◎陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ(大本営)
昨日の続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、八月一五日の日誌を紹介する(二七一~二七六ページ)。
なお、同書には、八月二一日までの日誌があるが、紹介は、とりあえず本日分までとし、明日は話題を変える。
八月十五日 (水) 晴
午前五時三十分、起床する。夜の底がやっと白くなりかけた。新しい褌に新しい夏襦袢と夏袴下、そして第一装の夏衣袴を着けると、いつでも死ねるような気がする。帯革には剣を左に、この間もらった手榴弾を右に、昨夜もらった弾薬二十発入りの薬倉を右前にと着けて夏衣の上から腹に巻く。巻脚絆を巻き、昨夜受け取った騎兵銃を持って情報室に入る。
情報室には田原候補生が一勤を勤めていた。「異常はないか」と聞くと、
「勤務中、異常ありません。前任者の報告では、昨夜午後十一時のニューディリー放送によりますと、昨日(八月十四日)、米軍B29八百機は日本内地の地方都市のうち、高崎、熊谷、小田原、福山の各地に分散し、空襲し爆撃を行なったと放送があったということであります」
やっと内地に平和が戻ろうとしているのに、まだやって来るのか。午後十一時の放送というのも気になる。場合によっては午後九時から十時にかけての夜間空襲の可能性もある。四都市の中では福山しか知らぬが、あの小さい福山の街に八百機の四分の一として二百機も来て空襲したら、もうどうにもならんのではないか。
八月十日に日本のポツダム宣言受諾申し入れを米軍が知らないはずはないだろうに。しかも今日は終戦となる日の前日になんと執拗な奴だ。礼儀知らずもはなはだしい。南支では八月十日以降、空襲はなく静かに見まもる重慶軍で、この点、敵ながら敬意を払うべきだと思う。
田原も最初は色が黒かったものの覇気に欠けると思ったが、身長、体重ともに増し、第一、言葉がしっかりして大きく成長してくれた。
午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれた。田原と並んで交換台の前で朝食を食べる。朝食を終わったところに、田中候補生が入って来た。
「班長殿、中西上等兵殿が班長殿を探しておられます。どうしましょうか」と聞く。
「おって隊長殿から命令が下るので、それまで内務班で待つようにいってくれ。内務班の場所はよく聞いておいてくれ」と指示する。
「班長殿、これはいってはよいのかどうかわかりませんが、中西上等兵殿は一体、どこに行くのか、自分一人、第一装の衣袴に下着まで全部新しいのを支給され、別に悪いことをしてないのにといってました」という。目的をいってやりたかったが、もし他に流布されたときを思うと、何もいえなかった。
午前八時、田原は下番し田中が上番する。上下番の挨拶もちゃんとやっている。
午前九時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ぜられる情報によれば、昨日(八月十四日)、日本国政府はポツダム宣言受諾決定を、中立国を通じ連合国側へ通報があり、米英ともに受理したること発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
午前十一時、隊長が入って来られた。私は席を立って隊長の前に行った。隊長は顔面蒼白だ。
「隊長殿、お顔の色がよくないようですが」と聞くと、
「うん、ここ一週間、寝てないうえに、昨夜は一睡もしてないんでね。おい、黒木。今日の飛行場爆破についてはいろいろ考えたが、どうも自分自身、結論が出ない。お昼の陛下の玉音放送をお聞きしてからでも遅くないと思うので、追って指示する。しばらく待ってくれ」といわれた。
午前十一時半、スピーカーが流れる。
「全員情報室前の下の段の広場に、午前十一時五十分までに集合せよ。病人以外全員、情報室前の下の段の広場に集合せよ。上番者の者は勤務を止め、下番者催眠中の者も起こして整列せよ。服装は簡易略衣袴をやめ、夏衣袴上下に巻脚絆を着け、銃保持者は銃を持ち、帯剣して全員服装点検したうえ集合せよ」と。
自分がここに来てはじめての場内放送が流れた。こんな放送設備、前からあったのだろうか。田中候補生に服装をととのえるために内務班に帰らせた。「田原も起こし、指示してやれ。帯剣も忘れぬように」といった。自分も朝からの服装なので巻脚絆を巻き直し、点検の後に席を立った。
情報室に入ってはじめて全員の姿を見た。総員百五十名くらいか。どの部署も大体三交替勤務制をとっているから、こんな人数になるのだろう。情報室は自分のほか二名、最右翼に並んだ。つづいて電気班とか通信班とかが四列五列に並んだ。下士官以下の整列が終わったころ、将校八名が入って来られた。自分の前には上山中尉が、通信班の前には高橋中尉がそれぞれ二歩前に整列された。自分の右横には今まで見たこともない将校が、軍医二名を含め六名の人々が一列に並んだ。
将校の整列の終わったころに、隊長芦田大尉が入って来られた。隊長芦田大尉は中央壇上の手前の位置で全員に向かって、
「本日正午、天皇陛下の玉音放送がラジオで放送されることになった。自分は電気係に命じ、できるだけ雑音を少なくし、内地と同様に聞けるように準備してもらった。したがって諸君は陛下の御言葉を充分に噛みしめ、理解して戴きたい。その前に陛下に対し最敬礼を行なう。最敬礼の礼は、将校諸君は抜刀【ばつとう】の礼を、銃を持つ諸君は着剣し捧げ銃【つつ】の礼を、銃を持たない諸君は挙手の礼を、この中央壇上スピーカーを通して天皇陛下に対し奉り行なう。この号令は、自分が大日本帝国陸軍軍人として最後の号令になると思う」
隊長は回れ右して中央壇に正対した。自分は着剣した。
「天皇陛下に対し奉り最敬礼 頭右【かしらみぎ】!」
隊長の声は、悲壮な声で青い空に吸い込まれるようによく通った。それにも増して、将校の抜刀の礼はみごとだった。自分の位置では隊長、上山中尉、高橋中尉の三人だが、さっと抜いた刀を右手で一段高くするようにして右下斜めにさっと下ろし、奇麗に並んで真昼の太陽を浴びた。
そのとき、ラジオは正午の時報を報じた。自分も捧げ銃と銃を持ったのは久しぶりだ。
「なおれ」隊長の号令で銃を下ろす。
ラジオはいう。「ただ今より重大な放送があります。全国聴取者の皆様、ご起立願います」つづいて「君が代」奏楽。今度は情報局総裁下村宏が、
「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、かしこくもおんみずから大詔【おおみことのり】を宣【の】らせたまうことになりました。これより謹みて玉音〈ギョクオン〉をお送り申します」
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑【カンガ】ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾【ナンジ】臣民ニ告グ。朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
この辺りからジージーと雑音しきりにして、まったく聞き取りにくかった。電気係が、上山中尉のところに来て受信装置の雑音ではありません。発信側装置において雑音が発生しておりますと報告している。
ジージーの雑音はつづく。雑音を通して耳をすますと、
「然ルニ交戦已ニ〈すでに〉四歳ヲ閲【ケミ】シ朕ガ陸海将兵ノ勇戦朕ガ百僚有司ノ励精朕ガ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラズ戦局必ズシモ好転セズ之ニ加ウルニ敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シ惨害ノ及ブ所真ニ測ルベカラザルニ至ル而モ尚交戦ノ継続セムカ終ニ我ガ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラズ延【ヒイ】テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯クノ如クムバ朕何ヲ以テ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕ガ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応ゼシムルニ至レル所以〈ゆえん〉ナリ」
ジージーの雑音は強くなって、全然聞きとれなくなった。急にまた少し聞けるようになった。
「惟【オモ】フニ今後帝国ノ受クベキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラズ爾臣民ノ衷情ヲ朕善ク之ヲ知ル然レドモ朕ハ時運ノ趨【オモム】ク所堪へ難キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚〈しんい〉シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」
またもやジージーの雑音で聞きにくくなった。最後の方に、「神州ノ不滅ヲ信ジ」とか「世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民共ニ克ク朕ガ意ヲ体セヨ」との御言葉で終わられたようだった。
はじめて聞く陛下の詔勅は、甲高い御声に聞こえた。敗戦ということではなく、とにかく現段階で終わったと感じた。
全軍解散する。田原候補生はよく眠っていたところを起こしたので、すぐ休ませる。田中候補生は勤務を続行させた。自分への命令はなく、情報室で待機した。
午後一時、NHK放送が流れて来る。
――大本営発表! 大本営発表! 陛下の御詔勅により陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ。陸海軍全部隊に告ぐ。陛下の御詔勅により陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ――と放送された。
ふと昭和十六年十二月八日の当時の大本営陸海軍部発表を思い出した。ハワイ・マレー沖の海戦の映画も浮かんでくる。昼食が来たので、ぼんやりと昔のこと考えながら食べる。昼食が終わったところに隊長が入って来られた。
「白雲飛行場長と電話連絡した結果、なるがままに任せようとの結論になった。したがって白雲飛行場爆破計画は中止する」といわれた。さっそく田中をして中西上等兵に中止の連絡をさせた。
昼食までは全軍のためにやりとげようと思っていたが、昼食後からは下手をすると第二回目くらいから日本守備兵に機関銃をむけられ応戦することになる。日本人同士がやる。まずいなあと思っていた矢先だったので、中止の指令は大歓迎だった。そんなことを考えているときに隊長は、
「おい黒木、貴様には迷惑をかけたな。まったく畠違いの仕事にかかわらずよくやってくれた。若い少年兵というので、自分は期待して十七、八歳くらいと思ってもらったが子供だった。貴様は文句もいわず、うまく彼らを指導して、彼らもその気になってよく頑張り、この数ヵ月で予想を上回る立派な兵隊にしてくれた。感謝する。この煙草はおれの餞別〈センベツ〉として受け取ってくれ。また話をする機会があればしたいが、話の時間はないかも知れぬ」
といって、例の将校専用煙草のラッキーストライク二十本入り二十箱の一カートンを渡された。もらってよいかどうか迷ったが、「有難うございます」といって受け取った。隊長が餞別といわれたのが気になった。隊長は死を覚悟されていると思った。そこで自分はいった。
【一行アキ】
「隊長殿、人間いつでも死ねます。死ぬることを急いではなりません」と申しあげた。隊長は「うん」とかすかにうなずかれたがら出て行かれた。田中が、「中西上等兵殿に中止の旨報告しました」といって、部屋に入って来た。
自分は内務班に帰って暑い夏衣袴、夏襦袢、夏袴下から普通着る簡易略衣袴の半袖半ズボンに着替える。日本陸軍最後の日の勤務と思って、田中と共に情報室に詰めた。
突然、午後四時過ぎ、NHKの電波でもって、
――こちらは大本営陸軍参謀本部でございます。本日政府並びに軍の一部の手によって戦線を中止するよう放送がありましたが、まったく捏造【ねつぞう】されたものでございます。従来同様、戦線について下さい――という。この放送の方が臭いと思ったが、一応、隊長に電話で報告する。隊長は、
「大本営の内部も、だいぶごだごだしてるなあ。今日の陛下の玉音放送も、電気係に言わせると、レコードの表面が擦り減っての雑音だという。普通こんなことは考えられないが、紙に包んで持ち歩いたのかも知れぬという。東京では陛下の周辺はじめ大変な模様だ。貴様たち、今日は全員、午後五時でしまってくれ」といわれた。
隊長の言葉で、田中と四時から勤務の予定で入って来た田原にも引きあげさせた。田原がどこから聞いたのか、二人おられたうちの若い方の軍医が割腹自殺されたという。
情報運隊にいて情報に接したのば、われわれだけだったのか。将校の方とはいえ、軍医殿は何も知らなかったのだろうか。敗戦を自分の責任と感じての自決だったのだろうか。心から御冥福をお祈り申しあげたい。
内務班に帰って見ると驚いた。午後七時のタ食がもう配られている。われわれに対し一人酒二合の配給、加えて鯛のお頭付きをはじめ、甘い方ではチョコレートの大判一枚とココアの缶詰一缶で、いずれも英国製。若い児は酒は無理なので一人占めとなる。酒をもらったので、チョコレートやココアは若い二人に回した。
酒が入って、今日は飛行場爆破命令が出ていたんだと話すと、二人は運転手をふくめ三人は、「肉弾三勇士」になりそこねたと笑う。【後略】