礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

張り切った心持は激しい憤激に一変した

2017-02-18 01:08:17 | コラムと名言

◎張り切った心持は激しい憤激に一変した

 一昨日、昨日と、『週報』の第420号(一九四四年一一月八日発行)を紹介した。本日は、『週報』の第394号(一九四四年五月一〇日発行)を紹介してみよう。
 まず、両者の違いだが、第394号の表紙は、緑と黒の二色刷り。一箇所、針金で綴じられており、綴じ穴もあけられている。ページも切られている。第420号のほうは、一昨日述べたように、表紙は黒の一色刷り。折りたたんだだけで、ページが切られていない。綴じられておらず、綴じ穴もあいていない。
 十六ページで、定価五銭ということについては、両号とも共通である。
 さて本日は、第394号の最終ページ(背表紙)にある投書欄「通風塔」から、熊本の中学生の投書を紹介してみたい。なお、この号の投書は、この一件のみ。

 友達諸君に訴ふ!
 小生は片田舎の一中学五年生で、一週間諸君の働いてゐる○○製作所で建築作業に奉仕させて貰つた。その間小生等は諸君等と共に朝に夕に汽車で通つたものだ。軍需工場へ!といふので小生等の張り切り方は非常なものであつた。
 しかるに第一日目で小生等のその張り切つた心持が激しい憤激に一変しのである。それは戦力増産の第一線をうけたまはる諸君等の一部の者の、余りにも腑甲斐ない態度を目のあたりに見せつけられたからである。執務中でも煙草を悠々ふかしたり、見るに堪へぬふざけを女工等に仕掛けたり、下卑な歌謡に打ち興じたりする。小生等はそんな場面にぶつかると眼を閉ぢた。
 諸君!諸君の中にさういふ者がもしもゐたらいつてくれ、「諸君はいつまでさうしてゐか!」と。 (熊本県 坂田 励)

*都合により、明日から数日間、ブログをお休みします。

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