礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ジラードは殺人罪と誤報した記者が辞表

2017-06-14 04:02:15 | コラムと名言

◎ジラードは殺人罪と誤報した記者が辞表

 石岡實の「相馬ケ原の渦中から――ジラード事件一捜査官の覚書」(『文藝春秋』一九五七年一一月号)は、「犯罪容疑濃し」、「ジラード否認す」、「新聞次第に騒ぎ出す」、「被疑者の名前を発表」、「過失か、傷害か、殺人か」の計五節から成る。
 昨日は、このうちの「犯罪容疑濃し」、および「ジラード否認す」を紹介した。「新聞次第に騒ぎ出す」、および「被疑者の名前を発表」の紹介は割愛し、本日は、最後の「過失か、傷害か、殺人か」の節を紹介してみたい。

  過失か、傷害か、殺人か
 事件を早く検察庁に送る要ありとの情勢に鑑み、〔一九五七年〕二月九日土曜にはその手続を進める予定にし、八日中に罪名決定をするごとにした。
 概ね十日間の激しい捜査と寝不足で、憔悴した〔岡田三千左右〕刑事部長、〔志塚正男〕捜査一課長等と、あらゆる資料を詳細に検討した結果、「傷害致死罪」で送検することにした。深夜会議中、盛んに番犬が吹えるので、誰かが盗み聞きをしているのではないかと、何度か注意した位緊張して会議を続けた。
 この会議の内容は残念ながら最も公判に影響あるものが多いので詳細を述べるわけにはゆかない。翌九日早朝、某社の記者に襲撃され「傷害ですか? 過失ですか?」と問われたのに対し、的をそらして、「もっと強いこともあり得る」と述べた事も一因となり、殺人説が異常に高まり、右の某社とは異る一流紙が、都内版夕刊三面トップに、四、五段抜きで、殺人罪で送検と誤報し、責を感じた担当記者が辞表を提出する一幕もあって、九日は一日中私の部屋は殺気立ち、平常割に仲良くつき合う若い記者諸君と大声でどなり合うことも再三であった。
 シャープ中佐という、当日の演習指揮官から、演習の計画書を求めたかの問に、確信ない返事をしてやや強くつっ込まれた以外は、概ね順を追った私の説明に納得して現地に向われたが、丁度その日が送検の日であったため、国会で、岸〔信介〕総理が、群馬県警察本部は、ジラード被告を殺人罪で送検する予定のところ、自民党の議員団が圧力をかけて傷害罪に変更させたというがどうかといった質問を受けて大分驚かれた、と新聞に報道されたが、罪名についての話し合いは殺人、傷害致死、過失致死の三つの中の1つでしょうが目下のところ、何ともお答え致し兼ねますと云っただけである。同じようなことをやはり検察庁との関係についても噂されたが、これまた同様誤りである。がこの点はNHK、その他の録音の時執拗に聞き訊されたし、亀田〔得治〕参議院内閣委員長にも強く念を押された。事件を一応検察庁に送ったが、予定通り十一日には大規模な実地検証と銃の性能検査並びに被疑者、証人の調べが行われた。九日に送検した事実を裏付ける詳細な事実を確認したが、方針に変更を加えねばならぬことはなかった。ここで事件は一応吾々の手を離れて検察庁に移った。
 この十日間という日時は、夜を日についで群馬県警察本部員及び高崎警察署員と共に事件の糾明に心血をそそいだ。警察としてはもとより刑事事件として事件の真相を把握しようとする立場であるが、新聞報道の立場から事件の取材に奔走される新聞記者諸君には、朝から晩までつけ廻され人権擁護局に訴えねば生命が危いと、やや冗談ではあるが文句をいったこともあった。又某証人が酔って米兵と乱闘して驚かされた一齣〈ヒトコマ〉もあつた。当警察本部鑑識課がこの事件で使用したフィルムは十六ミリ六本、パックフイルム一〇打〈ダース〉、ブローニーフィルム六本、引伸用印画紙三二二四枚に達し、今後のフィルム使用計画上一大事と、心配したこともあった。そして、また一番驚いたことはなかさんの死があまりにも華々しく取扱われたので、一月十七日には死亡された松岡健さんの村が騒ぎ出し、死んだ日に偶々飛行機が飛んでいたという事実と結びつけ、その飛行機が砲座に連絡し、狙い撃たせたらしいと、県会で問題にされた時であった。これでは森羅万象犯罪に縁のないものはなく、身体がいくつあっても足りないと嘆いた。しかし、われわれとしては、吾々の手でやるべきことはやり尽し、あとは公正な裁判を祈願するだけである。
 ただ米国内で問題が大きくなりだしてからの、米一流通信社のおくれを取戻そうとする必死の努力は、お互の競争意識も加わって猛烈を極め、弾丸でなく種をとるために手段を選ばぬ者もあり、弾丸拾いのひどく悲惨な思い出と一対をなした救われないような記憶をとどめつつある。が、この二月の初めの十日間一緒にもみくちゃになりながら働いた事件直後の新聞記者諸君には、その凄まじい努力に敬意を払うにやぶさかでない。
 書き了った頃現地実証のニクル証人の証言が伝って来た。概ね吾々の苦労を重ねて解明した事実にほぼ近い。ここでただひたむきに真実発見に努力したものだけに許される言いしれぬ深い感銘を覚えた。

 若干、注釈する。文中に、「某証人が酔って米兵と乱闘して」(下線)とあるのは、一九五七年(昭和三二)六月九日に起きた事件で、この某証人というのは、坂井なかさんが射殺される直前、ジラードから、同じく威嚇射撃を受けた最重要証人Oのことである。
 また、「一月十七日には死亡された松岡健さんの村が騒ぎ出し」(下線)の「には」は、たぶん、「に」の誤記であろう。ジラード事件の少し前、一九五七年(昭和三二)一月一七日に、松岡健さん(三四歳)が、砲弾の破片を背中に受けて即死するという事件があった。そこの村民が、ジラード事件の発生(同月三〇日)を受けて、「騒ぎ出し」たという意味であろう。

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