◎環境は体を縛るが精神は縛らぬ(森本清吾)
ブログ子は、かねて独学者を自称しているし、『独学の冒険』(批評社、二〇一五)という「独学本」を書いたこともある。
そのせいで、古書店などに、「独学」関係の本があると、すぐ手にとりたくなる。先日も、五反田の古書展で、森本清吾著『独学者の行くべき道』(文修堂、一九四一)という本を見つけた。この本でいう「独学者」とは、アカデミズムの世界の外で独力で研究に励む者という意味ではなく、中学校・高等学校の数学教員を目指し、資格検定試験の受験準備をしている「独習者」の意味である。なお、同書のタイトルは、奥付によれば、『独学者の行くべき道』だが、表紙・扉によれば、『数学中・高等教員 独学者の行くべき道』である。
この本に説かれている内容は、きわめて興味深い。アカデミズムの世界にいる人にとっても、その「外」にいる人にとっても、およそ学問研究を志す人にとっては、戒めになり参考になるようなことが、たくさん説かれている。
同書は、本篇と付録ないし参考資料とからなっていて、本篇は、「1. はしがき」、「2. 数学の学習法」、「3. 数学と独学」、「4. 中等教員検定試験」、「5. 高等教員検定試験」、「6. 其の後」の六章で構成されている。本日は、そのうちの、「3. 数学と独学」を紹介してみよう。
3. 数 学 と 独 学
数学の学習は上に申したやうに大部分自力によらなければなりませんので、この意味から云つて数学程独学に適する学科はないのであります。其上数学には発音もなければ実験もない、例外も学説もないのでありまして、書物にある事を正直に理解して行けばよいのであります。正しい頭で考へて正しいと思つた事は書物に書いてあらうが無からうが正しいのでありまして理論の大部分が書物を待つまでも無く自ら推論できるのであります。云はゞ書物も学習の補助に過ぎないので本質は自分の頭にあるものを整理し発達せしめればよいのであります。ですから途中でわからなくなると云ふ事はない筈なのであります。わからぬ事は自ら考へたら自然わかるので自分で考へてわからぬものは決してないのであります。それ故非常に高い能力を有する者は何も無しに数学を自分丈〈ダケ〉で考へ出す事もできるわけでありまして、独学で不便を感ずると云ふ節は全然ないのであります。殊に今日は書物も完備して居り質問しようと思へば大抵の田舎でも数学の先生が近くに一人や二人は居るのですから独学と申しましてもずゐぶん楽なわけです。これは決して空論ではないのでありまして、数学で成功しようと思ふ人の大部分は先ず数学をやつて見るやうです。そして実際成功して居る人が可成〈カナリ〉多いのであります。私が本講を書いて居りますのもその為なのでありまして読者諸兄の中にも多分に共鳴して居られる方もある筈と思ひます。
独学で数学をやつて成功するには、ずゐぶん困難が伴ひ余程天分のある人でなければ成功はむづかしいと考へる人があります。然しこれはまちがつた考へであります。独学で成功するのは天分によるのではなく努力によるのであります。独学者は学生と異り一定の規則にしばられる事なく又監督を受ける事もないでありまして、その為に自分の努力を自分で鞭韃せねばならんのであります。その為意志の強くない者はつい怠り勝〈オコタリガチ〉とな挫折する事があるわけです。それから独学で進まうとする人は境遇にめぐまれぬ場合が多くついあせつて無理をする。つまり勉強ならざる勉強をして時を費し自分の実力が一向進まない事を反省できないと云ふやうな事もあります。ですから独学で成功しようとする人は先づ意志を強固にせねばなりません。試験は戦ひでありますから強い闘争心と自負心とを持たなければなりません。そうして環境を正視した上で適当な勉強法を定め之を忠実に実行する事であります。如何なる環境にある人でも大抵の場合何とか考へれば適当な勉強法があるものであります。環境は体を縛るが精神は縛らぬのであります。勉強は精神力によつて行ふものでありまして、肉体的の束縛は精神力によりいくらでもカバーできるのであります。それ故自己の環境を悲観視してはならない。又、その境遇の差を肉体的の努力でカバーしようとしてはいけないのであります。時間が不足ならば少い時間に多くの効果を挙げるやうに精神を集中したらよいのでありまして、之を睡眠時間を減じて補はうと云ふやうなとんでもない事を考へるからいよいよ状態を悪くするのであります。そうして独学の方は自分の勉強法が悪い為実力が少しも進歩して居らないと云ふやうな状態を反省せしめられる機会が少いので尚いけないのであります。毎日何時間づゝ勉強して居るから、一ケ月に何冊の本を読んだから力がついた筈だと云ふやうな事を考へるのは数学の勉強法とは余程遠いのであります。この心掛けさへしつかり持つて居れば境遇の善悪と云ふ事も別に気に留める程の事ではないのであります。
次にあまり一生懸命にならず長年月を費して成功しようと云ふ人、十年計画など云ふ人がありますが之はあまり面白くないのであります。第一一生懸命にならないと云ふ事が根本的のまちがひです。やるなら全力を尽してやるがよい。その為に受けるものは苦とも考へられるが考へやうでは楽ともなる。苦しむ事を楽しみと思ふやうでなければ戦〈タタカイ〉には勝てません。それに人間境遇も脳力も年月と共に変化しますし、緊張もそんなに長い間続くものではないのでず。それですから長い間にはいろいろの故障が起り、緊張も破れ、挫折する場合が多いのであります。ですから試験を受けるなら必ず最短期間を目指して、必ず受かるぞと云ふ決心を以て努力すべきであります。実際この決心の有無で同じ脳力の人でも成績がちがふのでありまして、例へば小学校の先生をして居られる方などを見ましても文検に合格するのは大抵下級の方です。上級になり生活も安定した方々ではこの決心がつけにくいので、ついどうでもいゝではないかと云ふ気になるらしいのです。かやうに申しますればおわかりになるでせうと思ひますが、独学で成功する事の可能か否かは一に懸つて注意と努力によるので実力やら境遇による事は少いのであります。【以下、次回】
今日の名言 2017・2・4
◎開国を迫った国が鎖国する
本日の東京新聞「時事川柳」欄より。川越市の福岡治子さん作。歴史に残る傑作ではないだろうか。
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