礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東大前古本街は残ったが、早稲田は全滅

2017-06-20 08:41:21 | コラムと名言

◎東大前古本街は残ったが、早稲田は全滅

 昨日の続きである。『日本古書通信』通巻504号(一九七一年七月一五日)から、太田臨一郎のエッセイ「古書展覚え書(下)」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、数段落分を【中略】し、そのあとの段落から、紹介する。

 日華事変から太平洋戦争に突入して、他の商売同様、古本屋さんの受難の日が続いた。十五年〔一九四〇〕の十二月に政府は古書籍公定価格を定めて翌年三月二十六日から実施、十八年〔一九四三〕からは和本、明治物も価格統制で縛つた。同じ刊年の本でも保存の良否、旧所蔵者の経歴、書き入れの有無によつて価値に上下のある古書に一率の価格を押し付けたのだから乱暴な話。十五年には物価上昇をあおるとの理由で百貨店での即売展を禁止する。十七年〔一九四二〕に東京古書籍商業組合や、終には古書統制組合まで組織させて情報局の統制の下にしめつけた。戦後アメリカ当局の発表によると日本に対する勝因として、原爆より神経戦の成功を挙げていた。国民の健全な思考力を培う〈ツチカウ〉基を提供する古書籍業を盲滅法界に圧迫した東条暴政の跡を顧みると憮然たるものがある。店員は応召する。店主も応召か徴用をうける。店は次第に焼失する。それでも空襲下に本を漁る〈アサル〉客もあり、大八車〈ダイハチグルマ〉に一杯本を積んで疎開する途中、気が変つてそのまま焼け残つた本屋に売つてしまつた客もあつた。古書展や市〈イチ〉も細々と開かれていたが、二十年〔一九四五〕三月古典会の市など、空襲がしばしばあつて三人か四人しか来なかつたこともあり、親しまれていた青展も十九年〔一九四四〕の七月第六十九回で終りとなつた。
 戦争が済んでみると、東京の古本街は、アメリカ軍が東大の爆撃を避けたおかげで、東大前が残つたほかは、早稲田は全滅、三崎町通りも殆ど全滅、神保通りは九段に向つて左側〔南側〕は助かつたが、右側がやられた。
 しかし「野火焼けども尽きず、春風吹いてまた生ず」で、二十年の十月には早くも組合は大市を開いたし、弘文荘、浅倉屋、松村書店、進省堂、明治堂、山本書店、誠心堂を同人とする新興古書会は十二月二十六、七両日、西神田俱楽部で復興第一回の新興古書展を開催した。案内に
 希ふ所は新しい平和的な文化の建設と古い正しい伝統の護持にいささかでも協力貢献したい念願でございます。
とある。出品略目の表紙に古本買入の案内があるのは、十一月にマル公は廃止されたとはいえ、品不足に難んで〈ナヤンデ〉いる状況を語つている。この会は、当然、読書人に歓迎されて盛会であつた。
 しかし一般的にいつて二十年中は古書街は虚脱状態であつた。二十一年〔一九四六〕の新円切替以後でも、品不足で、売つてしまうと後が続かなくなるから「交換本」の棚を設けたところもあり、むしろ店頭より露店の方が売れて雨後の筍のようにできた諸方のマーケツトに進出した。ハモニカ長屋の異名も名高い新宿のマーケツトには大東京書房が店を出したが、マーケツト主の尾津組の親分〔尾津喜之助〕が読書家で堅い本が好きなので、いい場所に代えてくれたというエピソードがある。
 商品不足の百貨店と店を焼かれた本屋とが歩み寄つて、三越、高島屋、白木屋、伊勢丹、東横、上野松坂屋と各デパートに古書部ができたが、商品が出廻るにつれて場所をとる割にマージンの少い古本は敬遠されて二十五年〔一九五〇〕ごろまでには松坂屋を除いて皆止めてしまつた。松坂屋は八木書店がやつていたのだが、神田に店が出来てからも三十一年〔一九五六〕末まで本誌〔日本古書通信〕事務所は継続していた。
 二十一年〔一九四六〕十一月に東京古典会が白木屋でやつた古典復興祭記念即売展は、戦後最初の大規模な会であつた。趣味の古書展も伊勢丹で第一回を開いた。新興古書展は猿楽町の三輪〔信太郎〕邸、高島屋、伊勢丹、白木屋、松坂屋と転々とした。古書展としては成績がよかつたが、百貨店側は現金なもので、他の売場が充実してくると古本は割が悪いと敬遠し勝ちになる。趣味の古書展が伊勢丹を追われて古書会館でやることにしてから、「良書で値段で気魄で行く」と号した「ぐろりあ展」その他がつづき、現在は、毎月定日に古書会館に行けば何かしら古書展があることになつて、まずはめでたい。
 大阪は殆ど全部の店が罹災したが、終戦の翌日、天牛書店が逸早く難波橋に開店したのを始めとしてしだいに復興した。素人本屋が抬頭したのも東京と同じである。古書展は、二十二年〔一九四七〕、高麗橋の高島屋で杉本梁江堂や、中尾松泉堂が和本を主とする会を催し、古書部を置いた大丸がオール大阪展、十合〈ソゴウ〉がオール京阪展を恒例とし、山内神斧〈ヤマウチ・シンプ〉の梅田書房を置いた阪急でも同書房主催の古書即売会を数回開いた。一体に大阪の古書展は東京より回数が少いから、一回の出品点数は多く、従つて東京より盛況を呈したようである。
 京都では二十一年十一月の丸物と二十二年三月大丸での会が、名古屋では二十二年八月松坂屋古書部主催の古書即売大展覧会が、早い方であつたろう。東京では二十二年二月、明治古典会主催で上野松坂屋を会場とした明治大正文学書大即売会は特別展観として同区内の子規庵所蔵の子規居士の遺稿や遺著を陳列した。【以下、次回】

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