礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

荻窪古書展と柳田國男

2017-06-19 06:16:58 | コラムと名言

◎荻窪古書展と柳田國男

 先日、古書展で、『日本古書通信』通巻504号(一九七一年七月一五日)を入手した。その二~五ページにあった、「古書展覚え書(下)」というエッセイが興味深かった。筆者の太田臨一郎については詳しくないが、服装史の研究家であり、蒐書家としても知られていたらしい。
 本日は、「古書展覚え書(下)」の一部を紹介してみたい。

  古書展覚え書(下)  太田臨一郎

【前略】
 古本祭というものを挙行したのも、大阪が先馳けている。たしか昭和十年〔一九三五〕に始めたので、十一年〔一九三六〕六月、第二回を朝日会館で挙行したときに藤堂卓大阪古書籍商組合長の読み上げた祭文を抄録すると、
 抑モ〈そもそも〉神代ノ昔出雲ニ於ケル八雲立ツノ歌ヨリ起リ和歌三神ノ御出現アリテ益々降盛ヲ極メタル敷島ノ道ハ実ニ我国ニ於ケル文学ノ濫觴〈らんしょう〉トシテ三十一文字〈みそひともじ〉ヨリ天地宇宙ノ玄妙ヲ吟味シ得べキハ万国無比ト称セラレ他ニ類ヲ見サル神徳ナリト謂フへシ茲ニ深ク鑑ルトコロアリ同業者相集ヒ〈つどい〉現下思想ノ推移ヲ大観シテ思想善導ノ資ニ供シ祭神ノ偉徳ヲ発揚シ恭シク〈うやうやしく〉古本祭ヲ営ミ文化ノ進展ニ加護アラシコトヲ熱祷〈ねっとう〉シテ已マサル〈やまざる〉也
とある。土地柄、和歌三神を祭神としたからで、和歌三神が古本の神様とは少しおかしいが、そうかといって適当な神様も思い付かない。この時は、三日間即売会をやり、組合員四十八店の出品点数一万二千点、約五千人の入場者があり、出来高は約四千円であった。
 東京でも大正時代に古本祭の声はあつたが、実現せず、大正十四年〔一九二五〕九月十八日に東京古書籍商組合が、芝増上寺で組合創立以前からその時までの物故者二百余名の法要を営んだことがあつた。
「祭」としては、戦後の二十六年〔一九五一〕六月九日、東京都古書籍商業協同組合第三支部すなわち中央線古書会が、作家クラブ、捕物作家クラブ、二十七日会、カルヴアドスの会、東京温古会、東京都古書組合の後援の下に、荻窪高校で古書文化祭を開催した。戦後だけに祭神はなく、石黒敬七ダンナが司会をつとめ、徳川夢声、野村胡堂、亀井勝一郎、野田宇太郎の諸氏の講演があり、詩人野田氏は「古書の詩」を朗読した。翌十日、会場で即売会を行つたが、これが、現在繁栄している荻窪古書展、高円寺の中央線沿線古書展の起原と考えられるとすれば、お祭りのご利益いやちこ〔灼然〕なりというべしだ。一体中央線の沿線には知識人が多く古書店にはまた左翼くずれと覚しき人もいる(若い主人が、幼児をあやすのに「インターナショナル」をハミングしているので、流石〈さすが〉中央線の本屋さんだな、と感嘆したことがある)ので学術書も出るし、学会雑誌の端本〈ハホン〉などもよく出るのが、この両古書展の魅力になつているので、その道の知名な学者の御顔もチラホラ見える。学校の食堂で、戦争中からよく柳田国男先生のお宅へ通つて〈カヨッテ〉いた佐藤朔教授に、先生の近況を伺うと、近ごろ大部弱つておられるので、御宅へ行つても玄関で要談を済ませて帰ることにしています、とのことだつたが、何とその二三日後に荻窪の会場で、白足袋も清楚なお姿をお見掛けして、先生御健在なりと安心したことがあつた。【以下、次回】

 荻窪古書展というのは、荻窪古物会館を会場にして開催されていた古書展のことである。一九五一年六月九日の古書文化祭の翌日に開催された即売会というのも、たぶん、荻窪古物会館を会場にしたものだったのだろう。
 また、上記に、「現在繁栄している荻窪古書展、高円寺の中央線沿線古書展」とある。この文章が書かれた時点では、荻窪古物会館を会場にした荻窪古書展と、高円寺の古書会館を会場とした中央線沿線古書展とが併存していたかのように読める。しかし、このあたりの事実関係は、このエッセイを読んだだけでは、十分に把握できない。

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