礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「オリガーキ」安倍官邸政治の暴走とそのゆくえ

2017-06-06 06:14:43 | コラムと名言

◎「オリガーキ」安倍官邸政治の暴走とそのゆくえ

 六月一日付『日刊ゲンダイ』の記事「どちらが嘘つきかは一目瞭然/安倍首相と菅官房長官の悪相/確実に追い詰められ動揺する恫喝政権」をインターネット上で読んだ。そこに、次のようにあった。

 今度の加計〈カケ〉疑惑も、和泉〔洋人〕補佐官発言のように「総理の意向」を裏付ける話がボロボロ出てきて、「やっぱり」というのが大多数の国民の心情だろう。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。
「痛いところを突かれると、なりふり構わず攻撃する。それも、公的な議会の場だけでなく、下半身疑惑まで含めた攻撃です。こんな政権は戦後政治にはありませんでした。安倍〔晋三〕首相は、民主主義の体裁を取りながら、徹底した独裁手法を取るロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領を真似しているかのようです。さすがに国民は『この政権ではまずい』という感覚を持ち始めています。政権と仲良くすれば甘い汁が吸えるが、反旗を翻せば、籠池〔泰典〕前理事長や前川〔喜平〕前文科次官のように徹底的に叩かれ、辱めを受ける。そういう恐ろしさがハッキリ見えてきました」

 これの箇所を読んで、「オリガーキ」という言葉を思い出した。
 経済学者の霍見芳浩〈ツルミ・ヨシヒロ〉氏は、『日本企業の悲劇』(光文社カッパ・ビジネス、一九九二年一月)の中で、次のように述べた。

 シャークとサンフィッシュ、悪人と善人、そしてボスとリーダー、外見は全く同じでも、その思想と行動は正反対だ。一般の国民にとってどちらが実権を握って国や企業や学校などを動かしているのかで、それこそ地獄と天国ほどの違いとなる。
 ボスとリーダーの相違に酷似しているが、国家や産業を支配している一握りの権力者の群れが、オリガーキ(少数独裁の専制者)なのかエスタブリッシュメント(啓蒙的エリート)かの違いは、国の将来や地球社会の将来に大きな違いをもたらす。オリガーキもエスタブリッシュメントも外見は酷似している。
 双方ともに、一握りの少数だし、政治権力と財力を駆使する立場にある。いわゆる上流社会の頂点にいて、相互の家族同士で婚姻関係を結び合ったりもする。社会的名誉もこの一握りの人間たちが占め、一般国民にとっては、せいぜいゴシップも含めた話題の対象でしかない。
 大衆は、自分たちはとてもこうした権力階級に入ることはできないとあきらめてもいるが、この階級に対する憧れや羨望は強い。したがって、多くの人はなんとかして、一群の権力者にすがって、自分たちのささやかな生活をよくしたいものと願っている。
 また、権力階級を模範とあがめてもいるし、内心では権力階級を怒らせるとまずいと恐れている者が国民の大半でもある。こうした偉い人たちの言うことは、黙って受け入れようという権力盲従の態度を国民のほうで示してもくれる。
 しかし、オリガーキとエスタブリッシュメントの類似点はここまでだ。両者の決定的な相違点はというと、オリガーキは私益を追求する。私益を国益とすり替えるのは日常茶飯事で、国や企業は、自分たちの権力拡大と私欲を満たすために存在していると思い込んでいる。権力を使って私欲を肥やすのは自分たちの特権だと思っている。

 安倍晋三首相、菅義偉官房長官、今井尚哉首相首席秘書官を中心とする安倍官邸政治は、どう考えても「エスタブリッシュメント=啓蒙的エリート」とは思えない。まさに、「オリガーキ=少数独裁の専制者」以外の何者でもない。しかも、加計疑惑が深刻化した、ここ数週間で、安倍官邸政治=オリガーキの印象を、みずからアピールしているかの印象がある。
 では、霍見芳浩氏は、一九九二年の段階で、二〇一七年前半における「オリガーキ」安倍官邸政治を予想していたのであろうか。
 必ずしも、そうは言えない。なぜなら、霍見氏は、同書において、日本におけるオリガーキの典型として、「大蔵省の自称エリート官僚」を挙げているからである。
 もちろん、その時点では、財務省や文部科学省の誇り高きエリート官僚が、首相官邸の意向を忖度して、例外に例外に重ねるような行政措置をとらされ、しかも、その忖度を否定し、その忖度の証拠を隠蔽するといった、今日の異常な事態を予想することは、きわめて困難であった。
 すなわち、一九九二年の日本においては、オリガーキの典型は「大蔵省の自称エリート官僚」だったかもしれないが、その後、エリート官僚の権威と権限は徐々に失墜し、二〇一七年前半の日本においては、首相官邸がオリガーキとなり、エリート官僚は、その走狗に成り下がるという事態が生じている(こうした激変の直接の契機は、二〇一四年五月の内閣人事局の設置であろう)。
 霍見氏は、一九九二年の段階では、こうした事態を予想できなかったかもしれない。しかし、オリガーキ(寡頭制oligarchy)という、有効な政治的視点を提示していただいたことについて、私たちは、霍見氏に感謝しなくてはならない。
 なお、このあとの加計問題の進捗によっては、安倍政権が国民の支持を失い、「オリガーキ」安倍官邸政治が、一挙に崩壊する可能性もなくはない。まさに、予断が許されない情況だと思う。

 
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