礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本国民なら誰でも国語を知つてゐる

2021-07-11 03:16:56 | コラムと名言

◎日本国民なら誰でも国語を知つてゐる

 国定教科書『中等文法 一』(一九四四年一月翻刻発行)から、「一 国語」の章を紹介している。本日は、その二回目。

〕 自分の思つてゐること、感じてゐることを人に知らせようとする時、私どもはどうするか。皇軍の兵士に救はれた人たちは、その感謝の心を表すためにどうしたか。頭をさげることや、顔つきによつても、感謝の念を勇士に伝へることができたであらう。しかし、「ありがたうございました。」といふ言葉を用ひることによつて、その感謝の心を、一層はつきりと、勇士に伝へることができたに違ひない。
 自分の考へを伝へることは、信号や絵画などによつてもできる。しかし言葉ほど、複雑な内容を、正確にしかも簡単に表すことのできるものはないのである。信号は音や色や光などを用ひ、絵画は線や点や色を用ひる。それでは言葉は何を用ひるのであらう。
〕 言葉に用ひる音声は、その場で消え去つてしまふ。そこで、言葉を後までも残し、また遠くまで伝へようとするために考へ出されたのが、文字である。文字のお蔭で、「海行かば」のやうな大昔の祖先の言葉も、今に伝はつてゐるのであり、また遠く離れてゐる人にも、手紙などで、自分の考へを伝へることができるのである。
〕 日本国民なら、誰でも国語を知つてゐる。見ず知らずの人でも、国語で話し合ふことができる。皇軍の兵士とダバオの日本人とは、まだ一ぺんも会つたことがなかつたに違ひない。それでも、勇士は直ちにその安否を尋【たづ】ね、ダバオの日本人はそれに答へることができたのである。
 私どもは、この言葉を、一体いつ、誰から習つたのであらう。幼い時から、周囲の人々の用ひる言葉を聞いて、自然に覚えて来たのである。しかし、この自然に覚えた言葉をそのまゝ用ひたのでは、人に笑はれたり、誤解されたり、通じなかつたりすることがある。特に、よその土地へ行つた場合などがさうで、これは、土地土地で多少言葉が違ふためである。そこで、日本全国どこにでも通ずるやうな言葉を知らなければないことになる。かういふ言葉を、私どもは主として学校で習つて覚える。改つた場所で話をする時、或は違つた土地の人に向かつて話をする時には、この学校で習つた言葉を用ひる。これを口語といふ。文字で文章を書く時にも、普通、口語を用ひる。この口語に対して、文語といふものがある。文語は文字で書く時だけに用ひる特別の言葉である。
〕 言葉を用ひる時、相手が先生とか親とかいふ目上の人である場合は、相手を尊敬する気持を言葉の上に表す。即ち、敬語を用ひる。相手に関することには尊敬を含めた語を、自分のことについては謙遜した語を用ひ、その上、全体に丁寧な言ひ方を用ひるのである。 
 問題1 次の言ひ方の違ひを考へよ。
   (甲)ありがたうございました。
   (乙)ありがたう。
   (甲)日本人は、みんな無事ですか。どこにゐますか。
   (乙)日本人は、みんな無事か。どこにゐるか。
   (甲)あなたは、どちらにお出かけでございますか。
   (乙)君はどこへ行くのか。
 問題2 国民学校初等科国語七「敬語の使ひ方」に書いてあつたことを思ひ出してみよ。 
〕 自分の考へを音声や文字で言ひ表す時には、簡単に言ひ終ることもあるが、長々と言葉を続けることもある。殊に講演や書き物では、随分長く言葉が続く。しかし、この場合、その間に少しも切れ目を置かずに続けるといふことはなく、ところどころ切つては、また続けるのである。少しまとまつた考へを述べ終つたところでは、必ず言葉が切れる。話をする時はそこで息を切り、文字で書くときにはそこに「。」をつける。かういふ切れ目から切れ目までの一続きの言葉を文といふ。皇軍の勇士がダバオの邦人のことを心配して尋ねた。
  日本人は、みんな無事ですか。どこにゐますか。
という言葉は、二つの文から成り立つてゐる。
 問題3 ダバオの邦人の答へは幾つの文か。
 問題4 文とは何か。                         【以下、次回】

*このブログの人気記事 2021・7・11(9位になぜか『陰謀のセオリー』)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする