礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

支那の文字で外国語の音をあらわすのは難しい

2024-11-18 00:01:09 | コラムと名言
◎支那の文字で外国語の音をあらわすのは難しい

 松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その二回目。

 そこでこれから、外国の言葉を支那ではどういふ風に写してゐたかといふことを少し申上げたいと思ひます。外国語をそのまゝ伝へるには、それに似寄つた音字を当てるといふのが極めて自然であります。ところが支那には音韻の文字はない、象形の文字であります。だからそこに色々の不便が生ずる。今のローマ字のやうに外国語の音を正確に現はすことが難しい。又仮令〈タトイ〉それが出来るとしても、一音毎〈ゴト〉に一字を当てなければならないから非常に長くなる嫌がある。短い言葉は一音で現はすことも出来るが、少し長い綴の言葉になると、一語音を写すに、支那の五字も六字も、甚だしきに至つては九字も十字も使はねばならないことがある。支那の文章は総べて簡潔を尊ぶのでありますが、長たらしい文句を使つてゐては洵に〈マコトニ〉不便であります。又短い言葉で一字を以て写し出されるものにあつては、それが一体音を現はした字であるのか、義を現はした字であるのか甚だ曖昧なことが生じて来ます。支那の文字を以て外国語を音訳するには、かういふ諸種の不便がある。けれども新訳家、即ち唐時代玄奘〈ゲンジョウ〉以後の飜訳家は、不便であるに拘らず成るべく正しい音を支那に伝へようと考へたのであります。で長くなつても、字音を出来るだけ精密に現はさうと努めました。ところが旧訳家、即ち玄奘以前の飜訳家は此点に於て大いに相違します。旧訳家は余り長たらしく、解らない意味の文字ばかりが続くことを好まず、又其曖眛を避けるため余程軽便主義を採つてゐます。で先づ第一には新しい文字を作るのである。支那にこれまでに無い文字を作つて之を現はすといふことをやつた。然らば其文字を作るのはどういふ風にしたかといふと、之にも色々あります。が一つの方法は先づ音を写す、例へば二字を以て音を写すとすれば、此二字を一字に合してしまふのである。これは随分無理な作り方のやうですが、実際には頗る便利な方法であります。近頃日本でもキログラムといふ字を瓦扁に千の字を書き、千瓦の二字を一字にし瓩として使つてゐますが、支那に於てもこれと同様でありました。しかし最も多いのは、音の近い字を借り原語の音を写して、それに支那の六書〈リクショ〉の内の諧声とか形声といふやうな字の構造法に依つてそのものの性質を現はすところの扁をつけるのである。かうして一つの新しい支那文字が造られるのである。これが最も普通に行はれた方法であつたやうであります。それから第三に、これは新字を作るのではないが、原語の音を写した字が段々時代の経過に伴つて其形を変化して来る。云はゞ俗字が出来るのであります。而もこの俗字が後世では寧ろそのものを現はす正しい文字のやうになつてしまふのであります。この俗字は新たに作つた文字ではないが、新字であることは前と同様であり、後世の辞書には何れも之を挙げてをります。更に新訳家の採る処は主として音写であるから、文字の形は支那旧来のと少しも変化はないが、其意味に於ては,従来それによつて表はされた所とは全然異なつたものとなり、新しい意義が新たに加はることゝなる。さういふやうに色々新しい字形又は字義が出来て来る場合があるのであります。今次にこれらの二三の例をお話してみようと思ふのであります。〈232~234ページ〉【以下、次回】

 六書(りくしょ)とは、漢字の構成法に関する六種の原則をいう。象形・指事・会意・形声・転注・仮借(かしゃ)の六つ。形声は、諧声とも言う。

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