◎蒙古人と日本人は祖先が同じかも知れないなあ
服部四郎著『蒙古とその言語』(湯川弘文社、一九四三)から、「新バルガ蒙古人のタブー」という文章を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。
最後に、右の調査を行つた際の挿話を是非とも記して置かなければならない。私のホロンバイルにおける経験よりすると一体に蒙古人は日本人と同様疑ひ深い。新バルガ人は特にその傾向が著しいやうに思ふ。ここには細説できないけれども疑ひ深さの質【しつ】や範囲までが日本人のに似てゐる。私がアモゴーロン・ハシャートに住み込んだ時も、旗長からの命令といふので表面だけは一通りの世話をして呉れたけれども、何か探りに来てゐるのではないかといふ様な眼で彼らが見てゐるらしいことは、事毎〈コトゴト〉に感ぜられた。さういふ状態は同じ室に住む様になつてからでも、凡そ一月か一月半は続いたであらう。併しブド氏は、例の炯眼から、私の目的が学問的研究以外の何物でもない事を十分諒解するにいたつた。それにはほかにも動機があつたが、このタブーの調査も大いに助力したことは疑〈ウタガイ〉ない。右に記載した諸事実は、ブド氏自らが進んで、ドンドン話して呉れたものでは決してない。一体同地における滞在は、いろんな虫に食はれたり、食物の点で苦んだり、恐ろしく寒い室に住みながら風邪を引いたり、肉体的な苦痛は中々軽少ではなかつたが、学問的収獲が多かつたので、実に楽しく暮した。永い夜を、太い一本の?燭を真中にして差向ひながら、ブド氏と毎夜々々四方山話に耽つた思出は、恐らく私の一生の中で、最も楽しいものの一つであらう。私がタブーに関するきつかけを握つたのも、かうして話し合つてゐる或晩のことであつた。何の話の序〈ツイデ〉であつたか、子供の時母に始終いひ聞かされてゐた「湯に水をさすのはよいが、水に湯をさしてはいけない」といふことを話したら、ブド氏が、それは面白い、私の方でも水に牛乳をさすのはいいが、牛乳に水を注いではいけない〔16参照〕といひだした。御飯を食べ始める時には必ず汁物を一口吸はなければならないといふと、「私の方でもうどんを食べる時には……」(21参照)などといつて、奇妙な一致を二人して面白がつたのであつた。但し注意すべきは、初〈ハジメ〉の内は、決してブド氏自身がいひ出さなかつたことである。いつも「それから、……それから、……」と私の話を最後まで聞いてから、自分のを持出す。かういふ風にして、私の話が決して出鱈目でないことを確認しただけに、このことに対する氏の信用の厚さは大したものであつた。また私の郷里の風習やタブーで、右に記したものに似たものがかなりあるのも、この上もなく興味のある事である。これによつてブド氏は学問の面白さといふものを(その理解が正しいとはいへないにせよ)深い感銘を以て理解した。のみならず日本民族に対する特殊の親愛さを威じ始めたやうであつた。私が以前に、日本語と蒙古語は語順が非常に似てゐる、ロシヤ語や支那語はさうでないのになどといふと、宣伝でもしてゐるのではないかといふ顔つきで、まともに傾聴しては呉れなかつたのに、今度は自分から、本当に腹の底から出るしみじみした調子で、蒙古人と日本人は祖先が同じかも知れないなあ、などといふ様になつた。ブド氏は、新知識を得るために旗から派遣されて、新京に数箇月住んだことがあり、日本語もほんの少しではあるが知ってゐたのであるが、新京に住んでゐた時のことを思ひ出して、支那の婦人は全然違ふのに、日本の婦人の中には 蒙古婦人に似たものが中々多く、もし蒙古の服裝をしてこの早原で遇つたら、蒙古婦人としか考へられないであらう様な人に度々会つたなどといふ感想を洩したりするやうになつた。かくして私は同地において一層愉快に生活し、一層多くの研究の便宜を得るやうになつたのである。右の諸事実はそのまま聞き流して了ふのが惜しく思はれたので、途中からノートに書き留めた。【以下略】
今日、日本の大相撲には、モンゴル出身の力士がたくさんいる。みな、日本語も達者である。そうした力士に対して、モンゴルの風習と日本の風習とで、「近い」と感じたものはあるか、それは何か、などと質問したジャーナリストや学者があったのだろうか。これは、是非、どなたかに試みていただきたいものである。
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