◎柳田國男『笑の本願』再版(1947)の正誤表をめぐって
岩波文庫『不幸なる芸術・笑の本願』(一九七九)は、『定本 柳田國男集(第七巻)』を定本とし、『笑の本願』(養徳社、一九四六)および『不幸なる芸術』(筑摩書房、一九五三)の第一刷を参考にしているという。
ところが、これらのうち『笑の本願』(養徳社、一九四六)だけは、国立国会図書館にも蔵本がない。たまたま、先日、この養徳社版(一九四七年二月再版)を手にする機会があった。終戦直後に刊行されたものであるから、造本も用紙も粗末だが、装丁は意外に垢抜けているという印象を持った。
驚いたのは、この「再版」に正誤表が付されていたことである。これによって岩波文庫版『不幸なる芸術・笑の本願』の本文をチェックしてみると、正誤表に従っているところがほとんどだが、一部、これに従っていないところもある。ことによると岩波文庫版は、本文校訂の際、この正誤表を参照しなかったのではないか、などと考えた。
以下、参考までに、その正誤表を紹介していこう。【 】は原ルビを示す。
笑の本願 正誤表
頁 行 誤 正
8 3 昭和十年 昭和二十年
22 10 瓢 飄
33 6 泪羅 汨羅
36 9 々の 我の
37 4 尚一層愚かなるが故に、 尚、一層愚かなが故に
50 9 亦別筆法を 亦別の筆法を
58 6 來やう 來よう
61 5 愼ほり 憤ほり
72 7 解しられ 解せられ
80 3 昭和九年 (昭和九年
85 12 (かゞいも) (カガイモ)
110 8 居るやう 居る様に
116 9 海南小記 「海南小記」
116 11 判官を 判官と
119 5 あんたゞ あんただ
127 12 茶呑娑 茶呑婆
128 1 若干は 若干が
128 11 越知谷 越知谷【をちだに】
144 10 滑稽 表現
155 5 居やう 居よう
175 6 御清盛り 御清盛【おきよも】り
177 6 知り度い 知りたい
180 11 ヱクボ ヱガホ
これらの訂正について、すべてチェックしたわけではないが、たとえば、次のような点が気になった。
A 原本三七ページ四行目「笑の文学の起源」における訂正は、岩波文庫版では反映されていない(文庫、二七ページ)。
B 原本一一六ページ一一行目「吉友会記事」における訂正も、岩波文庫版では反映されていない(文庫、七六ページ)。Aの訂正の当否はともかくとして、この箇所に関しては、「判官と」に訂正すべきだと思うがどんなものだろうか。
C 原本一二八ページ一行目「吉友会記事」における訂正もまた、岩波文庫版では反映されていない(文庫、八三ページ)。この訂正の当否は微妙だが、やはり「若干が」のほうがよいのではないだろうか。
D 原本一四四ページ一〇行目における訂正は、岩波文庫版では反映されているが、これはもとの「その皮肉なる滑稽に喝采して」でも問題なく、むしろもとのほうがよかったのではないか。
岩波文庫版の校訂者は、やはり、この正誤表の存在を知っていなかったような気がする。ただし、校訂者が正誤表の存在を知りながらも、なおかつ、これに左右されずに校訂をおこなったという可能性も否定できない。また、柳田國男が、その生前、正誤表を再度、訂正したということもありうるだろう。
この正誤表については、もう一点、指摘しておくべきことがある。それは、ここにおける訂正には、誤植の訂正も含まれているが、その大半は、原文そのものの改訂だということである。上にあげたA~Dは、すべてそれである。
既発表の文章を集めて刊行するとき、文章をいじるということはありうるだろう。しかし、それは、編集の段階、校正の段階でおこなうべきことであって、すでに刊行された本について(しかも再版のあとになって)、正誤表によって文章をいじるというのはどうなのだろうか。読者に対しても、また出版社に対しても、非礼というべきなのではないか。
なお、この問題に関して、当ブログのコラム「柳田國男と岡茂雄(岡茂雄『本屋風情』より)」(昨年一〇月五日)、「柳田國男『なぞとことわざ』の正誤表をめぐって」(昨年一〇月六日)を併読いただければさいわいである。
今日のクイズ 2013・1・29
◎「汨羅」の読みとして正しいのは、次のうちどれでしょう。
1 べきら 2 いつら 3 にちら
【昨日のクイズの正解】 1 由利徹 ■由利徹が、「カックン」という言葉を使い始めたのが、いつからだったかは不明だが、1959年公開の新東宝映画『カックン超特急』(主演・由利徹)と、その主題歌「カックンルンバ」(唄・由利徹)によって、この年、「カックン」が流行語になったことだけは間違いない。「カックン」の意味は、インターネットを調べてもよくわからなかったが、調子がよかったものが急に頓挫したような場合に、使われていたように記憶する。
今日の名言 2013・1・29
◎小三などは顔を見たゞけで、話を聴かぬうちからもうをかしかつた
柳田國男の言葉。『笑の本願』(養徳社、一九四六)所収「吉友会記事」に出てくる。ここでいう「小三」とは、落語家の三代目柳家小さんのことであろう。