礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和前期の数学界と教員検定という登竜門

2017-02-11 05:48:33 | コラムと名言

◎昭和前期の数学界と教員検定という登竜門

 森本清吾著『独学者の行くべき道』(文修堂、一九四一)の付録から、「R.K.生」さんの「高等教員検定試験受験記」を紹介している。本日は、その後半。

 次に自分の見た参考書の事について少々申上げておきます。入門としては成るべくわかり易い本がよろしいが、何と云つも試験委員の著書を読まぬと不利益な事は已む〈ヤム〉を得ぬと思ひます。最も力を入れて勉強しなければならぬのは微積分です。参考書としては高木〔貞治〕解析概論、藤原〔松三郎〕微分積分学第一巻の二冊でせう。前者の問題は全部あたつておく必要があります。後者の雑題の中にはむづかしいのが多く到底全部征服する事は困難と思ひますが第一章数列の問題は一寸頑張れば大抵出来ます。その第二巻は読む暇がなく一寸見ただけですが、これも征服しておけば大変力がつくと思ひます。但し微分方程式あたり他の本で一度読んでおいた後でないと一寸無理かと思ひます。微分方程式変分学初歩で割合に手つとり早く読めるのは北村友圭〈トモヨシ〉氏著(高岡本店)のもの〔『初等微分方程式 附 変分学』一九二九〕です。変分学は他に一寸手頃のものが見つかりません、続輓近高等数学講座〔共立社〕中のものは程度が高過ぎて始めて読むものにはむづかしいと思ひます。輓近高等数学講座〔共立社〕中〈チュウ〉坂井〔英太郎〕微分方程式〔「微分方程式初歩」輓近高等数学講座題12巻、所収〕も手頃のもので精読の要があります。林蓮池共著のもの〔林鶴一・蓮池良太郎共著『微分方程式』大倉書店、一九二〇〕は古くて一寸理論の杜撰な所がある様に思ひます。
 代数は高木〔貞治〕代数学講義が中心書でせう。藤原〔松三郎〕代数学第一巻も目を通す必要があります。整数論では、竹内〔端三〕整数論、高木整数論講義〔高木貞治『初等整数論講義』共立社書店、一九三一〕(前半)でよいと思ひます。方程式論はDicksonの英語書を読みましたがその中にある事は大体上記の本の中にあります。
 函数論は竹内〔端三〕函数論上巻、掛谷〔宗一〕一般函数論の二冊でよいと思ます。
 解析幾何では私は初に中川立体解析〔中川銓吉「立体解析幾何学」〕(共立社、続輓近高等数学講座〔第3巻〕)を読みましたがあまり詳しくて却つて読みづらい点があります。森本〔清吾〕解析幾何学、中川立体解析(単行本)〔中川銓吉「立体解析幾何学」輓近高等数学講座第12巻のことか〕の方がよいと思ひます。その次にはベルの立体解析〔ロバート・ベル著、松室隆光訳『立体解析微分幾何学』文明社、一九三一〕を読む必要があります。後半は微分幾何になつてゐますが、これだけこなせば大体微分幾何は十分です。しかしこの部分の終の方は仲々読みづらいです。微分幾何の単行本では窪田博士著のもの〔窪田忠彦著『初等微分幾何学』岩波全書のことか〕も、河口〔商次〕博士著のものも程度が高く、要るのはその初めの方だけです。微分幾何は私だけでなく皆困つてゐた様です。窪田解析〔窪田忠彦著『解析幾何学』第一巻〕も程度が高い様です。射影幾何では森本〔清吾〕近世幾何学、林西村〔林鶴一・西村秀雄〕射影幾何学等入門としてよろしいと思ひます。高須綜合幾何学〔高須鶴三郎著『近世綜合幾何学』〕は始めての者には読みにくい様です。
 力学は愛知敬一著のものを読みましたが数学をやる者には少々物足らぬ感じがします。寺沢氏のもの〔寺沢寛一著『初等力学』裳華房のことか〕がよいと云ふ事を後で友人から聞きました。微積分や微分方程式の時出て来る力学の材料をよく勉強しておく必要があります。
 確率論では渡辺〔孫一郎〕(単行本)、亀田〔豊治朗〕(輓高〔輓近高等数学講座第一〇巻〕)のものを読みました。其他私は読みませんが北村〔友圭〕氏の確率論、最小二乗法〔『確率及最小自乗法』高岡書店、一九二八〕、統計学〔『統計数学』高岡書店、一九三二〕等は丁度〈チョウド〉受験程度として適当だと云つてゐた人があります。(極新らしい本では岡谷計算法確率統計〔岡谷辰治『計算法・確率・統計』一九四〇〕といふの(養賢堂発行)が出ました)
 問題演習として共立社の演習高等数学講座は殆ど皆読みました。中々一冊読んでそれが全部自分の物となる事は望めませんから、一科目について二三冊は読まなければなるまいと思ひます。洋書はあまり読みませんでした。程度はあまり高い本ではありませんが Lamb の Infinitesimal Calculus は応用方面の事がかなり入つて居つて為になつたと思ひます。前述べルの立体解析幾何学は訳書が二通りもありますが方々に誤訳や誤植がある様です。原書で読む方がよいと思ひますが、原書は価〈アタイ〉が高いのと多少読むのに骨が折れるのとが欠点です。グルサの数学解析やポルヤセーゲは微積分の演習として大変よい本だ相ですが私は読んだ事がありません。只今では手に入れるのがむづかしい様です。
 中等教員の検定試験では基本事項が少々分つてゐればあとは腕力で出来ますから、一度やつた事は殆ど復習する必要ありませんが、高等教員検定試験の準備には記憶を要する部分も可成り〈カナリ〉ありますから同じ本を三度位は読み返して見る必要がある様に思ひます。しかし此頃は記憶のみでは出来ぬ問題が追々多く出される様になつた様です。私は両試験準備のため一度も先生から指導を受けた事がなくそのため能率の悪い勉強をしたと思つてゐます。相当の年齢になつてからこの試験が受かつたのでは利用価値が少いですから、これから応試しようと云ふ方はうまく勉強してなるベく早く之をお取りになる樣おすゝめ致します。この準備のためにはかなりの勉強が要ります――少くも中等教員のときの五六倍。それ故もし事情が許せば学校に入つた方が能率よく勉強する上からも又大成する目的から云つても得策でないかと考へてゐます。同じこの試験を受けるにしましても物理学校出の人や、その専攻科に居た人は割合に能率よく準備してゐる様です。色々取止めのない事を申上げましたがいささかでも後進の方々の為の参考になる事がございますれば幸甚に存じます。(昭和十五年〔一九四〇〕九月)

 数学という学問のことは、全くわからない。しかし、昭和前期における日本の数学界が、輓近高等数学講座、続輓近高等数学講座(発行元は、ともに共立社)などの研究成果を蓄積していたことがわかった。
 しかも、そうした数学界の研究水準を支えていたのは、「教員検定試験」という関門を通して、数学界に参入しようとする若き数学者であったことも、よく理解できた。現に、『独学者の行くべき道』の著者である森本清吾は、教員検定試験によって数学界に入り、輓近高等数学講座で、『立体幾何学』、『座標幾何学概論』、『非ゆうくりつど幾何学』を担当するまでになっている。
 今日では、「大学教育」が普及したために、学問の世界においては、この種の「登竜門」は不要となり、ほとんど皆無になっているといってよい(民間企業に在籍していた中村修二さんが、その研究実績を生かして工学博士となったなどの例外を除く)。しかし、こうした誰にも開かれた「登竜門」がなくなったことは、日本の「学問」にとって、決して喜ぶべきことではないだろう。

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