礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「独」は、犬(dog)の単独性を意味する

2024-11-13 00:09:00 | コラムと名言
◎「独」は、犬(dog)の単独性を意味する

 山中襄太『国語語源辞典』(校倉書房、1976)から、「序論」を紹介している。本日は、その七回目。第24項から第26項までは割愛し、第27項を紹介する。文中の〔 〕内の注は、著者によるもので、【 】内の注は、引用者によるものである。

24.わたしの語源研究の二つの態度 【略】 〈8~14ページ〉
25.語根から統一的・関連的に語源説明 【略】 〈8~14ページ〉
26.ケモノの名の統一的語源説明 【略】 〈24~25ページ〉

27.犬(dog)は「独」,羊は「群」
 次にdogについては,H.C.Wyldは“etymology unknown”といい,E.Kleinは“of uncertain origin”といってサジを投げているが,これもアジアにまで視野を拡げて考えれば,いちおうの説明がつくのではなかろうか。それは漢字の独(ドク)に者眼することである。「独」の字【正字は獨】は,単独,孤独,ヒトリボッチの意にいまはもっぱら使われてはいるが,もとは「犬の単独性,孤独性」を意味した字なのである。「羊」はつねに「群」をなして「孤独」生活はしない。だから「群」という字は「羊」という字からできている。「犬」は「単独,孤独」生活をするから,犬を意味する独(ドク)の字が,ヒトリボッチを意味するのである。漢字のでき方を説明した中国の辞典「説文解字」(後漢の許慎著)に「犬相得而闘,从犬蜀声,羊為群,犬為独也」〔犬相得て闘(タタ)かう,犬に从(シタガ)い蜀の声(犬ヘンで蜀は発音を示す),羊は群を為(ナ)す,犬は独(単独)を為す也〕と説明してあるのをみても,そのことがわかるのである。この独(ドク)と英語のdogとを比較してみたならば,その間に一脈相通じるものがあるらしいことは,だれでも感じるであろう。感じはしても,関連があると断言することはできない。しかし関連はないと断言することもできない。これは今後の調査研究にゆだねられた問題である。わたしがたえず「ミッシング・リンクを求めて」(月刊「日本語」通巻23号,1974年2月号,拙文)いるのは,こういう種類の語の語源を明らかにしたいという,畢生〈イッセイ〉の念願を達成したいとの,はかない努力にすぎないのである。それはまことに徒労に終るかも知れない,はかない努力である。「道開こうとはかない努力――砂金集めて砂集め」(月刊「日本語」1973年2・3月合併号,拙文)に過ぎないのである。
 西洋の,たとえば英語の語源辞典などは,同一語根の原義をとらえて,それによって総合的,統一的,全体的に語源説明をするという点に欠けて,孤立的,分立的,恣意的,不統一的な説明に堕し,けっきょく不得要領な,アイマイな説明に終っている傾向がないでもない。それは上記のケモノを意味するkvt-のほかに,少し例をあげてみる。〈25~26ページ〉【以下、次回】

 山中は、文中で、「ミッシング・リンクを求めて」という自分の論文に言及しているが、当ブログでは、三年前に、「雑誌『言語』に掲載された山中襄太論文」という記事で、この論文を紹介したことがある(2021・11・11)。

※だいぶ冷えこんできたが、わが家に自生しているアサガオ二種は、今日も花を咲かせていた。葉がハート形で青い花が咲くほうは、二輪が咲き、葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、一輪のみが咲いていた。おそらく数日後には、見られなくなろう。

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