◎繆斌は蒋介石の委任状を持っていない(杉山元)
東久邇宮稔彦『私の記録』(東方書房、一九四七年四月)から、「布衣の使」の章を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、一行あけて、次のように続く。
従来の、日華の和平交渉の全面的失敗は、どれも、これもみんな、蒋介石―重慶とアメリカとを切り離そうとする日本側に虫のいゝ、夢のような謀略工作にすぎなかつたことに起因している。
繆斌工作は、これに反して、日米の和平を目的としていた。それだけに、軍をはじめ、各方面の反対の嵐に直面せざるを得なかつた。
また、繆斌氏が、原則として提示した、南京政府の即時解消と中国からの日本軍の全面的撤退――とは、当然、現地の日本軍と南京政府関係者の猛烈な妨害運動となり、ひいて、軍中央部と外務省側の反対に遭つたのである。
【一行アキ】
繆斌氏に会つた日、緒方〔竹虎〕国務相を通じて、小磯総理に、繆斌工作に全幅の努力を傾けるように忠告した。同時に、私は側面からあらゆる助力をしようと決意した。
【一行アキ】
そこで、私は、杉山〔元〕陸相と梅津〔美治郎〕総長を呼んだ。
杉山陸相は
――繆斌は、肩書がない、蒋介石の委任状をもつてきていない。こんな人物で、日華の和平交渉は出来ぬ。
という。
私はこういつた。
――最近、暇があるので「戦国策」を読んでいる。ところで、中国では、一国と一国との和平交渉とか、同盟、連合とかにはいきなり国王が直接交渉をすることはない。はじめは布衣【ほい】の士が、内々に国王にたのまれたり、大臣にたのまれたりしてやる。そして、いよいよ話がまとまつたところで、はじめて、公式に談判が開始される――これが中国の建前だと思う。
特に、今日の日本と重慶とは、戦争をしている。おまけに『相手にせず』などといつている時に、どう考えても、重慶から正式の使者が来るわけがないではないか。
第一に、蒋介石氏の立場として、委任状を日本に持たせてよこす――と考えることすら誤りである。委任状なく、地位もないところが、かえつて面白い。信用が出来るとか、出来ぬとかいうが、よしんば詐され〈ダマサレ〉てもよいではないか。
杉山陸相も、ようやくなつとくして
――なるほど、その通りです。
と賛成したので、私はさらに
――繆斌氏が、上海から飛行機で来ることについては、あなたは、陸軍大臣として賛成したのではないか。それに今になつて反対というのは、どういうわけか、私にはわからぬ。小磯総理を助けて大いに努力してもらいたい。
【一行アキ】
次に、梅津総長に対しても、同じことをいうと、彼も同意した。
【一行アキ】
そこで、少くとも私の諒解では――最高戦争指導会議で、小磯総理が発言し、杉山陸軍大臣と梅津参謀総長とが、賛成することになつた。
ところが――重光〔葵〕外務大臣が絶対反対。
小磯総理が、いよいよ最高戦争指導会議で発言しようとすると重光外相は、まず真向〈マッコウ〉から反対し、陸相も参謀総も一向、総理を支持した模様はなく、そしてこれが主たる原因になつて小磯内閣は瓦解したのだつた。 (後頁の註―参照)
【一行アキ】
かくて、繆斌氏の話がだめと決ると、陸軍では手のひらをかえしたように冷淡になつた。
私は、再び杉山陸相に注意した。
――飛行機の座席はない、汽車の切符もないで帰れ――とまるで追い返えすにひとしい冷遇をするとは、全く礼を知らぬ恥しい話だ。現地軍が反対しているからだそうだが――何でも軍は横車を押して勝手なことをしている。今日はそれでよいかも知れないが、いずれは国民の指弾の的となりますぞ。少しは反省したらどうか。
【一行アキ】
繆斌氏は、使命は失敗に終つても、せめて日本の桜の花盛りを見て帰りたい――というので、私は
――何か、圧迫でもあつたら「東久邇宮に用事があつて、もつと日本にいるのだから……」と返事をするように――
と、どんなことがあつても、繆斌氏を庇護するつもりでいた。
【一行アキ】
繆斌氏は、その後、麻布広尾の迎賓館を出て、麹町六番町の五条珠実〔日本舞踊家〕方に身をかくし、四月末、宋の謝枋得〈シャ・ホウトク〉の初到建寧詩〔初到建寧賦詩〕に和した一詩を残して上海に帰つた。
このあと、一行おいて、長い「註」が入るが、これは次回。