礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

萬葉集の名そのものが立派な漢語である

2021-07-18 05:35:28 | コラムと名言

◎萬葉集の名そのものが立派な漢語である

 橋本進吉のエッセイ「萬葉集は支那人が書いたか」(初出、一九三七)を紹介している。本日は、その二回目。

 萬葉集は歌集であって国文学書である。漢文ではなく国文で書かれてゐると普通に考へられてゐるやうである。しかし、右に述べたやうに、漢文が正式な文として一般に用ゐられ、文といへば漢文と解せられたらうと思はれる時代に編まれた萬葉集が、歌集であるが故に、独り漢文の勢力を免れ得たであらうか。
 なるほど萬葉集の歌は漢文ではない。一字一音の仮名で書かれたものはもとより、「雖言う【イヘド】」「思者【オモヘバ】」「金風【アキカゼ】」の如く、箇々の語句に於て漢語又は漢文式の記法を用ゐたものでも、一首としては漢文でない。しかしながら、歌以外の部分はすべて漢文である。まづ萬葉集の名そのものが既に立派な漢語である事は、近来殆ど定説になつたといつてよからうし、雑〈ゾウ〉、譬喩〈ヒユ〉、挽歌〈バンカ〉の如き歌の部類の名も漢文に用ゐる語であり、とかく疑問のあった相聞〈ソウモン〉の語も亦支那に用例がある事山田孝雄〈ヨシオ〉氏の研究によつて明かになった。歌の題詞や左註もすベて漢文である。集中に収めた歌や時の序や書翰などが漢文である事はいふまでもない。これ等は皆支那人にもわかる語であり文である。その中の地名人名神名其他の固有名詞と我国にのみ存する事物の名とは支那の文には見えないが、これは当然のことで、たとひ支那人が書いたとしても、同様な結果になる事は疑ない。歌の部分が漢文でないのは、歌である為であつて、歌としては単に意味のみならず、形も大切であつて、国語をそのまゝに写すべき必要があるからである。概していへば、萬葉集は漢文の題目や序や左註の間に日本語の歌が挿まれてゐるのである。それ故、唯漫然、萬葉集は国文で書いたものであると考へるならば、それは少くとも不正確であつて、一方から見れば、萬葉集は漢文で書かれてゐるといふ事も出来るのである。勿論萬葉集は歌集である。歌はその眼目であり生命である。題目や序や左註は歌あつてはじめて意義があるのである。分量から見ても、歌は全巻の大部分を占めてゐる。しかしながら、もし題目や序や左註が無いとしたならば、歌の作者や作られた時や、当時の事情などがわからず、歌を理解し味読するに困難を生ずる事があるばかりでなく、萬葉集そのものが、書として体裁を成さなくなるであらう。かやうな部分が支那の文たる漢文で書かれてをり、唯歌の本文のみが日本風に書かれてゐるのである。それ故、仮に支那人が 日本の歌集を編したとしても、やはりかやうな体裁のものになり得べきわけである。かやうに考へて来れば、萬葉集は支那人の著かといふ質問も誠に尤〈モットモ〉であつて、萬葉集の漢文性について我々の注意をうながすべき有意義なる質問であるといふ事が出来る。
 しかしながら、もし我々が我々の考察をこゝで止めたならば、我々はこの質問をして十分に効力を発揮せしめたものとはいはれない。我々は更に一歩を進めて、もし支那人が萬葉集の如き日本歌集を編したならば、歌をばどう書いたらうと考へて見るべきである。
 単に歌の意味だけを示すならば之を漢訳すればよい。さすればそれは純然たる漢文となる。しかしそれでは原歌の形は全く失はれてしまふ。歌には形が大切である。それでは歌の形をそのまゝに示さうとする場合には、どんな方法を取つたであらうか。
 歌は勿論日本語である。日本語は支那語に対しては外国語である。かやうな外国語の歌を萬葉集の如く漢文の中に置くには支那人は如何なる方法を以てしたであらうか。これは、漢訳仏典中の梵語の例を見ればほゞ推察する事が出来る。【以下、次回】

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コメント (3)
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