◎昭和天皇と鈴木たか
昨日は、『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、正宗白鳥の「天皇制下・三代に生く」という文章を紹介した。
『特集文藝春秋 天皇白書』は、三十年以上前に入手した本だが、今回、読み直してみて、改めて貴重な史料だと思った。鈴木貫太郎(一八六八~一九四八)の回想記と、その妻・鈴木たか(一八八三~一九七一)の回想記が、併載されているのも珍しい。
本日は、鈴木たかの回想記「天皇・運命の誕生」から、その一部を紹介してみたい。ここで「天皇」とは、もちろん、昭和天皇のことである。鈴木たかは、幼少時の昭和天皇の教育係を務めたことがあった。なお、鈴木たかは、この回想記では「鈴木孝」と署名している。
天 皇・運 命 の 誕 生 鈴 木 孝【すずき たか】
明治大帝の皇孫として誕生した今上陛下迪宮に女官として幼年期から十五
まで十一年間仕えた鈴木貫太郎未亡人が宮中秘録を始めて発表す!
明治大帝と陛下【略】
肺炎と据風呂 【略】
日露戦争と陛下【略】
幼稚園時代の天皇と皇后
ちようどそのころ華族女学校の幼稚園がございまして、あそこに野口幽香子さんという先生がおいでになりました。この方が幼稚園の方の主任でございまして、よく幼稚園へお遊びにおいでになつたんでございます。その幼稚園に今の皇后さま〔淳香皇后〕と皇后さまのお妹御〈オイモウトゴ〉さま〔久邇宮信子女王〕がおいでになりまして、お昼食を頂く時は、こちら側には迪宮〈ミチノミヤ〉さま〔昭和天皇〕と淳宮〈アツノミヤ〉さま〔秩父宮雍仁親王〕、あちら側には今の皇后さまとお妹御さま、というように並んで弁当を召し上がる。お上〔昭和天皇〕の方はニコニコ笑つてごらんになりますが、淳宮さまの方はちよつと行つておいたをされる。お二方はニコリニコリ遊ばしておいでになりましたがその時分幽香さんが「このお二方は将来御縁組でも出来そうに思える」ということを言つておいでになりました。まだ幼稚園にいらしつた時ですから、われわれはそんなことがあるかしらんと思いましたが、のちになると皇后さまにおなりになりまして、お幽香さんあたりには一種の霊感があつたんでございましよう。
これはそれより後のお話ですが、秩父さんが長い間お上と御一緒においでになつて後、秩父宮御殿へお移りになつた時に、引越しソバ券をお上にお見せになられて、「これわかりますか」とおつしやられた。お上がおわかりにならないので秩父さんはとても御得意になられました。私どもの社会では兄貴をやつつけたということになるわけなのでしよう。高松さん〔高松宮宣仁親王〕は別の御殿におやすみになりましたが、お上と秩父さんは一つ部屋に一緒におやすみになり、ずつと御一緒でした。そのくせおけんか〔お喧嘩〕つていうことを遊ばしたことはございませんでしたね。
たいがい一つ違いのお子さん同士ですとけんかをするものですが、よくあんなに仲良く遊ばしておいでになると思うくらいでございました。お上が東宮さま〔皇太子〕になつてお別れになるまで御一緒でしたので一番お親しゆうございましたがら、それだけに秩父さんがお亡くなり遊ばした時はお上はお力を落されました。秩父さんは病気で寝ていらつしやつても、外国の本を読んでいらつしやつて、何かの時に、こういうこともあると、外交上のことについてもいちいちお話をなさつていられたようです。
御一緒に居られた頃、お上は迪宮ですから「みちのみや」を一緒にして御自分のことを「みちま、みちま」とおつしやつて、秩父さんは「おにいさま、おにいさま」とおつしやつていました。秩父さんは御自分のことを「あつのみや」ですから「あつや、あつや」とおつしやつていました。【以下、次回】
「引越しソバ券」は、今日、完全に死語である。かつて、引越しの挨拶に、近隣の家に蕎麦を配る風習があったという。蕎麦を配る代りに、蕎麦屋が発行した「ソバ引き換え券」を渡した時期もあった(これで、出前が頼める)。この券を、「ソバ券」あるいは「引越しソバ券」と呼んだ。
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