障費などをまかなうために国債の発行額が膨らんでいることなどが要因。
 これまでの最高額は、去年9月末時点の1080兆4405億円で、5兆3132億円増えたことになる。


 一旦、私見に入ろう。
 
 庶民を自覚している私だが国家の借金が1085兆円(国民一人当たりに換算すると約858万円の借金を抱えている計算)と、過去最高に達している事実は一国民として頭が痛い課題だ。
 これに関しては、本エッセイ集バックナンバーでも幾度か記載している。

 例えば2017.12.24公開の「膨大に国家予算が膨らむ中」より一部を引用すると。 
 NHKだったと記憶しているが、捨て置きならぬ報道ニュースを見た。 何でも現在の若者達(20代程)の多くが、安倍政権を支持しているのだと言う。 若者インタビュー結果として報道されたその理由とは。 「安倍政権が一番安定しているから、安倍政権を支持しておけば将来が安泰だ」
 安倍政権不支持派としては、まったくもってアンビリーバブルな回答だ。 こんな政権が長年続いてしまったら、将来貴方達に膨大な国家債務負担が重荷としてのしかかってくる事実を何故理解出来ないのか!  表向きの安倍の無責任持論に騙されている場合ではなかろうに……

 あるいは、2018.01.04公開の「この国はあと何年で破綻するか?」に於いては。
 いつをもって「国家破綻」と結論付けるのかに関しては諸説あろうが。  北欧においてはこの膨大な金額の借金を抱えた時点で既に「国家破綻」であるのに、何故日本は「破綻」と結論付けられないのか? 確かに“おかしな話”であるし、イコール“恐ろしい話”でもあろう。
 もっと恐ろしいのは、日本の場合経済規模が大き過ぎてよもやの場合にIMFにも他国にも助けてもらえないとの点だ。 この責任の大本は、無責任・無防備にも大々的にアベノミクス経済政策を掲げた安倍政権にあることには間違いない。 その安倍首相は性懲りもなく、本年度も更なる膨大な国家予算を盛り込む結果となってしまっている。 
 国民の多くの人々の脳内が“右上がり”だから「現実と意識が隔たっている」と捉える学者も存在する。 未だに日本経済が「右上がり」と信じる人が一部存在するのだろう。
 ただ、私は到底そうは思わない。 未だこの国の経済が「右上がり」だと信じる人種とは、要するにアベノミクス経済の恩恵を受けて“のうのうと”暮らしている一部の階級に限定されるのではなかろうか??
 その他大勢の “アベノミクス経済政策”の“おこぼれ”を頂戴してやっとこさ生き延びる事を運命付けられた国民達は、このご時世に於いて貧困にあえぎ過重労働に苦しんでいる実態だ。 これでは必然的に凶悪犯罪も起こるし、自殺者が多発するだろうし、私などその元凶は安倍政権にあると言いたいものだ。
 まさに朝日新聞の表題通り、「現実をみつめる勇気 未来のために」。 特に若者世代には、この国が抱えている近い将来 “国家破綻”に至らんとしている膨大な国家債務の現実を、是非とも冷静に見つめて欲しいものだ。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより、国家破綻に関する私見を再掲載したもの。)


 私(原左都子)は経済学が専門ではないため、残念ながらこの問題に関して専門観点より論じる能力は持ち合わせていない。
 ただ世間では、「1%の人間が富の8割(5割との記載もあるが)を独占している」世界の現状や、日本の膨大な国家債務に関して、“肯定的”に捉える論者も少なからず存在するようだ。
 たとえば、「1%の金持ちが金融で稼ぎ、残りの人間はそれにより養ってもらえる形状が経済の理想」なる文言もネット上で発見可能だ。
 これなど要するに、アベノミクス経済政策の理論同様の思想根拠なのだろう。 上位1%を(税制等により)優遇しておきさえすれば、後の下っ端庶民層はその“おこぼれ”により潤う、との歪み切ったアベノミクス経済政策だが。

 そして本日2018.02.10の朝日新聞報道によれば、黒田東彦日銀総裁が任期満了後も総裁を続投するとのニュースだ。
 この安倍人事によりアベノミクス経済政策は止むところを知らず、今後も富の格差に拍車がかかり、国家債務は増々膨大に膨らんでいくことだろう。

 私自身は、本音で「富の8割を独占する1%」になど位置したくもない。
 標題に掲げた通り、いつもいつまでも底辺で “努力する庶民” であり続けたいものだ。 如何に想像力を働かせつつ創造力を発揮しても、その選択肢の方が断然人生が面白い!と実感出来る故だ。(“負け犬の遠吠え”と後ろ指を指されようが何らの不都合もない。)

 ただそうだとして、やはりこの「膨大な国家債務」を今後抱えて生きて行くことを宿命付けられている未だ若き世代の未来を懸念せざるを得ない。 
 我々の世代で、何とかこの「膨大な国家債務」を少しでも軽減出来ないものだろうか?
 それを成すためには、強力に「政権交代」に持ち込むべきか!?!
 いずれにせよこの課題に関しては、力無き現世代の一員である我が身を若い世代に詫びたい思いでもある…。 

続・国は沖縄県民を日本国民として扱っていない

2018年02月07日 | 時事論評
 昨日、青色申告会会場を訪れ、私が5年前より代行担当している義母の「青色申告」を終えて来た。

 何分高齢者介護施設入居後認知症状が日毎悪化する義母故に、今となっては過去に自身が事業を執り行っていた事実すら忘却の彼方だ。 ましてや、5年前からそれを私が全面的に管理し、この時期に毎年税務申告を代行していることなど、今に至っては義母は露知らないのではないかとも感じる。
 故に毎年苦労してそれを代行したとて、ねぎらいや御礼の一言ももらえない寂しい状況下での孤独な作業でもある。 
 (参考だが、税務代行手数料は自主的にちゃっかり貰い、必要経費として税務申告しているのだが…


 標題にテーマを戻そう。

 そんなこんなで義母の青色申告最終処理のため、エッセイ執筆をしばらくお休みしていたのだが。
 昨夜久しぶりにgooメール画面を開くと、「原左都子エッセイ集」1年前の2017.02.06に公開した表題エッセイの記載があった。

 実にタイムリーに、先だって2月4日の名護市長選にて、米軍基地辺野古移設阻止に向け精力的に闘って来た稲嶺進市長が落選するとの結果に打ちのめされていた私だ。


 それでは早速、ちょうど1年前の2017.02.06公開「国は沖縄県民を日本国民として扱っていない」と題する我がエッセイの一部を、以下に約して紹介しよう。

 「(国は)沖縄県民を日本国民として扱っていない」なる言葉は、国の工事強行着手に対する稲峰市長の抗議発言だ。 先程NHKニュースにて見聞したばかりだ。
 別のネット情報の一部を引用しよう。
  沖縄の美しい海を埋め立てて巨大な米軍基地を造るための工事がまた一歩進んだ。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に向け、政府が6日、初めて海上工事に着手した。
 まだ真っ暗な午前6時前、前夜の雨もあり肌寒いキャンプ・シュワブゲート前に続々と移設反対派が集結。約150人が「辺野古新基地NO」「辺野古埋立阻止」などと書かれたプラカードを掲げるなどして抗議の声をあげた。 某男性は、「市民の意思を今日示さなければ、政府の意向を沖縄が黙認したことになる。民意を無視しようとも県民の意思は揺るがない」と語気を強めた。
 「帰れ!帰れ!」 作業員達に対し、反対派はゲート前で腕を組んで壁を作り声を張り上げた。 一進一退のせめぎ合いの末、午前10時半ごろ足止めとなっていた車両がキャンプの方へ。 機動隊は約80人を次々に排除。腕をつかまれた高齢の男性は「県警は県民とアメリカとどっちが大事なんだ」と叫んだ。
 ゲート前には、辺野古への移設阻止を訴えるため翁長雄志知事と稲嶺進・名護市長も駆けつけた。せめぎ合いの末、足止めとなっていた車両がキャンプの方へ。 機動隊は約80人を次々に排除。「アメリカでも、沖縄の置かれている状況はよく聞いてもらえたと思っている。 全く無視し続けるのは日本政府だ。 訪米中に防衛大臣が『辺野古が唯一の解決策』との見解を示すなど、恥も外聞もない」と怒りをあらわにしていた。
 (別ネット情報を引用したもの。)

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、私は幾度か米軍沖縄基地移転問題をテーマに取り上げている。
 ひとつ思い出すのは、「いっそ東京・永田町に米軍基地を沖縄から移転せよ!」と主張したエッセイだ。 
 当該エッセイには様々なご意見を頂戴した。 「冗談でしょ。 そりゃ無理だ。」 「米軍基地は沖縄という位置にあってこそ日米安保条約を遂行可能だ。」等々……
 ただ、私は冗談や酔狂でこのエッセイを公開したつもりは毛頭無い。(表題に掲げた名護市稲峰市長のご発言通り)、沖縄県民とて日本国民である事実をもっと国民皆が(たとえ想像力内でも)実体験として理解するべきだ。
 ましてや、沖縄の皆さんに長年課し続けている米軍基地を抱える危険性及び重圧、そして心の痛みを、国家政権こそが我が事として受け入れるためにも本気で永田町に移転するべき! と発信したくもなったのだ。
 東京都民である私自身も、沖縄の皆さん同様の痛みを味わう覚悟を決めてこそ、本気で米軍基地問題を語れるとも考えた結果だ。
 近年の例を挙げれば、2015.10.29公開 「沖縄県民民意を踏みにじる辺野古埋め立て強行着工」 とのバックナンバーにても私論を公開している。
 もしもこの先、現沖縄県知事であられる翁長雄志氏が「米軍普天間飛行場辺野古移設計画」を白紙に戻すとの快挙を成し遂げられたなら、私は是非とも翁長氏を“ノーベル平和賞”候補者として推奨したい。 それ程までに翁長氏知事就任以降の「辺野古移転阻止」に向けた精力的な闘いぶりに賛同申し上げつつ、陰ながら応援させていただいている。
 初当選を決めた翁長氏は次の発言をした。 「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。 「今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になる。だからこそ結果をしっかりと出す必要がある。 私たちは『オール沖縄』とよく言っているが『イデオロギーよりもアイデンティティーが大切』ということだ。」
 私(翁長知事)からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思う。 日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと抑止力にならないと思うし、日本国の決意は見えない。このままでは沖縄戦の70年前と同じだ。 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)
 原左都子の私論でまとめよう。 
 翁長氏の素晴らしところは選挙前の公約通り、この1年足らずの間にご自身の身の危険をも顧みず「辺野古移設取消」に向け、出来得る限りの行動を起こされた事実だ。
 本日(2015年10月29日)、政府が沖縄県民の民意を無視して辺野古埋め立てに向け工事を着工したのも事実。の事態に対し翁長知事は、以下のように反論している。 「はなはだ遺憾で断じて容認できない。 国が代執行等の手続きで司法判断を問うならば、判決が出るまで作業を開始するべきでない。」
 まさに翁長氏のおっしゃる通りだ。   日本は法治国家であるはずだ。  安倍政権内には、それを安倍氏に正せる学識経験者が一人として存在しないのか!?   それとも、何故それ程までに安倍政権が米国迎合にこだわるのだ??  少し腰を落ち着けて法治国家のあり方を安倍氏自らが今一度問い直すべきだろう。 
 そして、特に国家の歪んだイデオロギーの下長年翻弄され続けて来た沖縄県民のアイデンティティこそを今後尊重するべく行動するべきだ。  (「原左都子エッセイ集」2015.10.29公開エッセイより一部を要約引用したもの。)
 本日(2017.02.06)朝の名護市辺野古沿岸部での普天間代替施設の建設に向けた海上工事開始との国家の対応に関して私に言わせてもらうと、まるで “ヤクザもどき” の手法だ。  何故、安倍政権はそれ程までに沖縄県民をいたぶりたいのか?!?  おそらく翁長知事が米国要人との会合が叶わなかった事実を速報で知り、“今こそだ!” と事を焦ったのではあるまいか?
 沖縄県の皆様、どうか翁長知事や稲嶺市長の下、少しでも辺野古移転阻止に向けて良き結果を導かれますように。

 (以上、長くなったが本エッセイ集2017.02.06バックナンバー「国は沖縄県民を日本国民として扱っていない」より一部を要約引用したもの。)


 ここで、当該gooにブログを公開されている医師・大学院講師であられるM氏(とさせていただくが)の米軍基地辺野古移転に関するご意見を紹介させていただこう。
 M氏はご自身の専門の内科学関連講座を日々ブログ上に公開されている傍ら、沖縄基地問題を含め政治問題に多大なる関心を持たれ、それらに関するご見解も重ねてブログ内で熱弁されている人物だ。
 原左都子より機会ある毎に稚拙なコメントを入れさせていただくのだが、恐れ多くもそれに対し必ずや返答コメントを頂戴している。

 以下に紹介するのは、名護市長選にて稲嶺氏が敗北した件に関するM氏のご見解である。

 大型の公共事業(再生交付金のことですが)という飴で建築屋を徹底的に締め付け、或いは多くの創価学会員を名護に移転させた公明党・創価学会、そして加担した維新勢力、…結局のところ彼らは思考停止して、全て目先のことを取り繕うことしか出来ないアベ自公政権を変えない限り、沖縄の基地問題は解決しないと思うのと、政府と正面から対峙して「海にも山にも新しい基地は造らせない」という信念を貫いて来た稲嶺さんに、多くの名護市民は勿論のこと、「本土」の私たちも励まされてきたという一面もあります。
 今回の選挙の敗北はこれからも厳しい状況を齎しますが、10、20、30年前も同じような厳しい状況でした。それを耐えて跳ね返して来たから、今があるのであって、この8年間の稲嶺市政の成果をこれからに生かさねばならないと思っているところです。
 辺野古新基地建設阻止の闘いは、行政権限による抵抗も勿論重要です。だが決定的な事は沖縄県民がどれだけゲート前、大浦湾に結集し、実力で阻止する行動を取り得るかにあるとも思います。
 その意味で、現場での阻止・抗議行動がより一層に重要になると考えられます。
 沖縄に米軍基地を集中させているアベ政権の徹底した沖縄差別に屈服したら、沖縄・名護市民の苦しみは更に深くなります。「基地容認」が名護の民意だと宣わっている政府の政治屋や役人は、沖縄県民・名護市民のことを腹の中であざ笑っていることだろうと思うと同時に、米軍に奉仕することしか出来ないそういった連中によって、沖縄県民・名護市民が犠牲を強いられることを絶対に、絶対に許してはならない。
 と思いも新たに沖縄の闘いに再び拘りたいと思っている處です。
 (以上、gooにブログを公開されているM氏のコメント欄返答を転載させていただいたもの。)

 上記M氏による文面を読ませて頂き、辺野古強制移転に関する与党安倍自公政権の“汚いやり口”を再確認させていただいた。
 それと共に、今後も我々国民は8年間の長きに渡る稲峰氏を筆頭とする名護市民の辺野古新基地建設絶対阻止の闘いの意思を引き継ぎ、沖縄平和奪還のために共に行動をするべき思いも新たにさせて頂けた。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 現沖縄県知事であられる翁長氏が、知事選に於いて掲げた「イデオロギーより(沖縄県民の)アイデンティティこそが大切」とのスローガンが、未だに我が脳裏に鮮明に刻み付けられている。
 
 今回の名護市長選挙に於いては、その勝敗の差が僅差だったのが特徴的かもしれない。
 そして渡具知氏に投票した市民も、決して全面的に米軍基地辺野古移転を希望している訳ではない様子でもある。 あくまでも生活のギリギリ感を訴え経済の活性化を望むがあまり、停滞した雰囲気を変えたかったとの意見が多数派のようだ。

 「国からお金を持って来て!」と叫ぶ名護市民も存在する様子だ。
 まさに、名護市民を筆頭として沖縄県民の “アイデンティティ” の今後のあり方が問われているかのように感じさせられる。
 与党安倍自公政権の“汚いやり口”では、到底それが奪還出来るすべもないとの無念感も抱かされる。 

 真の沖縄平和奪還のあるべき姿勢が、国民皆に問われた名護市長選挙だったような気がする。