礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

とらわれた感情、視野の狭さゆえに好機を逸す

2017-06-11 07:12:16 | コラムと名言

◎とらわれた感情、視野の狭さゆえに好機を逸す

 東久邇宮稔彦『私の記録』(東方書房、一九四七年四月)から、「布衣の使」の章を紹介している。本日は、その四回目(最後)。昨日、紹介した部分(『註』=「緒方国務大臣の談」)のあと、次のように続く。

     ☆

 繆斌問題もそうであるが、一種のとらわれた感情と視野の狭さのために、局面展開の好機をみすみす逸した例は一再でなかつたと思う。繆斌問題とは別に、私は惜しいことをしたと、今も残念に思つていることがある。
 事変後間もなく私の知人某は、北平で重慶との和平工作をはじめたが、現地軍に捕縛され、軍法会議にかけられ、長い間監獄に入れられていた。出獄後、軍のために中国から追放されたが、この某は、北平〔北京の旧称〕の燕京〈エンキョウ〉大学の当時の総長、すなわち今の駐華米国大使スチュアート〔John Leighton Stuart〕氏を知つている。また同大学の中国人教授中に若干の知人があつた。その話によると、
 ――燕京大学は米国系という理由で、現地軍から閉鎖を命ぜられ、ス総長は軟禁されて外部との連絡を全く断たれている。又教授連は、軍の厳重な監視を受けて困つているが、自分の考えは、スチュアート氏の軟禁を即時解放して、同氏或はその側近者の手によつて重慶との和平交渉をすゝめ、これをもとゝして日米和平、世界和平に進んで行きたい。
 スチュアート総長は、ハーバード大学の出身で故ルーズベルト大統領の親しい友人の一人であり、また蒋主席とは永い間のつきあいで非常に信頼を受けている。
とのことであつた。
 私は、大いにこれに賛成し、『ぜひ小磯総理に話して実行にうつすように』と激励した。
 小磯総理の賛成を得たので、某は、北平の同大学関係の同志とともに、その実行に着手した。私も、某をして小磯総理に――先ず総長の軟禁を解除し和平運動を促進するように――たびたび催促せしめた。
 総理は、いつも賛意を表したが、さて愈々最後の段階になつた時には――軍の首脳がどうの、こうの、現地軍がどうの、こうの、外務省関係がどうの、こうの――ということで、話はそれ以上すゝまず、遂にうやむやのうちに時日を経過し、そのうちに内閣は総辞職してこの問題も消えてしまつた。

 これによれば、東久邇宮稔彦王の知人某は、日中戦争が始まった直後に、和平工作を試みたが、現地軍に捕縛されて軍法会議にかけられ、監獄に入れられた。その後、出獄した某は、小磯内閣の時代に、東久邇宮稔彦王に会って、ジョン・スチュアートを介した和平工作を提案したということのようである。
 東久邇宮の文章は、あいまいなところが多く、年代等の記載もないが、基本的な部分は信じてもよいと思われる。知人某の実名・地位などは、まだ調べていない。なお、知人某が、日中戦争が始まった直後に試みた和平工作というのは、文脈からして、ジョン・スチュアート(当時、燕京大学総長)を介したものだったと思われる。
 明日は、話題を変える。

*このブログの人気記事 2017・6・11(6・7・9・10位にやや珍しいものが)

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