◎入るべき時を知り、出るべき時を知る
昨年の終わりごろ、神田の古書展で、『週報』の第420号(一九四四年一一月八日発行)を入手した。表紙・裏表紙を含め、全十六ページ。帰ってから、よく見ると、A3の紙二枚を重ねて折り畳んだだけのものであった。綴じられてもいなければ、ページも切れていない。「冊子」とはほど遠い印刷物だが、かろうじて綴じ穴の位置のみが示されていた。
その内容は、以下の通り。
表紙(黒一色刷り)
表紙見返し 「週言」
3~6ページ 「神風特攻隊出撃す」大本営海軍報道部
(5~6ページ 「戦闘経過概要」10月25日~30日)
7~9ページ 「必至空襲への構へ」
10ページ 「昭和二十年度 高等・専門学校の入学者選抜」文部省
11~13ページ 「戦ふ物資 麻」
14ページ 「通風塔」読者からの投稿三件
裏表紙見返し 「週間日誌」、「情報局撰定 国民歌募集」
裏表紙 「昭和19年10月抽籤 貯蓄債券/報国債権 当籤番号
本日は、このうちから、「必至空襲への構へ」を紹介してみたい。
必 至 空 襲 へ の 構 へ
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十一月一日、敵大型機はマリアナ方面より突如帝都を窺【うかゞ】つた。
来襲機はごく少く、偵察を目的とするものの如く、一発の投弾をなすこともなく飛び去つたが、比島〔フィリピン〕戦線の激化に伴ひ、こんご大陸基地からの九州、朝鮮、南満洲方面の要地爆撃に策応【さくおう】し、太平洋方面よりする敵の本州要地爆撃の可能性もいよいよ濃くなつたと見るべきである。
空襲は必至である。では、必至空襲への備へはどうか。敵大型機帝都上空出現を機に、差当つて大事な点の二、三を摘記しておかう。
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不時の警報にもまごつかないやう
「本日の状況を見てゐると、一般は警報と同時に緊張し、それぞれの任務に服したが、一部には突然の警報に落着【おちつき】を失つた者もあつたやうである。突如、空襲があつても直ちにこれに応じられるだけのこの覚悟と用意が絶対に必要である‥‥」
これは十一月一日発表された熊谷〔憲一〕防空総本部次長談中の一節であるが、われわれは何度も繰返していふやうに、何時、どこで空襲を受けてもよい態勢を整へておかねばならないのである。
防空必携の中には「警報が発令されてゐないのに突然空襲があるか分らない」といつてゐる。
この際、絶対必要な用事なら格別、外出は極力控へなければならず、万一外出する際には、外出先で空襲に遭つても、あわてないやうに家を出るときから十分に配意し、服装もきりゝとした防空服装を着用すべきである。翌朝の御飯くらゐは前の晩に炊いておくやう、できれば水筒の中にお茶か水を入れて準備しておいたらよい。要は常在戦場の心構へで行動する、これこそ喫緊【きつきん】の大事なのである。
待避所の整備
待避所の整備なくして完全な防空生活はあり得ない。待避所の数は多いほどよい。大きな都市では、防空活動に支障のない限り、全市一面を穴にするぐらゐの心構へで増強することが緊要である。敵機来襲下に、入るべき待避所がないほど心細いことはない。通行者等のことも考へて、できるだけ待避所の数は多くしなければならない。
また、待避所はいつでも使へるやに整備されてゐなければならない。雨で土が崩れたまゝになつてゐたり、水が溜つてゐては、いざといふ時の間【ま】に合はない。掩蓋〈エンガイ〉にしても、たゞ申訳〈モウシワケ〉的に支柱を施したものなどが見受けられるが、このやうなものは、ちよつとした震動にも崩れる危険がある。自分の入る待避所に自信がもてないやうでは十分な防空活動は望まれるものではない。もちろん材料の不足等もあらうが、生命と引換へと思へば、まだまだ工夫する余地は十分にあるはずである。
待避行動は敏速に
待避所の整備と同時に大切なことは待避行動である。待避はすばしこく整然と行動しなければならない。それには待避所の収容力に応じて平素から誰と誰が使用するかといふことを予じめ〈アラカジメ〉きちんと决めておくことが肝要である。いざといふときに、どこに入つてよいのか分らないやうでは困る。
去る十月の沖縄方面の空襲のとき、或る会社では、この着意が欠けてゐたため、たくさんの人達が同じ待避所に一時に詰めかけ、全員を収容することが出来ず、そのうちの一人は腰部を壕外に露出してゐたため、付近に落下した爆弾によつて打撲傷を負つたといふやうな例があつた。
なほ待避に当つて、もし手近かに待避所がないときは、十分な勘【かん】を働かせて、付近の地形地物を利用することである。うろうろと、姿勢を高くしてゐることは一番危険である。
次ぎに、これからは日毎に寒さが加はつてくるし、敵機の在空時間も長くなることが予想されるから、待避に当つては、なるべく厚着【あつぎ】をするとか、或ひは待避所の中に藁〈ワラ〉、莚〈ムシロ〉、毛布、蒲団等を持ち込んで、長い時退避【たいひ】してゐても冷えたり疲れたりしないやうに心掛ける必要がある。
大切な防火活動
日本の家ほ燃え易い。待避所で助かつても防火活動に欠けるところがあり、家財等を烏有【ういう】に帰したのでは、国土の防衛を全うすることはできない。
敵が反復攻撃を加へてくるやうな場合、防火活動と待避の関係は非常にむづかしいが、待避に気をとられて大事な防火、消火のことを忘れるやうなことがあつてはならない。
この間の沖縄方面空襲の際、那覇市在住の某代議士は自宅屋敷内の待避所に待避し、敵機の様子に注意しながら、敵機が去れば逸早く飛び出し、家の内外を隈【くま】なく検【しら】べ、再度敵機がくればまた待避所内に入り、敵機の去るのを待つといふふうに、最後まで頑張り通した結果、自宅屋根裏に落下して盛んに燃焼中の焼夷弾を発見し、大事に至らないうちに消し止めてゐる。また或る町では八十歳にもなる老齢の身でありながら、居宅内待避所に踏みとゞまつて屋内の様子に気を配つてゐたところ、隣りの軒先に油脂焼夷弾が落下、まさに家に燃え移らうとしてゐるところを間髮を入れれず自分一人の手でこれを見事に消し止め、延焼を未然に防止した。さらに、ちやうど当日、第四回目の空襲の際、市内の警戒に当つてゐた警察官・警防団の数名は、二階建屋根上に落下した焼夷弾二発が盛んに火を吹いてゐるのを発見し、敵の機銃掃射の間隙を縫つて、互に協力、バケツ注水によりこれを完全に鎮滅した事例もあつた。
このやうに、待避しながらも落着いて四囲の状況に気を配り、敏速な行動をとれば、待避の目的も防火の目的も十分に果すことができるのである。徒らに恐怖心に捉はれて待避所にへばりついて、大事な消火や人命の救出にぬかりがあつてはならないのである。
敢闘精神の発揮
これも沖縄方面空襲の際にあつたことであるが、或る家庭では自宅専用の堅固な横穴式防空壕に頼り過ぎ、爆弾を避けることのみに気を奪はれて、壕が付近の火災によつて猛火に囲まれてゐるにもかゝはらず、なお依然としてその中に蟄伏【ちつぷく】してゐたために、遂に家族全員が窒息死してしまつたといふ悲惨事を生んでゐる。
これは全く敵の爆弾や機銃掃射に怯【おび】えて、状況の変化に応じた機宜〈キギ〉の処置をとることが出来なかつたからである。待避所には、入るべき時を知ると同時に、またこゝから出る時を知らねばならないのである。素早く入ることはもとより必要であるが、勇敢に飛び出すことも同様に大切なのである。
敵襲下に壕外に飛び出すことは非常な勇気を必要とするが、今日この勇気に欠けてをつては真の防空活動は望めないのである。
前線では、わが同胞が現身【うつしみ】を敵撃滅の肉弾と化して敵艦に殺到してゐるのである。今こそ、われわれは日頃磨いた敢闘精神を十二分に発揮して、いささかたりとも防空活動にぬかりがあつてはならないのである。
手元の年表を見ると、一九四四年(昭和一九)一一月二四日に、マリアナ基地から発進したB29が、東京を発空襲している。上記記事によって、これに先立ち、同月一日に、「敵大型機」(B29であろう)が、偵察を目的として(であろう)帝都に飛来していた事実がわかる。
記事によれば、すばやく防空壕に入ることは大事だが、それで安心してはいけない、時には、そこから飛び出す勇気が必要だという。この警告は、意外に感じた。
それにしても政府および軍部は、なぜ、みずからに対して、次のように言い聞かせなかったのだろうか。「戦争に突入する決断は重要だが、さらに重要なのは、勇気をもって、その状態から抜け出すことである」。