礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決文を読んだ

2018-10-28 04:24:55 | コラムと名言

◎「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決文を読んだ

 今月二四日、東京高等裁判所において、「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決が言い渡された。原告側の敗訴であった。
 この判決について、翌二五日の東京新聞朝刊は、次のように報じた。

横浜事件/二審も遺族側敗訴/国賠法施行前の責任否定

 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、特高警察による拷問を受けたとして、中央公論編集者だった故木村亨さんら元被告二人=再審で免訴確定=の遺族が国家賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は二十四日、遺族側の控訴を棄却した。一九四七年の国家賠償法施行より前の公務員の違法行為に、国は賠償責任を負わないとして請求を棄却した一審判決を支持した。
 判決によると、二人は四三年、共産党の再建を図ったとの疑いで神奈川県の特高警察に身柄を拘束され、激しい拷問を受けた。四五年に治安維持法違反で有罪となり、その後、裁判記録は焼却された。二〇〇五年に再審開始が確定し、治安維持法の廃止を理由に有罪、無罪の判断をせずに審理を打ち切る免訴判決が確定した。
 一六年六月の一審判決は、違法な拷問による自白に基づき有罪となり、裁判記録は「判決言い渡し後に裁判所職員が関与して廃棄されたと推認できる」と判断。しかし、当時は国が賠償を負うべき法令上の根拠はなかったと結論付けた。
 高裁の野山宏裁判長は、現在の最高裁に当たる大審院が国家賠償法施行前の四一年と四三年に出した判決を国が責任を負わない根拠とした。【以下、略】

 上記記事で、「元被告二人=再審で免訴確定=の遺族」とあるのは、木村まきさん、および平館道子さんのおふたり(=控訴人)のことである。
 判決の当日、虎ノ門のビルで、「横浜事件」国賠を支える会が開いた報告集会に参加した。山本志都弁護士の話によると、判決文のなかに、ポツダム宣言受諾後における法曹界の状況に触れた「なお書き」があるとのことであった。
 翌二五日、「横浜事件」国賠を支える会の事務局の方から、二四日の判決のコピーを送っていただいた。
 一読してみたところ、東京高等裁判所の野山宏裁判長らは、判決文の中で、実に奇妙なことを言っている。判決当日に、山本弁護士が言及していた「なお書き」の部分である。
 この「奇妙な」というのは、言い換えれば、「わざわざ言わなくてもよかったような」ということであり、もっとハッキリ言えば、「裁判所としては、言わないほうがよかったのではないかと思われるような」ということである。
 当該の「なお書き」は、判決文の八ページから九ページにかけてのところにあり、これは、東京高裁が東京地裁の原判決を補正した部分の一部にあたる。判決文七ページの途中から、引用してみよう。

第3 当裁判所の判断
 1 当裁判所も、第1審原告らの請求はいずれも理由がないと判断する。その理由は,下記2のとおり原判決を補正し,下記3,4のとおり付け加えるほかは,原判決「事実及び理由」中の第4記載のとおりであるから,これを引用する。
 2 原判決の補正
  33頁15行目から34頁23行目までを,次のとおり改める。
「オ エまでに認定した警察官による拷問及び自白の強要,留置の継続,公訴提起,予審及び公判の裁判,本件確定判決に係る訴訟記録の廃棄の各行為は,国家陪償法施行後に行われたとすれば,公権力の行使に当たる公務員が職務を行うについての違法行為に当たるか,少なくともその可能性の高い行為である。しかしなから,前記各行為は,国家賠償法施行日(昭和22年10月27日)よりも前の行為であるから,国家賠償法附則6項の規定(この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。)が適用される。同法附則6項の規定によれば,同法に規定する行為に基づく損害に対する法律関係については,同法施行直前の法律制度をそのまま凍結した状態で適用することになる。同法施行直前の法律制度は,前記各行為のような統治権に基づく権力的行動に関しては,国は賠償責任を負わないというものであった。そうすると,前記各行為により国が賠償貴任を負うことはないから,この点に関する第1審原告らの請求は理由がない。
 なお,第1審原告は,ポツダム宣言受諾後に担当の検察官,予審判事及び裁判官が治安維持法を適用したことを違法と主張する。しかしながら,ポツダム宣言受諾後も,昭和21年に日本国憲法の各種草案やこれに対する進駐軍(GHQ)の意見が明らかになるまでは,ポツダム宣言第10項(日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障礙ヲ除去スヘシ。言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ。)がどのように具体化されるかは,予想できなかったというべきである。そして,進駐軍の中核を構成するアメリカ合衆国においては,当時においても共産主義に対する抑圧的な政策がとられており,共産主義抑制策が多少は残ると考えることも,昭和20年9月の時期においては全く根拠を欠くとはいえなかった。昭和20年8月や9月は,日本国憲法施行前の時期であることはもちろん,日本国憲法草案の議論が始まる前の時期であって,占領政策が具体的にどのように展開されるのか,当時の日本人には全く予測がつかなかった時期である。言うまでもなく,治安維持法に関しては,昭和20年10月15日に全廃されたから,その後にこれを適用すれば違法なことは明らかである。しかしながら,当時は激動の時代であって,全廃の1か月前である昭和20年9月の時点においては,治安維持法が今後どのように改廃されるかが予想できなかったとしても,やむを得ないところである。昭和20年9月の時点における担当の検察官,予審判事及び裁判官による治安維持法の適用が,ポツダム宣言受諾後であるとの一事をもって違法になると断定するには無理がある。なお,ポツダム宣言受諾の前後を問わず,警察官による拷問及び自白の強要,留置の継続が違法であることは,もちろんである。」

 どう考えても奇妙である。そう思った理由については次回。

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