不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ(大本営)

2016-08-15 04:47:34 | コラムと名言

◎陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ(大本営)

 昨日の続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、八月一五日の日誌を紹介する(二七一~二七六ページ)。
 なお、同書には、八月二一日までの日誌があるが、紹介は、とりあえず本日分までとし、明日は話題を変える。

 八月十五日 (水) 晴
 午前五時三十分、起床する。夜の底がやっと白くなりかけた。新しい褌に新しい夏襦袢と夏袴下、そして第一装の夏衣袴を着けると、いつでも死ねるような気がする。帯革には剣を左に、この間もらった手榴弾を右に、昨夜もらった弾薬二十発入りの薬倉を右前にと着けて夏衣の上から腹に巻く。巻脚絆を巻き、昨夜受け取った騎兵銃を持って情報室に入る。
 情報室には田原候補生が一勤を勤めていた。「異常はないか」と聞くと、
「勤務中、異常ありません。前任者の報告では、昨夜午後十一時のニューディリー放送によりますと、昨日(八月十四日)、米軍B29八百機は日本内地の地方都市のうち、高崎、熊谷、小田原、福山の各地に分散し、空襲し爆撃を行なったと放送があったということであります」
 やっと内地に平和が戻ろうとしているのに、まだやって来るのか。午後十一時の放送というのも気になる。場合によっては午後九時から十時にかけての夜間空襲の可能性もある。四都市の中では福山しか知らぬが、あの小さい福山の街に八百機の四分の一として二百機も来て空襲したら、もうどうにもならんのではないか。
 八月十日に日本のポツダム宣言受諾申し入れを米軍が知らないはずはないだろうに。しかも今日は終戦となる日の前日になんと執拗な奴だ。礼儀知らずもはなはだしい。南支では八月十日以降、空襲はなく静かに見まもる重慶軍で、この点、敵ながら敬意を払うべきだと思う。
 田原も最初は色が黒かったものの覇気に欠けると思ったが、身長、体重ともに増し、第一、言葉がしっかりして大きく成長してくれた。
 午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれた。田原と並んで交換台の前で朝食を食べる。朝食を終わったところに、田中候補生が入って来た。
「班長殿、中西上等兵殿が班長殿を探しておられます。どうしましょうか」と聞く。
「おって隊長殿から命令が下るので、それまで内務班で待つようにいってくれ。内務班の場所はよく聞いておいてくれ」と指示する。
「班長殿、これはいってはよいのかどうかわかりませんが、中西上等兵殿は一体、どこに行くのか、自分一人、第一装の衣袴に下着まで全部新しいのを支給され、別に悪いことをしてないのにといってました」という。目的をいってやりたかったが、もし他に流布されたときを思うと、何もいえなかった。
 午前八時、田原は下番し田中が上番する。上下番の挨拶もちゃんとやっている。
 午前九時、ニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ぜられる情報によれば、昨日(八月十四日)、日本国政府はポツダム宣言受諾決定を、中立国を通じ連合国側へ通報があり、米英ともに受理したること発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 午前十一時、隊長が入って来られた。私は席を立って隊長の前に行った。隊長は顔面蒼白だ。
「隊長殿、お顔の色がよくないようですが」と聞くと、
「うん、ここ一週間、寝てないうえに、昨夜は一睡もしてないんでね。おい、黒木。今日の飛行場爆破についてはいろいろ考えたが、どうも自分自身、結論が出ない。お昼の陛下の玉音放送をお聞きしてからでも遅くないと思うので、追って指示する。しばらく待ってくれ」といわれた。
 午前十一時半、スピーカーが流れる。
「全員情報室前の下の段の広場に、午前十一時五十分までに集合せよ。病人以外全員、情報室前の下の段の広場に集合せよ。上番者の者は勤務を止め、下番者催眠中の者も起こして整列せよ。服装は簡易略衣袴をやめ、夏衣袴上下に巻脚絆を着け、銃保持者は銃を持ち、帯剣して全員服装点検したうえ集合せよ」と。
 自分がここに来てはじめての場内放送が流れた。こんな放送設備、前からあったのだろうか。田中候補生に服装をととのえるために内務班に帰らせた。「田原も起こし、指示してやれ。帯剣も忘れぬように」といった。自分も朝からの服装なので巻脚絆を巻き直し、点検の後に席を立った。
 情報室に入ってはじめて全員の姿を見た。総員百五十名くらいか。どの部署も大体三交替勤務制をとっているから、こんな人数になるのだろう。情報室は自分のほか二名、最右翼に並んだ。つづいて電気班とか通信班とかが四列五列に並んだ。下士官以下の整列が終わったころ、将校八名が入って来られた。自分の前には上山中尉が、通信班の前には高橋中尉がそれぞれ二歩前に整列された。自分の右横には今まで見たこともない将校が、軍医二名を含め六名の人々が一列に並んだ。
 将校の整列の終わったころに、隊長芦田大尉が入って来られた。隊長芦田大尉は中央壇上の手前の位置で全員に向かって、
「本日正午、天皇陛下の玉音放送がラジオで放送されることになった。自分は電気係に命じ、できるだけ雑音を少なくし、内地と同様に聞けるように準備してもらった。したがって諸君は陛下の御言葉を充分に噛みしめ、理解して戴きたい。その前に陛下に対し最敬礼を行なう。最敬礼の礼は、将校諸君は抜刀【ばつとう】の礼を、銃を持つ諸君は着剣し捧げ銃【つつ】の礼を、銃を持たない諸君は挙手の礼を、この中央壇上スピーカーを通して天皇陛下に対し奉り行なう。この号令は、自分が大日本帝国陸軍軍人として最後の号令になると思う」
 隊長は回れ右して中央壇に正対した。自分は着剣した。
「天皇陛下に対し奉り最敬礼 頭右【かしらみぎ】!」
 隊長の声は、悲壮な声で青い空に吸い込まれるようによく通った。それにも増して、将校の抜刀の礼はみごとだった。自分の位置では隊長、上山中尉、高橋中尉の三人だが、さっと抜いた刀を右手で一段高くするようにして右下斜めにさっと下ろし、奇麗に並んで真昼の太陽を浴びた。
 そのとき、ラジオは正午の時報を報じた。自分も捧げ銃と銃を持ったのは久しぶりだ。
「なおれ」隊長の号令で銃を下ろす。
 ラジオはいう。「ただ今より重大な放送があります。全国聴取者の皆様、ご起立願います」つづいて「君が代」奏楽。今度は情報局総裁下村宏が、
「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、かしこくもおんみずから大詔【おおみことのり】を宣【の】らせたまうことになりました。これより謹みて玉音〈ギョクオン〉をお送り申します」
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑【カンガ】ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾【ナンジ】臣民ニ告グ。朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」
 この辺りからジージーと雑音しきりにして、まったく聞き取りにくかった。電気係が、上山中尉のところに来て受信装置の雑音ではありません。発信側装置において雑音が発生しておりますと報告している。
 ジージーの雑音はつづく。雑音を通して耳をすますと、
「然ルニ交戦已ニ〈すでに〉四歳ヲ閲【ケミ】シ朕ガ陸海将兵ノ勇戦朕ガ百僚有司ノ励精朕ガ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラズ戦局必ズシモ好転セズ之ニ加ウルニ敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シ惨害ノ及ブ所真ニ測ルベカラザルニ至ル而モ尚交戦ノ継続セムカ終ニ我ガ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラズ延【ヒイ】テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯クノ如クムバ朕何ヲ以テ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕ガ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応ゼシムルニ至レル所以〈ゆえん〉ナリ」
 ジージーの雑音は強くなって、全然聞きとれなくなった。急にまた少し聞けるようになった。
「惟【オモ】フニ今後帝国ノ受クベキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラズ爾臣民ノ衷情ヲ朕善ク之ヲ知ル然レドモ朕ハ時運ノ趨【オモム】ク所堪へ難キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚〈しんい〉シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」
 またもやジージーの雑音で聞きにくくなった。最後の方に、「神州ノ不滅ヲ信ジ」とか「世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民共ニ克ク朕ガ意ヲ体セヨ」との御言葉で終わられたようだった。
 はじめて聞く陛下の詔勅は、甲高い御声に聞こえた。敗戦ということではなく、とにかく現段階で終わったと感じた。
 全軍解散する。田原候補生はよく眠っていたところを起こしたので、すぐ休ませる。田中候補生は勤務を続行させた。自分への命令はなく、情報室で待機した。
 午後一時、NHK放送が流れて来る。
 ――大本営発表! 大本営発表! 陛下の御詔勅により陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ。陸海軍全部隊に告ぐ。陛下の御詔勅により陸海軍全部隊は現時点で停戦せよ――と放送された。
 ふと昭和十六年十二月八日の当時の大本営陸海軍部発表を思い出した。ハワイ・マレー沖の海戦の映画も浮かんでくる。昼食が来たので、ぼんやりと昔のこと考えながら食べる。昼食が終わったところに隊長が入って来られた。
「白雲飛行場長と電話連絡した結果、なるがままに任せようとの結論になった。したがって白雲飛行場爆破計画は中止する」といわれた。さっそく田中をして中西上等兵に中止の連絡をさせた。
 昼食までは全軍のためにやりとげようと思っていたが、昼食後からは下手をすると第二回目くらいから日本守備兵に機関銃をむけられ応戦することになる。日本人同士がやる。まずいなあと思っていた矢先だったので、中止の指令は大歓迎だった。そんなことを考えているときに隊長は、
「おい黒木、貴様には迷惑をかけたな。まったく畠違いの仕事にかかわらずよくやってくれた。若い少年兵というので、自分は期待して十七、八歳くらいと思ってもらったが子供だった。貴様は文句もいわず、うまく彼らを指導して、彼らもその気になってよく頑張り、この数ヵ月で予想を上回る立派な兵隊にしてくれた。感謝する。この煙草はおれの餞別〈センベツ〉として受け取ってくれ。また話をする機会があればしたいが、話の時間はないかも知れぬ」
 といって、例の将校専用煙草のラッキーストライク二十本入り二十箱の一カートンを渡された。もらってよいかどうか迷ったが、「有難うございます」といって受け取った。隊長が餞別といわれたのが気になった。隊長は死を覚悟されていると思った。そこで自分はいった。
【一行アキ】
「隊長殿、人間いつでも死ねます。死ぬることを急いではなりません」と申しあげた。隊長は「うん」とかすかにうなずかれたがら出て行かれた。田中が、「中西上等兵殿に中止の旨報告しました」といって、部屋に入って来た。
 自分は内務班に帰って暑い夏衣袴、夏襦袢、夏袴下から普通着る簡易略衣袴の半袖半ズボンに着替える。日本陸軍最後の日の勤務と思って、田中と共に情報室に詰めた。
 突然、午後四時過ぎ、NHKの電波でもって、
 ――こちらは大本営陸軍参謀本部でございます。本日政府並びに軍の一部の手によって戦線を中止するよう放送がありましたが、まったく捏造【ねつぞう】されたものでございます。従来同様、戦線について下さい――という。この放送の方が臭いと思ったが、一応、隊長に電話で報告する。隊長は、
「大本営の内部も、だいぶごだごだしてるなあ。今日の陛下の玉音放送も、電気係に言わせると、レコードの表面が擦り減っての雑音だという。普通こんなことは考えられないが、紙に包んで持ち歩いたのかも知れぬという。東京では陛下の周辺はじめ大変な模様だ。貴様たち、今日は全員、午後五時でしまってくれ」といわれた。
 隊長の言葉で、田中と四時から勤務の予定で入って来た田原にも引きあげさせた。田原がどこから聞いたのか、二人おられたうちの若い方の軍医が割腹自殺されたという。
 情報運隊にいて情報に接したのば、われわれだけだったのか。将校の方とはいえ、軍医殿は何も知らなかったのだろうか。敗戦を自分の責任と感じての自決だったのだろうか。心から御冥福をお祈り申しあげたい。
 内務班に帰って見ると驚いた。午後七時のタ食がもう配られている。われわれに対し一人酒二合の配給、加えて鯛のお頭付きをはじめ、甘い方ではチョコレートの大判一枚とココアの缶詰一缶で、いずれも英国製。若い児は酒は無理なので一人占めとなる。酒をもらったので、チョコレートやココアは若い二人に回した。
 酒が入って、今日は飛行場爆破命令が出ていたんだと話すと、二人は運転手をふくめ三人は、「肉弾三勇士」になりそこねたと笑う。【後略】

*このブログの人気記事 2016・8・15

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日、白雲飛行場滑走路を爆破せよ

2016-08-14 03:04:33 | コラムと名言

◎明日、白雲飛行場滑走路を爆破せよ

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、八月一四日の日誌を紹介し(二六九~二七〇ページ)、続いて、『永田町一番地』から、八月一四日と八月一五日の日誌を紹介する(二三六~二三九ページ)。なお、『永田町一番地』は、八月一五日の日誌を以て、終わっている。

『原爆投下は予告されていた』
 八月十四日 (火) 晴
 午前八時、上番する。今日も暑い。暑いなかどこからもベルなし。情報も流れず。隊長も上山中尉も来られない。静かである。午前中の勤務というより、真夜中の午前零時からの勤務のようである。
 午後一時ごろよりNHKは、「明日正午より、天皇陛下の玉音放送が行なわれます。国民の皆様、ぜひラジオをお聞きください」という放送が何度も何度も繰り返し放送された。
 午後三時、隊長が部屋に入って来られた。苦渋に満ちた顔には、隊長独自のいつもの笑みは見えない。
「おい黒木、ちょっとこい」
 私は立ち上がり、隊長の前で不動の姿勢をとった。
「明日、白雲飛行場滑走路を爆破して欲しい。正午の陛下の玉音放送の影響を考えたときに、一番最初に浮かんだのは敵側の接収である。陸上での接収は早くても十日以上はかかるだろう。しかし、空からの接収は数時間後には可能となる。もし重慶軍が滑走路につぎつぎと飛来降下した場合、無駄な命を落としてもらいたくない。一週間から十日もたてば陛下の放送の真意が、全軍に到達されるであろう。最低一週間は来てもらいたくない。滑走路に三ヵ所の穴を開ければ充分だ。来ても降りれないとすれば帰るだろう。もちろん南支には友軍機は一機もない。おれの専用車を使え。運転手はつける。ダイナマイトは用意する。貴様が長となり、部下一名と共にやってくれ。明朝午前六時、再度命令す。今夜は充分に休んでくれ。部下一名は即時選考指名してくれ」と言われた。
 自分は、「部下一名の指名でありますが、電気の中西上等兵を指名したくお願い申します」と言上した。四ヵ月もいると、隣りの部屋の彼の俊敏さが群を抜いていたのがよくわかった。隊長はまたいわれた。
「貴様以外にこの仕事を頼めるのは、全軍の中でほかにだれもいない。強いて言えば、上山中尉ただ一人だけだ。上山と貴様と貴様の部下二名以外は、終戦に関する経過はまったく誰も知らぬ」
 自分は隊長に、「はい。よくわかりました」といって礼をして席に着いた。隊長は話だけされた後は部屋を出られた。
 午後四時、下番する。下番の際、田中候補生に、
「明日の二勤の勤務はおれは出来ない。したがって貴様は午前八時から勤務してくれ。その後については追って指示する」
 内務班に帰ってみると、新しい夏衣袴と襦絆、袴下に褌まで一式おいてあった。明日のための品々である。夕食前に通信班保管の三八式騎兵銃が一挺と実弾二十発入りの薬盒【やくごう】が届けられた。

『永田町一番地』
 八月十四日
 早朝八時半、鈴木首相は参内して、陛下に討議の経過を報告申上げた。後、同九時四十分、首相は再び参内した。
【一行アキ】
 陛下から御前会議のお召しが下つた。丁度閣議の最中で、全閣僚は、そのままの衣服で取り急ぎ参内した。午前十時四十五分、この御前会議が開会となつた。全閣僚、両幕僚長、平沼枢府議長ら一同が御前に相会した。鈴木首相は、条件付の連合国回答が届いたが、これに対し、外相は受諾すべしとの意見であり、これに賛成する者が大多数である。然し反対の意見もある、と報告申上げ、これから、回答受諾に反対の意見のみを述べて貰ひたいと発言した。ところが、これに対し、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長より夫々〈ソレゾレ〉、先方の回答に甚だ不安で、我が方の最後の一線たる国体護持も困難な如く思はれる。もし改めて連合国に問合せをなすことを得るならばこれを確めたい、もしそのことが不可能ならば、むしろ死中活を求め一戦するに如かず、との旨を申上げた。三名の意見開陳後、陛下は
 他に意見がないならば自分が言ふ。ポツダム宣言の受諾は軽々に〈ケイケイニ〉なせるにあらず、自分の意見は去る九日の御前会議に示したところと何ら変らない、先方の回答を受諾するも差支へなしとの外相の説に賛成する、今にして戦争を終結しなければ国家の維持は出来ぬし、日本民族も破滅する、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍んでここに終戦の決心をした、一般の国民は突然の決定に動揺も甚だしいであらう、海軍将兵はさらに動揺も大きいであらうが、自分が出来ることならば何でもする………旨(註)仰せられた。
【一行アキ】
 最後の御聖断が下つたのである。歴史的なこの御前会議はかくて正午散会した。
【一行アキ】
 ついで閣議が開催され、終戦に関する詔書案が審議した。この終戦の大詔はこの夜、勅裁を得た。
【一行アキ】
 深夜、阿南陸相が自刃した。伝へられる陸軍内部の不穏の計画について阿南陸相もこれを知つてゐたとのことである。軍の政治干与はいけない、いはゆる憲兵政治は以ての外である、とする阿南陸相は、武人としての尊敬を集めてゐた。その置かれた困難な立場は察するに余りがある。
(註)
 ………先方の回答もあれで満足してよいと思ふと仰せられ、その理由に関し概ね九日の御前会議に於て述べられたると同一の主旨を御述べ遊ばされた。陛下は暫く言棄を切られ、純白の御手袋をはめられた御手にて御眼鏡を御拭ひ遊ばされてをられたが、かくの如くにして戦争を終るについて、皇軍将兵、戦死者、戦傷者、罹災者、遺家族らに対する厚き御心遣ひの御言葉を御述べあそばされ、しばしば両方の御頬を御手をもつて拭はせられた。しかし乍ら〈ナガラ〉茲に〈ココニ〉至つては国家を維持するの道はただこれしかないと考へるから、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍んで、茲に〈ココニ〉その決心をしたのである、といふことを仰せられた。列席者一同は陛下の御言葉の始まると間もなくよりただ慟哭するのみであつた。………  (「朝日新聞」連載。「降伏時の真相」迫水久常氏手記)

 八月十五日
 午前三時(十四日午後七時ベルン時間)トルーマン米大統領は日本側回答を受諾した旨声明した。
【一行アキ】
 正午、前国民は陛下の玉音放送によつて戦争の終結を知つた。
【一行アキ】
 陛下の声は厳粛な中にも心なしか傷々しく〈イタイタシク〉聴かれた。終戦への経緯を知らなかつたわけではない、が、陛下の一言一句に思はず眼頭が熱くなつた。戦争終結をよろこぶ涙ではない。敗戦の事実を悲しむ涙でもない。余りにも大きな日本の転換に遭遇した感動が涙を誘つた。
【一行アキ】
 午後三時二十分、鈴木首相は、再度聖断を煩はしたことを深く恐懼〈キョウク〉し、闕下〈ケッカ〉に全閣僚の辞表を提出した。鈴木内閣はここに終戦といふ歴史的使命を果たして総辞職した。  (終り)

*このブログの人気記事 2016・8・14(4位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福実現党本部に家宅捜索(2016・8・2)

2016-08-13 04:40:01 | コラムと名言

◎幸福実現党本部に家宅捜索(2016・8・2)

 今月二日、幸福実現党本部に家宅捜索が入った。同日の「livedoorニュース」に、次のようにあった(執筆は、紀藤正樹弁護士)。

 公選法違反容疑で、ついに幸福実現党本部に家宅捜索へ!
 現在、公職選挙法違反(買収など)容疑で、逮捕されているのは、タレントのテレンス・リー=本名・加藤善照=容疑者(51)、会社役員、一木昭克容疑者(48)と同、今井一郎容疑者(61)の3人。
 警視庁捜査2課は、同法違反容疑で、さらに幸福実現党本部(東京都港区)を家宅捜索し、党本部が主導して複数の選挙区で買収工作をしていた可能性もあるとみて全容解明を進める、という。
 同法違反での政党本部の家宅捜索は異例とのことであり、捜索差押えで得られた証拠次第では、政治団体である「幸福実現党」の枠組みを超え、その母体である宗教法人「幸福の科学」の選挙応援の実態にメスが入る可能性が出てきた。
 宗教団体の選挙応援の実態も、解明されれば、異例のことと評価できる。

 紀藤正樹〈キトウ・マサキ〉弁護士も指摘しているが、この家宅捜索は、たしかに「異例」である。
 今月九日、書店の店頭で、大川隆法著『幸福実現党本部 家宅捜索の真相』(幸福の科学出版株式会社)という本を見つけ、購入した。発行日を見て驚いた。「2016年8月5日」である。家宅捜索の、わずか三日後である。
 本を開いて、さらに驚いた。いきなり、次のようにあったからである。

 安倍政権の国家社会主義的体制は着々と進みつつある。マスコミ各社の国家総動員化を進めつつ、警察の特高化【とっこうか】も押し進めている。

 これは、「まえがき」の冒頭二行である。署名は、「あなたがたの主【しゅ】 エル・カンターレ」、つまり、幸福の科学グループの大川隆法〈リュウホウ〉総裁が書いている。
 これまで、幸福実現党が掲げるスローガンなどを見てきて、この党、あるいはその母体である幸福の科学グループの思想は、かなり「右寄り」だと思っていたが、この先入観は改めなければならない。というよりは、現政権の思想が、右に寄りすぎたために、幸福実現党、幸福の科学の思想が、中庸に思えてきたということか。
「まえがき」の三行目以降には、アイヒマンの名前が出てくる。このことから、大川総裁のいう「国家社会主義」が、ナチズムを指していることは、ほぼ明白である。
 ナチズムは、「国民社会主義」Nationalsozialismus(ドイツ語)の俗称である。日本では、「国家社会主義」、「民族社会主義」などと訳されることもあるが、字義通りに訳せば、「国民社会主義」である。ナチ党(正しくは、「国民社会主義ドイツ労働者党」)のイデオロギー、政策、実践のことを、一般に「ナチズム」と呼んでいる。戦中の日本の国家総動員体制が、ドイツの国民社会主義に範を取ったものであることは、よく知られている。
 ちなみに、ナチ(Nazi)とは、国民社会主義者(Nationalsozialist)の略称(実は蔑称)である。
 いずれにしても、大川総裁は、安倍政権の政治体制、あるいはイデオロギーに、ナチズム的なものを見出したということであろう。
 今回の捜索は、幸福実現党という政党を対象としたものであり、これを、即、「幸福の科学」に対する宗教弾圧と捉えることはできない。しかし、油断すべきではない。ひとつ、忘れてならないことがある。それは、近代日本における宗教弾圧が、必ず、「犯罪」の摘発から開始されているという事実である。
「大本」しかり、「ひとのみち」しかり、「創価教育学会」また、しかりである。敗戦直後、急成長した宗教団体「璽宇」は、「食糧管理法違反」を問われ、弾圧されている(璽光尊事件、一九四七年)。国家権力を甘く見てはならないのである。

*このブログの人気記事 2016・8・13

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発表は15日になるだろう(芦田隊長)

2016-08-12 04:18:23 | コラムと名言

◎発表は15日になるだろう(芦田隊長)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、八月一二日と八月一三日の日誌を紹介する(二六八~二六九ページ)。

 八月十二日 (日) 晴
 午前八時、上番する。午前九時、重慶放送が流れてくる。昨日のニューディリー放送とまったく同じである。すなわち――日本国政府が去る八月十日、中立国スイス・スウェーデンを通じポツダム宣言受諾を連合国側に申し入れた――と放送する。
 午前十時ごろから、炎暑極に達する。壕の中の扇風機が回っても、風は暑い風が回っているだけだ。モーターのところが熱をもっている。電気係に調べてもらったが、別にどうこういうこともないと。このまま使っていてよいという。
 隊長、上山中尉ともに午前中、来られていなかったが、午後一時すぎ、あいついで部屋に入って来られた。
 隊長「日本側から十日に中立国のスイス・スウェーデンを通じてボールが投げられたとすると、今日から明日にその返事のボールが投げかえされる。そのボールをそのまま受けるかどうかが、明日の十三日から明後日の十四日に会議を開いて決められる。発表はどういう形になるかわからぬが、十五日となるだろう」
 上山中尉「明日から明後日の会議のポイントは、天皇制を維持存続するという条件、すなわち国体護持を前提とした条件でなければ、ボールは受けられません。それと天皇に戦争責任を追求するようなことがあってはなりません」
 隊長「それも含めて国体護持だ。おい黒木。十三日と十四日の夜勤はやめとけ。十四日か十五日、とくに貴様でなければできぬ仕事をやってもらう。情況によっては変更するが、また後日に詳細説明する」
「はッ、わかりました」と立って答える。
 午後の暑さは午前にも増して暑く、汗は額からも、胸からも、背中からも流れる。
 午後四時、下番する。下番後約二時間くらい、内務班でゆっくり休んでから、入浴、洗濯に移る。タ食しながら、ここにいつまでいるのだろうかと思う。

 八月十三日 (月) 晴
 午前八時、上番する。今日も朝から暑い。隊長が昨日いわれたことが気になるが、まだなんにもいわれない。昨日も隊長は、夜が全然眠れない日がつづいて困るといっておられたが、われわれ兵隊と違っていろいろ考えられるからなおさらのことだろう。とくに隊長は一つのニュースに対し、その波及する影響を最低五点くらいは考え、かつ一点ずつに対策を樹て、事前に手を打てる特殊技能を持っておられるから頭の痛い日がつづくのであろう。
 昨日静かであったが、今日も同様だ。重慶側はもう山が見えている。これ以上、飛行機を飛ばして撃たれたらそれだけ損だ。やめとこうと思っているのか。どこからも電話はかかって来ない。
 ただ暑い暑い。壕の中には扇風機があるというものの、どうにもならない。扇風機は暑い空気を混ぜ合わせているだけだ。汗は体中から流れ、鉛筆や紙まで汗でじっとりとする。
 午後四時、下番する。下番のときに田中候補生に、明日か明後日、自分に対し隊長から特殊命令が下されることになっている。今まで今日のところ通知がないので明日はないと思う。明後日はあると思い、午前八時に繰りあげて勤務するように指示する。

*このブログの人気記事 2016・8・12(5・9位にやや珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国の政体は国民の意思によって決定

2016-08-11 01:56:53 | コラムと名言

◎日本国の政体は国民の意思によって決定

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、八月一一日~八月一三日の日誌を紹介する(二三四~二三六ページ)。

 八月十一日
 サンフランシスコ放送は米国国務長官バーンズ氏が米英ソ華四国に代つて、日本への回答を発すると伝へる。

 八月十二日
 午前零時四十五分、外務省ラジオ室は連合国回答文の第一電を入手した。
 東郷外相は、この朝直ちに参内、陛下に拝謁、
 一、降伏の時より天皇および日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のためその必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の権限の下に置かるるものとす
 一、最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵ひ〈シタガイ〉日本国々民の自由に表明せる意思により決定せらるべきものとす
 等に関し、連合国回答について詳細に報告申し上げた。
【一行アキ】
 午後三時から臨時閣議が開かれた。連合国回答をそのまま受諾すべきや否やにつき激論が重ねられ、つひに意見の一致を見ずに終る。
【一行アキ】
 夜八時半、梅津参謀総長、豊田軍令部総長、東郷外相らが首相官邸で相会した。その席上に、扉を排して突然、海軍の大西瀧次郎中将が訪れ、今、一番の問題は要するに軍が陛下の御信任を失つたことである。必ず戦局を挽回し得るの作戦をも一度練り直して、陛下に奏上する必要があると真剣な態度で、両幕僚長を説いた。その作戦の構想は大西中将によれば、二千万国民を犠牲にすれば可能であるといふのである。

 八月十三日
 午前八時五十分、鈴木首相は東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の参集を求めて、連合国回答の公電を中心に協議に入つた。梅津参謀総長、豊田軍令部総長は強硬に受諾反対を唱へ、午前九時半、参内、上奏した。そのため会議は十時半まで中断し、両幕僚長の宮中よりの退出を待つて再開された。会議は午後三時に及んだ。
 ついで、午後四時から七時まで臨時閣議が開かれたが、何れも結論を得るに至らない。

*このブログの人気記事 2016・8・11(6・10位にやや珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする