◎昭和前期の毒消し売り、越後娘の行商隊
信濃毎日新聞社編の『農村青年報告』(竹村書房、一九四二)という本がある。一九三八年(昭和一三)の一月から一二月の間に、信濃毎日新聞の「農村雑記」欄に掲載された地方の寄稿家の文章を集めたものだという。
全部で、八〇篇以上の文章が収められているが、どれもこれも興味深い。本日は、これらのうちから、高柳儀一氏の「毒消し売り」という一篇を紹介してみよう。
毒 消 し 売 り 高 柳 儀 一
鬱陶しい梅雨時〈ツユドキ〉になると毎年きまつた様に、農村目指して三々五々と入り組むんで、の隈〈クマ〉から隈迄門毎〈カドゴト〉を訪づれて来るものに毒消売りがある。
「毒消はいらんかねー」「毒消はようござんすかねー」と売り歩るくが、何れも皆年頃の娘達で、言ひ合はせたかの様に皆んなが、「着たが越後の紺絣〈コンガスリ〉」とさえ言はれて居る紺絣の単衣【ひとい】、にお対〈オソロイ〉の前掛け、毒消の包を引つ掛け背負ひして、紺の手甲〈テッコウ〉に菅笠〈スゲガサ〉が、一沫のヱロと艶との混合した生煮〈ナマニエ〉の馬肉の様な色のしたネル腰巻を尻端折〈シリッパショリ〉の下から覗かせて、多いときは、日に六七人もやつて来るのだ。
【一行アキ】
効能の如何に関係なく、農村では今の処毒消は家庭薬のナンバーワンで、食あたり胃腸一切の傷害には勿論風邪に迄用ひる者もあり、殊に生物を飼つて居る家では、牛馬山羊〈ヤギ〉豚犬猫兎等の食慾不進には凡そ〈オヨソ〉何処の家でもほとんど毒消一点張り、少し位の子供の外傷〈ケガ〉には噛んでつけるなどで、一にも毒消二にも毒消で間に合はせるから、農村の毒消の消費量は相当に上るだらうと考へられる。
【一行アキ】
毒消し行商虎の巻にある訳でもるまいが、「旦那さん、毒消はいらんかねー」と言つた後で必ず、「安く負けておくわねー」と独特のアクセントでつけ加へる。
「毒やなんて含まねえからいらねよ!」等とからかつたものなら、忽ち「冗談言はんで買つて置きなつせえ」と、買ふとも言はぬに背中の荷物を下ろして店?を広ろげて、「二十包入り一袋二十五銭だが、三袋五十銭にまけとくわね、旦那さんだから。」「其の割合ひで行けば、一体どの位買へば只になるだえ?」「阿房〈アホ〉な事言はさるな、なんぼ買つて貰つても只になんてなるものかね! 一円で六袋買つて置きなせえ、セメン〔回虫駆除薬〕を一服〈イップク〉まけてあげるから!」何処へ行つてもこんな調子である。
【一行アキ】
「毒消の素〈モト〉はお寺の縁の下の土だそうだが、効能書〈コウノウガキ〉ばかりでつんぼ程も効かねえものを、薬九層倍といつてうんと儲かるだらずに!」と素見かし〈ヒヤカシ〉半分の言草〈イイグサ〉を引きとつて、「お寺の縁の下の土で出来て居るなんてことがあるもんかね! そんな事で役人様が許可にするものかね。ほら御覧なせえ、ちやんと許可書〈キョカガキ〉が袋に刷つてあるからさあ! それに、毒消が効かないなんて事を言ふ人は旦那さんきりだわね! 此処にも、そら、食あたり水あたり外一切の腹痛によしとある通り、なんにでもとても良く効くからさあ。戦地の兵隊さんにやる慰問袋〈イモンブクロ〉に入れてやれば、クリークの水を呑んでも大丈夫だと兵隊さんが大よろこびださうだね! 旦那さんも慰問袋へ入れておやりなせえ、統後の務〈ツトメ〉ぢやあないかねえ! 旦那さあん」と盛んに旦那さんを連発する。たかが一人の小娘と見くびつてからかつて居る内に、どつちがからかつて居るか解らなくなり、結局は売りつけられてしまふ。
【一行アキ】
俺の家では馬を飼つて居るので毎年多量に買ひ込むから、向ふにとつては相当に良い顧客と見えて、毎年同じ娘が来て大分割引をして置いて行く。近所の人達も、「今度来たら俺あにも買つて置いておくれやあ」と申し込む程になり、娘の方でも亦心得たもので、年によつては越後名物の笹飴等子供に土産〈ミヤゲ〉にくれることもある。又毒消製薬会社の話や行商隊の話の末に、何処の村へ行つても、「一寸ねえさん好い声だなあ」なんてからかふ男があればもう〆たもので必ず売りつけるんだとも云つて笑ひ合つた。
【一行アキ】
今年もぼつぼつ「毒消はいらんかね!」「毒消はようござんかね」と呼ぶ声が聞える時期となつたが、近い内に例の娘もやつて来るだらう。