◎蒙古人に「こうだろう」と質問してはいけない
先日、古書展で服部四郎著『蒙古とその言語』(湯川弘文社、一九四三)という本を入手した。裸本、背表紙がコワレていて五五〇円は高いと思ったが、中味が面白そうだったので購入した。帰宅して調べてみて、ネット上では、かなり高額な古書価が付いていることを知った。
服部四郎(一九〇八~一九九五)が、優れた言語学者であることは、よく知っていたが、その本や論文で読んだのは、『日本語の系統』(岩波書店、一九五九)ぐらいしかない。しかし、今回、『蒙古とその言語』を読んでみて、あらためて、この学者の力量に敬服させられた。学問的対象に向かう好奇心と迫力が、ナミ大抵ではない。文章が学者バナレしていて、高度な内容を、実に平易に、実にわかりやすく説いている。
本日は、同書から、「新バルガ蒙古人のタブー」という章を紹介したい。発音記号は、極力、原文に従うよう努めたが、入力の関係で、一部、原文の通りでない場合がある。
新バルガ蒙古人のタブー
一昨年〔一九三五〕の夏より秋にかけて、満洲国興安北省海拉爾〈ハイラル〉の西南約四十里の地点、東新巴旗旗公署所在地アモゴーロン・ハシャートに住んで居た時の事である。同旗内に新巴爾虎【シンバルガ】方言と喀爾喀【ハルハ】方言とが共存する事を知つて、呼倫貝爾【ホロンバイル】蒙古語諸方言の言語地図作成を思ひ立つた。同地方には六種程の蒙古語系方言が行はれて居り、比較的少数の単語で以てそれら諸方言の特徴を把握できる様にと、語彙の選択にかなり苦心したのであるが、その中に次の如き点があつた。即ち、ブリヤート・新バルガ・陳バルガの諸方言では、古代蒙古語の語幹末尾音のs(細註を要するが略す)に対してdを有するが、ハルハ方言・オイロト方言ではsを有する。この点を調査するために、名詞としては.「布、綿布」を意味する単語を採用した。之はブリヤート方言等ではbüd或はそれに近い形で、ハルハ方言・オイロト方言ではbüs, bös或はそれに近い形であらはれる。この目的のために探用し得る単語は勿論外にも少くないが、特にこの単語を選んだ理由は次の様である。一体蒙古人に「之はかうだらう」等といつた形式で物を尋ねてはいけない。大部分の蒙古人は、事実とは無関係に、「さうだ」と答へるであらう。かういふ風に道を尋ねてひどい目に通つた事が二度ほどあつた。是非とも「これは何だ」「これは何といふ」「この道は何処へ行く」等と尋ねなければならない。これは日本語の方言調査に際しても、注意すべきことで、こちらの意見を押付けるやうな態度は何処においても絶対禁物であるが、社会的訓練によつて著しく服従的になつてゐる素朴な蒙古人から、その意見を尋ねんとするには、特に警戒を要するのである。かういふ理由によづて、指示しつつ「これはお前とこの土語で何といふか?」と質問し得るやうな単語をできるだけ選択したが、右の「布、綿布」を意味する単語を選んだのも、同じ理由によるのである。
質問表ができてから、調査を始めたのは、同じくアモゴーロン・ハシャートの旗立小学校においてであつた。同小学校には旗内の方々から生徒が集まつてゐて、大部分は新バルガ方言を話すが、少数の者はハルハ方言を話して居た。さて生徒を一人々々促へて調査を進めて行くうちに、不思議な事にでくはした。ハルハ方言を話す者は私の質問に対してbüsなどと答へるが、新バルガ方言を話すものは、同方言ではbüdといふ事が調査を開始する以前に既に確めてあつたにも拘らず、さう答へるものがほとんどない。そのかはりに「物、財」などを意味する筈のedや、「品物」の意と思つてゐたbāraで返答する。念のためにbüdとともいふかと聞くと、例の調子で「ウン」といふ。中にはこの単語に対しては最初から、「いはない!」などとぶつきら棒の返事をする者もあつた。
この疑問は、幸ひ同小学校滞在中に氷解した。同小学校には二人の先生があつて、一人はダグール人で満洲国語たる支那語を主として教へ、他の一人は校長格、新バルガ人で满洲文語と蒙古文語を教へてゐた。私はこの蒙古人の先生(即ち後者)と八月から十一月まで一室に起居を共にし、新バルガ蒙古人特有の風習や心理について極めて多くの知識を得る事ができた。洞察力の鋭い、日本式にいつても頭のいい当時二十五歳の青年であつた。彼より知り得た新バルガ人のタブーの中に「長上の名前は絶対に口にしない」といふのがあつた。これを耳にした時に私は思はず膝を打つた。この青年教師の名前がbüd だつたからである。後から思ひ出して見ると単語を調査して居る時に、あたりを見廻して誰も居ないのを見極めてから、büdと小声でいつて、悪い事でもしたやうにモヂモヂしてゐた子供があつた。随分罪なことをして単語を絞り出したものだと後悔した。
このタブーは更に委しく〈クワシク〉調べて見ると次の様であつた。自分の父母、祖父母、伯叔父、伯叔母の名前は絶対に口にしない。兄の名前は間々呼ぶ者があるが、これも口にしない方がよい。公職にある者(学校に学ぶ事も公職である)は上役、先生の名前を呼ばない。それのみならずこれと同音の普通名詞も会話中に用ゐてはならない。その必要がある場合には、右の例の如く、これに近い意味の別の単語を用ゐる。(但し名前の第一音節の一部をとつて、bü bakʃi(ブー先生)などと呼ぶのは差支へない。)この禁を犯せば「幸福が減る」bujiŋ xorno といふ。ブリヤート人はロシヤの父称(otcestvo)の習慣がうつつて、蒙古字で署名するとき自分の名前の次に、父の名に「の」の意味の語尾をつけて書き、最後に姓を認める〈シタタメル〉。新パルガの羊(羊肉は蒙古人の主食物で、日本人の米に当るとさへいへる)のしつぽは太くておいしい脂肉が沢山ついてゐるが、ブリヤート人の羊の尾が細くて脂肉が全くないのは、新パルガ人に従ふと、父の名を平気で口にする天罰である。【以下、次回】
非常に興味深い文章である。特に、“蒙古人に「之はかうだらう」等といつた形式で物を尋ねてはいけない。”(下線)という指摘に注目した。
モンゴル人に対しては、「之はかうだらう」という形の質問は、避けなくてはならない。なぜか。それは、そういう尋ね方をすると、そうでないのに、「そう」という答が返ってきてしまうからである。
服部は、「社会的訓練によつて著しく服従的になつてゐる素朴な蒙古人」という表現によって、こうした心意を説明しようとしている。しかし、「社会的訓練によつて著しく服従的になつてゐる」という部分は、意味がよく伝わらない。モンゴル人が、「かうだらう」という形の質問に対して、肯定的に答えてしまうのは、社会的訓練によって「服従的」になったからというより、彼らが単に、「素朴」だからではないのか。モンゴル人の間には、伝統的に、そういう「素朴な心意」が継承されてきたのではないか。
ただ、こうした心意は、「長上の名前は絶対に口にしない」と、あい通じるものがある。「かうだらう」という形の質問に対して、肯定的に答えてしまうのは相手が長上である場合に限る、という限定がつくということもありうる。もし、そうだとすれば、この心意は、単に「素朴」な伝統というより、「服従的」な伝統と位置づけられるべきかもしれない。
服部は、こうしたモンゴル人の心意に関わって、「これは日本語の方言調査に際しても、注意すべきこと」と指摘している。これまた、重要な指摘である。二十一世紀の今日はともかく、かつての日本人に、「かうだらう」という形の質問に対して、「そう」と答えてしまう、「素朴」な、ないし「服従的」な心意が存在したことは、十分にありうることだと思う。