礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国定教科書『中等文法 一』(1943)を読む

2021-07-10 02:27:08 | コラムと名言

◎国定教科書『中等文法 一』(1943)を読む

 先月二四日のブログに、「国定教科書『中等文法』(1943)は橋本学説に基く」という記事を載せた。ウィキペディア「学校文法」によれば、この国定教科書を執筆したのは、岩淵悦太郎(一九〇五~一九七八)であったという
 この『中等文法』は、まだ読んだことがなかった。インターネットで検索すると、広島大学図書館が画像によって公開していることがわかった(教科書コレクション画像データベース)。
 国定教科書『中等文法』には、『中等文法 一』と『中等文法 二』とがあるようだが、広島大学図書館が公開しているのは、このうちの『中等文法 一』である。奥付を見ると、「昭和十八年十一月三十日発行」、「昭和十九年一月十五日翻刻発行」、「定価金四十六銭」とある。著作者兼発行者は文部省、発行所は中等学校教科書株式会社である。
 本日からしばらく、『中等文法 一』の最初の章「一 国語」を紹介してみたい。

     一 国  語

 ダバオへ、ダバオへ。
 一万八千名の在留邦人を一刻も早く救ひ出したいと、北方から疾風のやうに、皇軍はダバオをめざして押し寄せた。
武装した兵士を満載したトラックが、ダバオ市内に突入して、町の十字路にさしかかると、棍棒を持つた二三人の男がとび出して来た。
 「萬歳。萬歳。」
シャツもズボンも破れて、泥だらけだ。足も手も顔も、ほこりにまみれ、目だけが異様に光つてゐる。
「日本人か。」
トラックの上から勇士がどなつた。もちろん日本人であつた。
その人々の顔には、感激の涙がとめどなく流れた。さうして、声をふるはしながら、
 「ありがたうございました。」
と、何べんもくり返すのであつた。
 「日本人は、みんな無事ですか。どこにゐますか。」
と、トラックの上の兵士たちは口々にたづねた。
「みんな無事で、学校に監禁されてゐます。」
といふ答へを聞くが早いか、トラックは、市の中央部へ付き進んで行つた。

〕 皇軍の勇士が「日本人か。」と言つたのは、相手の男たちが、「萬歳。」と日本語で叫んだからである。日本国民はすべて日本語を用ひる。それを私どもは国語といふ。日本国民の心はこの国語によつて、全く一つに結びつけられてゐるのである。
 国語は、わが祖先が、遠い昔から用ひ来たつたものである。今日普通に使はれてゐる「め」(目)「て」(手)、「あし」(足)といふやうな言葉にしても、何千年の歴史をもつて、日本国民が用ひ来たつたものである。
  海行かばか水【み】づくかばね、
  山行かば草むすかばね、
  大君の辺【へ】にこそ死なめ、
  かへりみはせじ。
 日本国民が天皇陛下に捧げまつる忠誠の心は、全くこの歌に示された通りである。この歌は、私どもの遠い祖先の間に生まれ出たもので、日本国民は、昔からこれを唱へ、これによつて忠誠の心を養つて来た。私どもは、国語によつて祖先の心を知るばかりでなく、国語によつて祖先の心と全く一つになることができる。国語は国民精神を表すと共に、国民精神は国語によつて養はれるのである。【以下、次回】

 途中、一行アキの部分があるが、これは原文のまま。
 時節柄とは言え、戦時色の強さに驚かされる。国定教科書『中等文法』は、橋本進吉学説に基いた教科書だということは聞いていた。しかし、それが、かくも露骨に戦時色があらわれている教科書だということは知らなかった。
 なお、発行所の中等学校教科書株式会社は、戦中の一九四二年に設立。戦後の一九五〇年に中教出版株式会社と改称したが、その後、二〇〇四年前後に倒産したという。

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