◎東條氏は堂々と先方の処決を受けるべきである(朝比奈宗源)
昨日に引き続き、雑誌『光』の第一巻第一号(一九四五年一〇月)を紹介する。本日、紹介するのは、朝比奈宗源(あさひな・そうげん)のエッセイ「立処みな真なり」。これを二回に分けて紹介する。
朝比奈宗源は、臨済宗の学僧で、鎌倉・円覚寺の管主などを務めた(一八九一~一九七九)。
タイトルの「立処みな真なり」は、臨済宗の開祖・臨済義玄禅師のことば「随処に主となれば、立処みな真なり」から。「立処」は「りっしょ」と読む。
立 処 み な 真 な り 朝比奈 宗源
今我国は文字通り一大更生をせねばならぬ運命に逢著〈ホウチャク〉した。五・一五事件の頃から昭和維新は叫ばれて、或は明治維新の精神が検討され、或は神武創業への復古が論じられたりして、我国の現状にあきたらず何とかせねばならぬとは識者の等しく感じてゐたところであるが、まさかこんな条件下に、連合国の指示のまにまに我国家の改造、更生をなさねばならぬなどとは誰が考へたであらう。しかし冷厳な現実はいかんともしがたい。我国に許された唯一の更生の途は連合国の示す所以外にはないのだ。我国民の様子を見ると、或一部の者は我国の今次の敗戦によつて陥つた地位についての自覚がないかのやうである。今の処国内生活は米軍進駐等の他は、國體も政府も従前通り大した変化が見えぬためであらうが、我国は辛じて存在を許されてゐるにすぎない憐れな小国となり、世界国家群に伍せしめたら四流どころとなつたのだ。戦前世界の一等国を以て任じ、東亜の盟主を以て任じてゐた我国が一朝にしてかうなつたのだ。大陸はじめ国外にあつた同胞のみならず、我領土であつた朝鮮台湾樺太にあつた同胞までが生活の根拠を奪はれ住居を拒まれ、喪家の狗の如き哀れな姿で引上げつゝあるのだ。我国民はこのいたましい現実を凝視すべきである。
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秀吉の言葉として「過ぎ去つたことをくよくよするな、遠く将来を慮れ〈オモンバカレ〉」と云ふのがある。よい言葉である。人生の指針とするに足りる。人生は常に積極的であり建設的でなくてはならない。けれどもこの言葉を安価に受けとつて、過去はどうでもよい、只将来を考へたらよいなどと思つたら間違ひである。秀吉は少年時代から人生に稀な恵まれない運命にさいなまれ鍛へられた人である。その哲学は学統や文字によつて得たのでなく、冷厳な事実と経験とによつて得たのだ。人生に甘い考へなど持たうにも持てないものがあつたのだ。その彼が彼自らに云つたとも思へるこの言葉である。くよくよといつまでも過去に囚はれるなとは、過去の功罪の検討をゆるがせにしてよいと云ふのではない。充分に検討し究明してその真相を明らめ、しかる上はそれを基礎として将来を計り建設的であれと云ふのである。今の我が国民は思ひ切り大胆に、且つ十分に敗戦の原因の探求に向けるべきである。連合国が新形態への出発を急ぐからと云つて、この検討をよい加減にすべきではない。一億総懺悔と云ふ如きは我等臣民の立場として上御一人〈カミゴイチニン〉に対して、今次の大不忠を御詫び申上げる気持を表現するには適当かも知れないが、こんな漠然たる見方をしてゐたのでは毫も責任も原因も明かにされない。現に連合国の手によつて戦争責任は追及されつゝあるが、未だその範囲も明瞭でない。我等としての考へでは、戦争の責任はこの戦争を責任を以て開始した国家の軍事及政治の責任者にあつて他は極めて責任の薄いものだと思ふ。我国にあつては一度詔勅を以て聖旨の御決意を宣せられたならば、いかなる職域にあるものも之に従ひまつることが当然とされるからである。この聖旨の決定を奏請したものの責任は重大である。この点東條英機氏が連合国の召喚を前にして自殺せんとした如きは我等の解するに苦しむところだ。我等は当然その召喚に応じて法廷に立ち、当時の情勢を述べてその判断のよりどころを明かにし、聖断奏請の止むを得ざりし点と、飽まで〈アクマデ〉その責任の自己にあつたことを主張して、堂々と先方の処決を受けるべきであると期待してゐたのであつた。その東條氏にしてすらかくの如しとすれば、悲しいかな我国の当局者は責任の自覚なくしてこの無謀な戦〈タタカイ〉を始めたとしか思はれない。何と云ふ馬鹿げた事か、我等はこの当局の責任の自覚なき無責任こそ糾弾すべきであると思ふ。聖詔一たび出づれば之に絶対に信順し奉る我国民が宣戦の詔勅を拝して後、之に奮闘し之を支持したとて全く責任はない。あれだけ烈々たる闘志をもちながら終戦の詔書を拝すれば数百万の将士が直に〈タダチニ〉戈〈ホコ〉を収めて、最も屈辱とする武装解除にさへ従つたのを見ても、連合国側も諒解さるべきである。尚ほ戦時及終戦時に於ける我国民のある者達の不忠であり、不埒〈フラチ〉であり、同胞としてその事実を挙げるすら恥かしい行為があつたこと、そんな人が今も改心せずにゐはしまいかと思はれること、等々の十分責めたいことはあるがこゝには措いて、今後我等の如何にあるべきかについて少しく述べてみよう。【以下、次回】
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