◎しね(稲)は、粳の方言「秈」と関わるか(山中襄太)
本年6月末に、山中襄太の『国語語源辞典』(校倉書房、1976)を入手した。これは実に興味深い辞典であって、そのうちのいくつかの項目については、すでに当ブログで紹介をおこなった。
その後も、折を見て、同辞典の拾い読みをおこなっている。
数日前は、「しね【稲】」という項目を読み、知的刺激を受けた。本日は、この項目を紹介してみよう。
しね【稲】 大言海――天爾波〈てには〉ノしニいねノ約マリ〈つづまり〉タルガ附キタル語カ。いね(稲)ニ同ジ。熟語ニノミ用ヰル。顕宗〈ケンゾウ〉即位前紀「十握稲(トツカしね)」,神楽歌篠波〈サザナミ〉「見之禰(ミしね)舂ク〈つく〉女」,大忌祭祝詞「和稲(ニギしね)荒稲(アラしね) 」,「陸(ヲカ)しね」,「粳(ウル)しね」,「鶴しね」。[考]複合語にだけ使われて,単独には使われない点からみると,大言海説がもっともらしいが,しかしごく古くは単独にも用いられた,独立した一語であったとも考えられる。古語は複合語の中に生き残る例は多いから。また稲を意味する漢字の,秈,秦などがsinの音であることや,戸上駒之助〈トガミ・コマノスケ〉氏の次の説など参考――日露戦争中,奉天城外の古寺で発見された古文書(漢文)を,浜名寛祐〈ハマナ・カンユウ〉氏が苦心の末訓読されたが,それによるとシナカキの語は「稲華神洲」を意味する。シナは稲華で,カは物主格語尾,キは「国。この稲華神洲(シナカキ)の名によって,バビロニアは太古から稲で有名だったことがわかる。バピロニアの米は,歴史が甚だ古い(Cambridge An-cient History)。その米が民族の東遷と共に朝鮮や日本に入ったものと思う。加藤〔茂苞〕農学博士の説によれば,現に華北や朝鮮,日本の米は南方系ではないという。紀元前2,300年頃は,バビロニアは宸檀珂枳(シナカキ)と呼ばれて,シナ(sinar) の原義は稲華(シナ)であることが,前記の古文書でわかる。西アジア民族の東遷にともなって,そこの米が日本に伝わるのは自然で,稲の系統がそれを示している,云々と(「日本の民族」PP.287~8)。松本信広氏の「東亜民族文化論攷」(PP.632~46)に,イネ・シネ・ウルと題する詳論あり。その大要に―― Karlgren氏は,イネは古事記にシネと使われているから,おそらくシネが簡約されてイネとなったのだろうといい,シネを稲の一種である秈(中国古音sian,北京音sien) からきたものと論じている。また松村任三〈ジンゾウ〉氏も,これよりさきに,同意見を発表されている(「溯源語彙」P.195)。唐の玄応〈ゲンノウ〉の一切経音義〈イッサイキョウオンギ〉48に「江南呼粳為秈」とあり,また,唐の慧琳〈エリン〉の一切経音義48に「江南粳為秈,杣音仙,方言也」とある。してみると,秈とは,江南地方で,唐の頃,粳〈ウルチ〉をさす方言だったのである。辞源の粳の条に「米之黏者,早熟曰秈晩熟曰粳,本作秔」とある。この秈という語に関連ありそうな南方語には,次のようなのがある。すなわち,アシ語shin,アッチャング語t'sen,マル語chin,ラシ語 chen,ポン語se-si,ビルマ語s'anなどである,云々といっている。
この辞書の特長は、戸上駒之助、浜名寛祐といった、アカデミズムからほとんど顧みられない研究者の所説を紹介しているところである。その一方で、加藤茂苞(しげもと)、松本信広、松村任三といった碩学の所説も、文献名、ページ数を付して紹介している。
松村任三(まつむら・じんぞう、1856~1928)は、植物学者で、東京帝国大学植物学教室の主任教授時代に、牧野富太郎を助手に採用したことで知られている。NHK連続テレビ小説『らんまん』(2023)に、「徳永政市」の名前で登場していた。松村には、多数の著書があるが、1921年(大正10)には、『溯源語彙』という語源研究書を自費出版している。近年において、この奇書に注目したのは、山中襄太ぐらいのものだったと思う。
本年6月末に、山中襄太の『国語語源辞典』(校倉書房、1976)を入手した。これは実に興味深い辞典であって、そのうちのいくつかの項目については、すでに当ブログで紹介をおこなった。
その後も、折を見て、同辞典の拾い読みをおこなっている。
数日前は、「しね【稲】」という項目を読み、知的刺激を受けた。本日は、この項目を紹介してみよう。
しね【稲】 大言海――天爾波〈てには〉ノしニいねノ約マリ〈つづまり〉タルガ附キタル語カ。いね(稲)ニ同ジ。熟語ニノミ用ヰル。顕宗〈ケンゾウ〉即位前紀「十握稲(トツカしね)」,神楽歌篠波〈サザナミ〉「見之禰(ミしね)舂ク〈つく〉女」,大忌祭祝詞「和稲(ニギしね)荒稲(アラしね) 」,「陸(ヲカ)しね」,「粳(ウル)しね」,「鶴しね」。[考]複合語にだけ使われて,単独には使われない点からみると,大言海説がもっともらしいが,しかしごく古くは単独にも用いられた,独立した一語であったとも考えられる。古語は複合語の中に生き残る例は多いから。また稲を意味する漢字の,秈,秦などがsinの音であることや,戸上駒之助〈トガミ・コマノスケ〉氏の次の説など参考――日露戦争中,奉天城外の古寺で発見された古文書(漢文)を,浜名寛祐〈ハマナ・カンユウ〉氏が苦心の末訓読されたが,それによるとシナカキの語は「稲華神洲」を意味する。シナは稲華で,カは物主格語尾,キは「国。この稲華神洲(シナカキ)の名によって,バビロニアは太古から稲で有名だったことがわかる。バピロニアの米は,歴史が甚だ古い(Cambridge An-cient History)。その米が民族の東遷と共に朝鮮や日本に入ったものと思う。加藤〔茂苞〕農学博士の説によれば,現に華北や朝鮮,日本の米は南方系ではないという。紀元前2,300年頃は,バビロニアは宸檀珂枳(シナカキ)と呼ばれて,シナ(sinar) の原義は稲華(シナ)であることが,前記の古文書でわかる。西アジア民族の東遷にともなって,そこの米が日本に伝わるのは自然で,稲の系統がそれを示している,云々と(「日本の民族」PP.287~8)。松本信広氏の「東亜民族文化論攷」(PP.632~46)に,イネ・シネ・ウルと題する詳論あり。その大要に―― Karlgren氏は,イネは古事記にシネと使われているから,おそらくシネが簡約されてイネとなったのだろうといい,シネを稲の一種である秈(中国古音sian,北京音sien) からきたものと論じている。また松村任三〈ジンゾウ〉氏も,これよりさきに,同意見を発表されている(「溯源語彙」P.195)。唐の玄応〈ゲンノウ〉の一切経音義〈イッサイキョウオンギ〉48に「江南呼粳為秈」とあり,また,唐の慧琳〈エリン〉の一切経音義48に「江南粳為秈,杣音仙,方言也」とある。してみると,秈とは,江南地方で,唐の頃,粳〈ウルチ〉をさす方言だったのである。辞源の粳の条に「米之黏者,早熟曰秈晩熟曰粳,本作秔」とある。この秈という語に関連ありそうな南方語には,次のようなのがある。すなわち,アシ語shin,アッチャング語t'sen,マル語chin,ラシ語 chen,ポン語se-si,ビルマ語s'anなどである,云々といっている。
この辞書の特長は、戸上駒之助、浜名寛祐といった、アカデミズムからほとんど顧みられない研究者の所説を紹介しているところである。その一方で、加藤茂苞(しげもと)、松本信広、松村任三といった碩学の所説も、文献名、ページ数を付して紹介している。
松村任三(まつむら・じんぞう、1856~1928)は、植物学者で、東京帝国大学植物学教室の主任教授時代に、牧野富太郎を助手に採用したことで知られている。NHK連続テレビ小説『らんまん』(2023)に、「徳永政市」の名前で登場していた。松村には、多数の著書があるが、1921年(大正10)には、『溯源語彙』という語源研究書を自費出版している。近年において、この奇書に注目したのは、山中襄太ぐらいのものだったと思う。
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