◎論文紹介「日の丸・君が代裁判の現在によせて」
数日前、知人の桃井銀平さんから、当ブログに、「日の丸・君が代裁判の現在によせて(1)」と題する論文の投稿があった。憲法第19条の「思想・良心の自由」の問題などについて、非常に重要な問題が提起されているようなので、紹介してみたい。
論文は、A4で一八ページに及ぶ長文だが、このあとさらに、続きがあるという。
本日、紹介するのは、最初の四ページ分のみ。なお、次回の紹介は、明後日、あるいは、それ以降になるかと思う。
日の丸・君が代裁判の現在によせて(1) 2016.8
桃井銀平(元都立高校教師)
卒業式等における国歌斉唱時の不起立等で懲戒処分をされた東京都公立学校の教師達による第3次集団訴訟が最高裁に係属している(原告団による呼称は「東京「君が代」裁判第三次訴訟(07~09処分取消)」。この文章の執筆中に判決が行われた。)。これだけの原告数による同種の訴訟はこれが最後のものになるかもしれない。2011年から翌年にかけての一連の最高裁判決によってさしあたりの最高裁判所の判断枠組みは明瞭になった。それを前提として弁論を進めざるを得ないところもあるが、それでも主要な論点についてどれだけ有効な主張を新たに創り出すことができたかが問われている。同種の裁判はこれからも続くであろうし、現段階の到達点が最終決着であるとしたら、戦後日本の立憲主義は余りにも貧困なものだったことになってしまう。しかし、ジャーナリズムをはじめとして社会一般の関心・反応は相応の高まりを維持しているとは思えない。今回、上記訴訟の原告団が最高裁に提出した上告理由書等を目にすることが出来たので、いくつかの主要論点について私なりの見解を披露したい。
1,侵害された思想・良心は何か
教師達に対する懲戒処分の根拠となった卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱と国歌伴奏(以下「起立斉唱等」とする。)を命じる職務命令(およびそれを事実上命じた都教委の通達)が憲法第19条に違反するというのが原告の主張の一つの柱であるが、その際侵害された思想・良心がどのような内実のものであるかが重要なポイントになっている。
※この文章を読む方の中には事情を十分知らない人もいると思うので、当該通達と職務命令(代表例)を以下紹介しておく。
【いわゆる「10.23通達」】
15教指企第569号
平成15年10月23日
都立高等学校長
都立盲・ろう・養護学校長 殿
東京都教育委員会教育長
横 山 洋 吉
「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」
記
1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
別紙
「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」
1 国旗の掲揚について
入学式、卒業式における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。
(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
2 国歌の斉唱
入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。
3 会場設営等について
入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。
(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するようにする。
(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。
【10.23通達に基づく職務命令の例】
18○○高第○○○号
平成19年○月○○日
東京都立○○高等学校
○ ○ ○ ○殿
東京都立○○高等学校長
○ ○ ○ ○
職務命令書
平成19年○月○日に実施する平成18年度第○○回東京都立○○高等学校卒業証書授与式において、平成15年10月23日付15教指企第569号「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」、平成18年3月13日付17教指企第1193号「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)〔1〕」及び地方公務員法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)に基づき、下記のとおり命令する。
記
1 当日、教職員は全員勤務し、別紙「平成18年度第○○回東京都立○○高等学校卒業証書授与式実施要領」による役割分担に従い、職務を適正に遂行すること。
2 学習指導要領に基づき、適正に生徒を指導すること。
3 式典の実施に際して妨害行為・防害発言をしないこと。
4 式典会場において、会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること。
5 式典中は、式場内に留まり、生徒を指導すること。
6 服装は、厳粛かつ清楚な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとすること。
(1) 藤田反対意見と宮川反対意見
いわゆるピアノ裁判最高裁判決(2007年2月27日第三小法廷)において、 裁判官藤田宙靖は反対意見の中で、日の丸・君が代に対する歴史観・世界観とは区別される思想・良心に着目している。
「本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,・・・・この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。」
藤田の着目は重要であって、このような思想・良心は、同種の他の裁判の原告にも広く見られるものである。これを憲法裁判上どう位置づけるかが現段階の大きな論点の一つである。ただ、この事件は単独の音楽専科教師によるピアノ伴奏拒否であること、藤田は彼が着目した原告の上記の思想・良心を個人のものないしは私的なものと区別して位置づけているわけではないことはもっと重視されてよい。
類似の着目は、2011~12年の最高裁判決の反対意見にもある。同年から翌年にかけての最高裁の諸判決では、起立斉唱命令は憲法第19条違反とはならないが、思想・良心の自由に対する「間接的制約となる面がある」と判断されて、減給以上の懲戒処分のほとんどが裁量権濫用として取り消された。最高裁では多くの補足・反対意見が出されたが、特に注目されたのは宮川光治の2回にわたる反対意見であって、保護されるべき原告の思想・良心のなかに「教育者としての教育上の信念」も積極的に位置づけている。以下はその2回目のもの〔2〕からの抜粋。
「第1審原告らの不起立行為等は, 「日の丸」や「君が代」は軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであり平和主義や国民主権とは相容れないと考える歴史観ないし世界観, 及び人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者としての教育上の信念に起因するものであり, その動機は真摯であり,いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。」(下線は引用者)
そして
「その行為は第1審原告らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。したがって, その行為は第1審原告らの精神的自由に関わるものとして, 憲法上保護されなければならない。 第1審原告らとの関係では, 本件職務命令はいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり, その結果, 憲法19条に違反する可能性がある。」
とし、さらに以下のように、原告は教師であるが故に特別に広い「精神の自由」を認められるべきとしている。
(教育基本法第2条に言及した上で)「上記のような目標を有する教育に携わる教員には、幅広い知識と教養、真理を求め、個人の価値を尊重する姿勢、創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり、上記のような教育の目標を考慮すると、教員における精神の自由は、取り分けて尊重されなければならないと考える。」(下線は引用者)
ここで注意しなければならないのは、宮川は教師に対する国旗国歌強制事件において、<個人として>のものと区別された<教師として>の思想・良心を特に重要と考えているわけではないということである。
注〔1〕 全文は以下。
○入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について
平成18年3月13日
17教指企第1193号
都立高等学校長
都立盲・ろう・養護学校長
都立中学校・中等教育学校長
東京都教育委員会は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(平成15年10月23日付15教指企第569号)により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するように通達した。また、「入学式・卒業式の適正な実施について(通知)」(平成16年3月11日付15教指高第525号)により、生徒に対する不適正な指導を行わないこと等を校長が教職員に指導するよう通知した。
しかし、今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生した。
ついては、上記通達及び通知の趣旨をなお一層徹底するとともに、校長は自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達する。
導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達する。
注〔2〕 2012.1.16判決。原告側の呼び名によれば「東京「君が代」裁判第一次訴訟(04年処分取消)」。上告人は162名(不伴奏者も含む)。【次回に続く】
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